照りつける陽

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「涼は、葬式でお経を読んだのは意味がないって思ったのか?」 「おばあちゃんにとっては意味があったと思う」 おばあちゃんというのは、涼にとっての曽祖母のことだ。涼は一緒に暮らしていた曽祖母のことをおばあちゃんと呼んでいた。 「でも、お経は残された人のためにあるんだと私は思う。死んだ人のためになっているという実感が、供養しているという実態が、生きている人に必要なんだと思う。おばあちゃんのためになってるって思える行為自体に、すごく意味があるんだと思う」 「難しい言い回しをするな。要するに、涼のお母さんやお父さんには意味があったけど、涼自身にはあまり意味がなかったってことか?」 「そうかもしれない。でも、49日で、もうおばあちゃんは生きてないし戻っては来ないんだってことは理解できた。だから、意味はあったんだと思う。でも、それによって天国のおばあちゃんが喜んでるとか、そういうのはあまり思わない」 「なるほど、そこがやっぱり独特な死生観というやつだな」 「私は今3つの仮説があるの」 「仮説?」 「ひとつは、死んだら消えて無くなる。二つ目は、死んだら自分自身として生まれ直す。三つ目は、死んだら夢から醒める」 どれもなかなか小学生にしては個性の強い死生観だ。漫画やアニメの影響だろうか。れおんが小学生の頃は日々そんなことを考えて過ごしてはいなかった。いや、れおん以外の友人は考えていたのかもしれないが、れおん自身は、新しいゲームがいつ出るかとか、秘密基地が欲しいとか、そんなようなことしか考えていなかったと思う。 「ひとつ目が消えて無くなるってことは、二つ目の生まれ直すっていうのは、リセットできるみたいなこととは違うってことだよな」 「全然違う。そういう御都合主義の話じゃなくて、生まれ直すっていうのは、自分が生まれた時点まで全ては遡るっていうか、この一生以外には生きられない。今生以外は存在しない。今という時空に永遠に閉じ込められている。と思うの」 「時空理論は根本否定だな」 「人間が観測できないからといって、それが存在しないことにはならないわ。生きている限りは一方向でも、死んだら違うかもしれない。でも、これは最初の独我論、私が死んだら世界は無くなるという感覚からきているの。私が生まれてから死ぬまで以外の世界は存在しないという感覚は、つまり自分は永遠にこの世界に生きているんじゃないかっていう風に考えている」 独特な発想だ。 輪廻転生や天国や地獄という発想にどっぷり浸かって生きてきても、やはりそういう思考をすることがあるというのが人間の思考力なのだろう。れおんはその思想の中身を理解できた訳ではなかったが、そういう思考をは存在しうるな、という感想を持っていた。 「そこから考えると3つ目は夢オチか。これはまあ映画でもありそうな展開だな」 「SF的にはこれが一番ありそうなのかもしれないけど、私はこれが一番怖い。もしそうなら、この世界は仮想空間で、いかに努力しようとも、いかに我慢をしようとも、現実世界にはひとつも反映されていないことになる。だから、これが一番いや」 「まあ、せっかく死んでもまだ生きている訳だしな」 「でも、天国とか地獄とかっていう発想は、ある意味この考え方に近いんじゃないかと私は思うの」 「近いのか?」 「だって、今っていうゲームをいかに生きたかの経験値を詰んだかっていうのを評価されて、死後の生き方を決められるわけでしょ?だったら夢から覚めるっていう私の考え方もあながち間違ってないんじゃないかと思う」 「まあ、そういう言い方もできるかもしれないな」 れおんは、この涼という子どもが、曽祖母の死や犬の死をきっかけに、死という淵に引き込まれているのかと思った。 死というものに関心が強すぎるのは間違いがないが、引き込まれているというほど暗いものを感じない。 実際死のうとしているのだから、明るい心持ちでないのは確かだが。
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