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act.05
[6]
朝になってショーンが寝床を起き出す頃には、スコットは既に朝食を済ませて家を出て行っていた。
キッチンのテーブルの上には、整然と並べられた朝食の横に『昨夜は、本当にすまなかった。迎えに来てくれてありがとう』と書き置きが置いてあった。
スコットがいつも腰にぶら下げていくツールベルトもなかったので、おそらくきちんと仕事に行ったのだろう。
昨夜の落ち込みようが酷かったから多少は心配だったが、そっとしておいた方がいいような気がして、ショーンもそのまま学校に行くことにした。
いつものようにポールが道の角まで迎えに来て、一緒に学校に行く。
ポールは昨夜のカーター劇場での公演がどんなに素晴らしいロックオペラだったか熱狂的に語ってくれたが、ショーンの頭にまではよく届かなかった。
ショーンの頭の中には、昨日のスコットの顔がこびりついては離れなかった。
だが、学校に到着すると、そういう訳にはいかなくなった。
心なしか廊下をすれ違う生徒達がやけに自分をチラチラと窺うように見ていくことにショーンは気が付いた。
それはいつものショーンに対する好意的な眼差しではなく、冷やかしや好奇心、中には同情的な視線すら感じることがあった。
ショーンはすぐに怪訝に思ったが、ポールは一向にそのことに気づく気配がなかったので、自分の気のせいかとショーンは思い直したのだった。
だがそれは勘違いではなかった。
『薄汚いオカマの息子』
ショーンのロッカーのドアに黒のマジックペンでそう書かれてあった。
一瞬自分の父に対する気持ちがどこからかばれてしまったのかと思ったショーンは、その場に立ちすくんでしまう。
その落書きを見たポールが、怒鳴り声を上げた。
「誰だよ! こんな子どもじみた落書きしたのは!! 一体何を根拠に・・・」
「知らないのか、ポール」
少し離れた場所で、ショーンの反応を楽しんでいたのはデニスだった。
デニスは得意げな顔つきでゆっくりと二人に近づくと、こう言った。
「こいつのオヤジ。昨夜ゲイの集まるバーで大暴れして警察にしょっぴかれたんだぜ。今朝、うちのパパが言ってたよ。こんな身近にもオカマがいたなんて、ってな。オカマの息子とは口をきくなって、注意されたんだ」
ショーンは大きく息を吸い込んだ。
「な、何言ってんの、お前。ショーンのおじさんがそんな訳・・・」
ポールが、ショーンを見る。ショーンは目を見開いてデニス返り見た。
「ショーン・・・?」
ポールがショーンのその表情に怯えを感じて囁く。
ショーンはデニスの襟首を掴むと、物凄い勢いで向かいのロッカーに彼の身体を打ち付けた。グイッとデニスの身体を上に突き上げる。ガシャンという派手な音がして、始業前の廊下は騒然となった。
「よ、よせ! クーパー!!」
デニスは堪らず悲鳴を上げる。
ショーンは鋭い目つきでデニスを睨み上げた。
「それ、冗談で言ってるんだよなぁ・・・?」
デニスの顔色が見る見る真っ赤になっていく。
「よせよ、ショーン! ヤバイって!」
ポールがショーンの腕に掻きつくが、ショーンは益々デニスを締め上げた。
「本当のことじゃないんだろ?」
ショーンの唸るような声に、デニスは今にも死にそうな声で答えた。
「・・・ほ、本当だよ・・・。パパが嘘を言うはずがないもの・・・・」
それを聞いた途端、ショーンはあっけなくデニスを解放した。
ショーンの足下でデニスが激しく咳き込む。
「ショーン・・・、大丈夫か? お前・・・」
心配げなポールの声など、もはやショーンには届いていなかった。
やはり昨夜のケンカは、“ただの”ケンカなどではなかったのだ。
ショーンは、鞄も持たずに学校を飛び出した。
空は、まるでショーンの中の不安を表しているような分厚い雲が覆っていて、ゴロゴロと不気味な音を響かせていた。
これから先の不穏を予感させるように・・・。
学校を出てショーンが向かった先は、ダリルの自動車修理工場だった。
どうしてもスコットに直接会って確かめたかった。今すぐに。
突然の全力疾走にゼイゼイと自分の喉が鳴るのを聞きながら、ショーンの頭は嵐が巻き起こっているかのようにとっちらかっていた。
今までスコットが特定の女性と付き合ったりしなかったのは、彼がゲイだったからなのか。
そして、あのデビッドのいやらしい目つきは、スコットをそういう意味で狙っていたということか。
スコットは家で、そういう素振りを見せたことがあっただろうか。
スコットは・・・スコットは・・・・。
ショーンが工場に飛び込むと、皆が一様に驚いた顔をした。
ショーンは肩で息をしながら、工場の中を見回した。
スコットはおろか、デビッドの姿も見えない。
「おじさん、スコットは・・・」
ショーン自身余りに動揺していたので、思わず父のことをスコットと呼んでいたが、皆そんなことには気づかなかったらしい。
工場中の人間が気まずそうに顔を見合わせた。
ショーンは思わず声を荒げた。
「どうしたんだよ!!」
ダリルがショーンの肩に手を置いて言う。
「スコットには、しばらく休みを取ってもらうようにしたんだ。お前は知ってるかどうか分からないが、悪い噂が流れてる。こっちも客商売だから・・・」
ショーンは目を大きく見開き、息を吸い込んだ。
やはり本当だったのだ。
ダリルの顰め面に昨夜のハウワーの顔が重なった。
皆、はっきりとは言わないが、どこかスコットとは一線を引いたような冷たい目をしていた。
口にするのもおぞましいと思っているのだろうか。
そしてスコット自身もずっとそう思ってきたのか。
昨夜のスコットの横顔。
どうしようもないジレンマと自分の存在を恥じ入るような痛々しい表情。
もし、彼が本当に同性しか愛せない男だとしたのなら、これまで彼はどれほどの苦痛を味わってきたのだろう。
── そんなことにも気づかずに、俺は自分のことばかり考えてた・・・。
ショーンは弾かれたように工場を飛び出した。
恐らくスコットは、こういう事態になることを予想していたのだろう。小さな町だ。噂はすぐに広まってしまう。
一刻も早くスコットに会わなければ。
スコットの顔を見て、彼を抱きしめなければ。
ショーンは痛切にそう思った。
ショーンが家まで辿り着く頃には、パラパラと小さな雨粒が空から落ち始めた。
家の前の路上には見たこともない紺色のピックアップトラックが乱暴に駐車されてある。
家の中からガラスの割れる音がする。その音に被さって、男の怒鳴り声が聞こえた。
声は二人。
一人はスコットだ。そしてもう一人は・・・
「やめろ! よせ! デビッド!!」
「やめろだと?! お前が騒ぎを起こしたせいで、こっちの職も失っちまったんだぞ!! これぐらいの恩は返してもらって当然だ!!」
デビッドの怒鳴り声の後、揉み合うような音がして、ガタンと床に倒れ込むような音が続いた。
スコットの呻き声が重なる。
「・・・よせ・・・、やめろ・・・」
「そっちこそ抵抗はよしな。このままじゃ、膝がまたおしゃかになるぜ?」
「膝は・・・膝はやめてくれ・・・」
スコットが痛みを訴える。
ドアには鍵が掛けられている。
ショーンはバンバンとドアを叩いた。
「スコット!! 俺だよ、ショーンだよ!!」
一瞬、ドアの向こうが静かになった。
そしてスコットの怒鳴り声が響く。
「ショーン、来るな!! 来るんじゃない!!」
「・・・なんで・・・」
ショーンは呟く。
この期に及んで、まだ息子の身の危険を案じるスコットが一瞬許せなかった。
ショーンは再びドアを叩く。
「ここを開けろ!! デビッド、スコットに何するつもりだ?!」
中からドスドスと小麦袋を蹴るような音がして、スコットが呻き声を上げる。
そしてドアのすぐ側で、デビッドの声が聞こえた。
「ガキはそこで大人しく聞いてな。これからオヤジがレイプされる声をさ」
今度こそショーンの血の気が引いた。
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