act.11

1/1
889人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

act.11

[12]  最後に激しくギターの弦を弾き、エンディングを迎えると同時に身が打ち震えるほどカッコイイ身のこなしでショーンがテーブルの上に両膝をつくと、割れんばかりの大歓声がカフェテリアに響き渡った。  ショーンの歌は、完全に皆の心に受け入れられたばかりか、鷲掴みにしてしまったようだ。  ポールがショーンの元に駆け寄ってくる。 「ショーン! ショーン!! 凄いよ! まだ腕に鳥肌が立ってる・・・」  興奮を隠しきれない様子でそう言うポールをショーンが見ると、ポールはさっきまでの自分の行いを思い出してしまったのだろう。途端に顔を強ばらせ、「ご、ごめん、ショーン・・・」と口ごもった。 「現金過ぎるよな・・・。お前の味方になってやれなかったくせして、俺・・・。俺もこいつらと一緒だ」  ポールはアゴでデニス達を指しながら、しょげ返る。  「こいつらとは、なんだ!」とムキになるデニスを、あの気弱なポールがギッと睨らんだ。  デニスは、思わぬ反撃に慌てて口を噤んだ。  ショーンはテーブルから降りると、「ポール」と声を掛けた。振り返ったポールは、今にも雨が降り出しそうな表情を浮かべて、次のショーンの言葉に怯えている。  今まで険しい顔つきをしていたショーンは、ふっと身体から力を抜くとポールに微笑みかけた。とても穏やかな笑顔だった。 「俺の方こそ、音楽のことずっと好きなこと隠しててごめん・・・。俺もポールのメンツを潰したようなものだ」  ショーンは、ポールがショーンの歌声を最初に聴いた時、複雑な表情を浮かべていることに気づいていた。  世間体には「酷い音痴」だということにしていたので、今までポールもその事に気を使ってきたし、この間の劇場の一幕を思い起こしても気まずかったに違いない。  それなのに今は、こうして純粋にショーンの歌声とギターに拍手を贈ってくれているのだ。  それを思うと、なんだか鼻の奥がツンとなった。 「ポール、ごめんな」  ショーンが再度そう言うと、ようやくポールが笑顔を見せた。  ポールもショーンと同じように熱いものを感じたらしい。  ポールは鼻の下を指で擦ると、ショーンのことを抱き締めた。  ショーンもまた、ポールの背中をポンポンと二回叩いた。  まるで青春ドラマの一幕みたいでテレくさかったけれど、身体の中はほっこりと温かかった。  その感覚は、周囲の人々に確実に伝染していったようだ。  しかしそこに、女性教師が割って入って来る。 「あなた達、何をしてるの?! もうすぐ午後の授業が始まるわよ! 騒ぎを起こしたのは誰なの?!」  その神経質な声に、皆一気にここがどこだったか正気に戻ったようだ。今までの熱っぽい空気がさぁっと冷めていく。  女性教師の後に続いて校長もカフェテリアに入ってくるのを見て、多くの生徒達の顔が強ばった。  ショーンやポールとて例外ではない。  しかもショーンは今朝、呼び出されたばかりだ。まったく生きた心地がしない。  校長が騒ぎの中心であるメンツのところまで来て立ち止まる。  ショーンのギターを指して、「これはあなたのギターなの?」と無表情な声で言った。 「え・・・。あ、違います。貸してもらったんです」  皆の視線が自然にギターの持ち主に移り、彼は顔を青くした。  ショーンは校長の視線を阻むように立ち位置を変えた。 「彼は悪くないんです。俺が強引に取り上げたんだから」  ショーンはギターを肩から外すと、元の持ち主に返した。  ギターの持ち主は、「強引なんかじゃなかったんです。そこのヤツらが彼に酷い言葉をふっかけてて、ショーンがギターを貸してくれって言ったから、貸したんです。彼は悪くない。悪いのはヤツらだ」とデニス達を指さした。それに同調する声があちこちで上がる。 「静かにしなさい! それが元で騒ぎがこれほどまでに大きくなったんでしょ!」  女性教師が鋭く叫ぶと、再びしんと静かになる。  その女性教師の腕を、校長がそっと触れた。  女性教師も口を噤む。  校長は問題の一団に向き直ると、それぞれの顔をじっと時間をかけて見つめた。  見つめられた方は、どの顔も額に脂汗を滲ませる。  校長は、女ながらに厳しい処罰を下す厳格な人だと町でも評判だった。  校長は靴跡のついたテーブルの上を見つめ、ショーンに顔を向ける。 「テーブルは決してステージなんかじゃありませんよ。人が食事をするところを、あなたは土足で踏みつけた。反省しなさい。罰として、カフェテリアが綺麗になるまで一人で掃除をすること。それまでは帰ることは許しませんし、授業も出ることができませんよ」  ショーンは内心溜息をつく。  掃除もさることながら、授業に出られないとなると大学進学の際、内申書や奨学金の権利獲得に影響が出るかもしれない。  ショーンのような家が裕福でない人間にとって、この時期にこういうペナルティーを課せられるのはマズイ。ましてやショーンは、無断で学校を休んでしまったばかりだ。  ショーンの処罰を聞いて、デニス達がクスクスと小さく笑っている。  そのデニス達に、校長はぴしゃりと言い放った。 「あなた達は、これから校長室にいらっしゃい。じっくりとお話をしましょう。ご両親も含めて」  デニス達の顔が、明らかに強ばり、そして蒼白になった。  それを聞いて、ポールまでもが同情的な視線を彼らに送った。  女性教師に追い立てられながらデニス達がカフェテリアを後にする。  校長もそれに続きながら、ふとショーンを振り返った。 「多少問題の箇所があったにせよ、よくあなたは答えを出すことができましたね。あなたの判断と才能、私は誇りに思いますよ」  そう言う校長の顔は、とても優しくそして穏やかな笑顔だった。  その日の午後、ショーンはひたすら真面目にカフェテリアを磨いた。  自分が汚したテーブルばかりか、デニスに落とされたトレイの中身も全て拾って、床全体を雑巾で拭き上げた。椅子のひとつひとつまで水拭きと乾拭きを繰り返すショーンを見て、「もうその辺にしときな。十分きれいになったよ」と厨房のコック長・トーマスが声をかけてきた。「でも・・・」と口ごもるショーンに、トーマスは顔を顰めて手を振ると、厨房のカウンター近くのテーブルにメニューにはないクリームチーズのパスタを置いて、「食べな。邪魔されて、ろくに食べられなかったんだろう? サービスにしといてやるから」と大きな声でそう言って、手招きをした。  ショーンはカフェテリアの片隅にある洗面台で手を洗うと、好意に甘えて特別メニューを平らげることにした。まかない料理らしいそれは、シンプルだか素晴らしく美味しかった。  一心不乱にパスタを頬張るショーンの向かいに厨房で働くおじさんやおばさん達が腰を下ろしてコーヒーを啜る。 「こういっちゃなんだが、さっきのコンサートはなかなかよかった」  トーマスがご機嫌な笑顔を浮かべてそう言う。皆が口を揃えて「そうそう。あんなに上手にギターを弾く子を初めて見た」とか「歌声も、今時なかなかないような、聴き心地のいい声で」とか言い合っている。 「将来、その才能を活かした方がいい。きっとビル・タウンゼントに続くスターになれるに違いない」 「バカだね、あんた。この子はそのタウンゼントの息子さんじゃないか。今はクーパーがお父さんだけど」 「あ、そうだったか。血は争えないなぁ。道理で俺は出世できないわけだ。俺のオヤジはしがないダイナーの料理人をしてたからなぁ」  ハハハと笑い声が起こる。  ショーンも合わせて微笑みはしたものの、その心中は複雑だった。  皆悪気で言った訳ではないが、やはり本当の父親と比べられるのは辛い。  口の中のチーズがふいに苦く感じた。  放課後、西日の射し込む教室に戻るとポールがずっと待っていてくれた。 「デニス達、とうとう教室に帰って来なかったぜ」  ポールが報告してくれる。となれば、それなりに痛い灸を饐えられたということだ。  ショーンが荷物を纏めている間、ポールがおずおずと訊いてきた。 「おじさん・・・どうしてる? 工場、クビになったって聞いたけど・・・」  ショーンは軽い溜息をつきながら、うんと頷いた。 「でも、大丈夫だと思う。あの人は本当に強い人だから」  今までスコットと過ごしてきた時間が、走馬燈のように頭の中を過ぎる。  涙もろいスコットだけど、いつもその奥には大きな強さを秘めていた。  今でも堪らなく愛おしく感じるけれど、その感情は昨日までのそれと少し違うような気がした。 「それに、あの人はひとりじゃないし。今度は俺が彼を守って行く番だと思う」  ショーンは力強くそう言った。 「今まで一生懸命育ててくれたんだから」  それを聞いていたポールは、ふっと微笑みを浮かべた。 「そうだな・・・。そうだよな。おじさん、本当にいい人だし、皆それを知らない訳じゃないんだし。早く理解してもらえればいいな・・・」  ポールがそう言ってくれるだけで有り難く感じた。  ショーンも、ポールみたいに思ってくれる人がこの町で一人でも多く現れてくれるといいと願った。その為に、自分ができることがあればなんだってしよう。その思いを、ショーンはポールに正直に告げた。  二人でまた抱き合って肩を叩き、教室を出る。 「それにしても・・・」  ポールが口火を切った。 「こんなに歌がうまいんなら、もっと早く言ってくれればよかったんだよ。それなら、僕が舞台で飛んだり跳ねたりするよりも、ショーンのことをカーターさんに推薦したのに」  決して嫌みには聞こえなかった。  ポールは本気でそう思っているらしかった。 「今からでも遅くないよ。カーターさんに聴いてもらったらどうだい? ひょっとしたら、ジョン・シーモアに紹介してもらえるかもしれない」  熱っぽくそう言うポールに、ショーンはまた気まずくなって言葉を濁らせた。 「実は・・・・」  ポールはそれだけで、事の事情を察したらしい。 「なんだよ。もう紹介されてるの?!」  ショーンは益々声を小さくして、「紹介どころか、稽古を見学させてもらってたら、ギター役の役者がケガしたから代わりに出ないかって言われた」と答えた。  ポールがピタリと立ち止まる。  ショーンが二、三歩行った後に後ろを振り返ると、まさにアゴを外したような状態でポールがショーンを見ていた。 「は、はぁぁ~~~~~~?!」  ポールが大声を上げ、中庭にいた生徒達が一斉にポールを見た。  しかしポールはそんな視線など構いもせずにズカズカとショーンに近づいてくる。 「じゃ、こんなところでのんびりしてていいのかよ?!」 「でも、だって、公演は今夜で終わりなんだぜ? リハーサルもしてないのに、無理だよ・・・」 「無理なもんか! 学校休んでた間、ずっと稽古見てたんだろう?!」 「いや、まぁ、そうだけど・・・」 「見てただけじゃ、ギターってやっぱ弾けないものなのか?」 「いや、そんなことないけど・・・」 「じゃ、弾けるんじゃん!!」  ショーンの耳元でポールが怒鳴る。  その瞳は、まるで人が変わったかのようにギラギラしていた。  ポールは昼間カフェテリアでデニスらを一睨みしてからというもの、すっかり強気な性格に変わってしまったらしい。 「町の皆を見返すチャンスじゃないか! ひょっとしてうまくいったら、今日のお昼みたいに、皆が心を開いてくれるかもしれないだろ?! おじさんのことを悪く言う奴が少なくなるきっかけになるかもしれないじゃないか!!」 「そんな上手い話・・・・」 「まだ分からないのか?!」  ポールが真摯な瞳でショーンを見つめる。そして力強い手で、ショーンの両肩を掴んだ。まるでいつもの形勢が逆転してしまったようだ。 「ショーンのギターは人の心を掴むんだよ! 歌声は、その心を動かすんだよ!! 俺が昼間、どれだけ感動したことか・・・・!!」  ポールはそこで絶句すると、意を決したようにフンッと荒く鼻息を鳴らした。そしてショーンの腕を掴むと、グイグイと車の方まで引っ張って行った。  ポールはショーンを車の助手席に突っ込むと、自分も素早く運転席に乗り込んだ。  まるでポールとは思えない荒々しさで、車をスタートさせる。 「お、おい! ポール!! なんだよ、お前!!」  明らかにカーターホールに向かって車を走らせているポールと、彼の危なっかしい暴走運転に怯えながら、ショーンは叫んだ。ポールはショーンに取り合うことなく、「才能をみすみす無駄にしたら、神様の罰があたる・・・」と何度も何度も念仏のように繰り返し呟いている。  車の窓の向こうにけたたましいクラクションや怒鳴り声を聞きながら、ベージュのフォードは怒濤の如く小さな町を駆け抜けて行く。 「ポール! ポール!! け、煙出てる・・・・!!」  ショーンが見つめているバックミラーに映っている光景は、真っ白な煙、煙、煙。  ショーンが窓を開けて顔を覗かせると、たちまち焦げ臭いにおいが車内に飛び込んできた。明らかに、ゴムが焼け焦げているにおい・・・。 「ポール! タイヤが削れてるぞ!!」  後続車の窓に黒い千切れた破片がバチバチと当たり、雨も降ってないのに皆が一様にワイパーを動かしている様は不気味だ。窓ガラスの向こうの顔は、明らかに皆顰めツラで。 「おいおい、ヤバイぜ! タイヤ、パンクする・・・」  顔面蒼白で叫ぶショーンに対して、ポールは恐ろしいほど淡々とした声で答えた。 「サイドブレーキ落とすの忘れてた」 「なにぃ~~~~~~!」  悲鳴を上げるショーンなどお構いなしにポールはサイドブレーキを解除すると、「劇場まで持てばいい」と呟いて更にアクセルを踏み込んだのだった。  燻るような白い煙と共にベージュのフォードが劇場についたのは、開演予定時間より二時間程度前のことだった。  今から劇場内に飛び込んだとしても、ショーンが舞台に上がれる可能性は、ほぼゼロに近い。  でもタイヤ二本をおしゃかにしてまで送ってくれたポールの気持ちを考えると、相手にぶつかる前に敗北を認めてしまうことなど、できはしなかった。  劇場の前の道路にフォードを路上駐車し、二人で劇場のドアまで走る。そこは鍵がかかっていて、入ることができない。  二人は顔を見合わせると、裏口に回った。  ショーンにとっては、すっかり馴染みになってしまった鉄のドアだ。  ドアをノックする直前にスコットのことが浮かんだが、ショーンは構わずドアを乱暴に叩いた。 「クリス! クリス!!」  返事はない。  開演前できっと忙しい時間帯の筈だから、気付いてもらえないのか。  二人でドンドンとドアを叩き続ける。 「クリス! クリス!!」  やっとドアの鍵が外される音が中からした。  随分長い間ドアを叩いていたような気もするし、そんなに時間は経っていないような気もする。  気が焦っているのか、戸惑っているのか。それとも怖がっているのか。ショーン自身にもよく分からなかった。  ギギギと軋んだ音を立ててドアが開く。  長い髪を引っ詰めて一括りにしているクリスが顔を覗かせた。 「おう。スコットなら、もう家に帰ったぞ」  クリスはてっきりショーンがスコットを迎えに来たと思ったらしい。  彼はスンと鼻を鳴らすと、「何かえれぇ臭いな。何のにおいだ?」と顔を顰める。 「タイヤが焦げたにおいだよ。それより、今はスコットを迎えに来た訳じゃないんだ」  ゼイゼイと胸を喘がせながら、ショーンは言う。  クリスが怪訝そうにショーンを見た。 「お願いがあって来たんだ」 「お願い?」  クリスは益々怪訝そうな顔つきをして、アゴの無精ひげを撫でる。  ショーンは震える息で大きく深呼吸をする。  次の一言は、ショーンの人生の中でとても大きな意味のある言葉になることは間違いなかった。  ショーンはちらりとポールを見る。  ポールが励ますように頷いた。  ショーンは、クリスに真っ直ぐ向き直ると頭を深く下げてこう言った。 「今夜俺を、このカーターホールの舞台に立たせてください。ビル・タウンゼントがミュージシャンとして初めて立った、この劇場の舞台に」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!