貌(かお)

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 ふと日が暗くなって、高嶺(ガオリン)は空を見上げた。大鵬(たいほう)が陽射しを遮ぎって上空を飛んでいた。  地べたにいる高嶺には鳥の腹しか見えないが、きっと背中には仙人様が乗っているに違いない。  仙人様が住む山は、この空のどこかに浮かんでいるという。戯れに地上におりた者が、そこへ帰っていくのだろう。  なんとなくその姿を見送ってから、再び高嶺は目的の場所に向かい始めた。  弟の鳴嶺(ミンリン)が、人里離れた山奥に住んでいるのには理由があった。数年前、鳴嶺はたちの悪い病にかかり、視力を失った。両親と高嶺は、香を焚き、神に治癒を願った。  そのとき、通りかかった仙人様が、何をそんなに熱心に祈っているのかと声をかけてくれたのだ。  高嶺達の訴えを聞いた仙人様は、ザクロのような果実を取り出した。種の一つ一つが小さな目の形をしているそれは、食べるとたちまちに視力が戻るらしい。 「だが、この目で治った目は、見えすぎるようになってしまうのだ」  仙人様はそう説明をした。 「およそ人間には欲や悪意を心の奥に潜ませているものだ。その実を口にすると、そういった物が表面に表れて見えるようになる。つまり、人間がすべて見にくい化け物に見えるのだ。それでもその実を食べたいと思うか、よくよく患者に考えさせるがよい」  高嶺は、言われたとおりを鳴嶺に伝えた。  歩くこともままならなかった鳴嶺は、少しためらったものの、結局その実を食べることにした。そして、高嶺を、自分の父母を見て、悲鳴をあげた。仙人様がいうように、家族が吐き気のするような化け物に見えるようだった。  それから、鳴嶺は、人を嫌い、山奥に住むようになった。基本的に自給自足の生活をしているが、それでも服や海の幸など、自分では作り出せない物もある。  弟が無事でいるかの確認を兼ねて、そういった物を高嶺は運んでやっていた。  山肌に作られた細い道を通り、鳴嶺の小屋につくと、戸は開いていた。 「おい、鳴嶺、いるか?」  鳴嶺は、小屋の真ん中で大きな箱をのぞき込んでいた。  高嶺の姿に気付くと、一瞬恐怖と嫌悪に顔を歪ませたあと、部屋の隅に吊るしてあったござの後ろに隠れた。  貴人がみすで卑しい物の視線を避けるように、鳴嶺は醜く見える他人の顔をみずにすむよう、人と会うときはござ越しに会話をするようになっていた。  鳴嶺はもってきた荷物を「ここに置いておくぞ」と床に置いた。 「随分熱心に箱を眺めていたが、どうした?」  人ひとり入れそうな大きい箱は、本来今は着ない着物や、使わない食器などが入れられていた物のはずだった。その中身がすべてその辺りに出されているということは、何か別の物を入れたらしい。 「実は、畑に出たとき変わった落し物を見つけてね。ちょうど今日、それを集め終わった所なんだ」 「落し物?」  高嶺は好奇心に駆られ、箱を覗き込んでみた。  そして、女の生首と目があった。首だけではない。胴が、腕が、足が、ばらばらに入れられていた。 「ひい!」  高嶺が驚いたのが気配で分かったのだろう。弟が笑い声を上げた。 「人形だよ、人形。何日か前、畑で右腕を見つけたんだ。次の日、魚を採りにいったら→足を。それで、あちこちを探してすべて探しだしたんだ」 「それは珍しいことがあるものだ」  覆わず高嶺は首を手に取った。それは大体十六ほどの娘の頭(かしら)だった。なかなか美しい顔をしている。髪は乱れているものの、一応結ってあり、肌は竹が磨いた石のようにすべすべしている。生きていない証拠に、ヒンヤリとしていた。 「よくできているな。組み立ててみていいか」 「ああ、まあ、かまわない」  楽しみを高嶺にゆずるのが少し不満そうだったが、世話になっている負い目があってか、鳴嶺は承諾した。  頭、胸部、両手、腰、両足。床に並べると、バラバラだった部品は自然と吸い付くように一つになった。継ぎ目も溶けるように綺麗に消えていく。  そして、人形はゆっくりと起き上がった。 「これは、ただの人形ではない。きっと、仙人様がお造りになって、地上に捨てた物に違いない」  人形は立ち上がり、ふかぶかと礼を執った。 「ご主人様、ご用をお申し付けください」 「おおお」  鳴嶺は、よろよろとござの向こうからよろめき出てきた。そして涙まじりのうわごとのように呟く。 「こいつはちゃんとした人間に見える! 化け物ではない!」  高嶺は驚いたが、考えてみれば当然だ。相手は心をもたない、ただの人形なのだから。  仁花(レンレン)と名付けられた人形は、そのまま鳴嶺の小屋に置かれることになった。  自分以外の人間が化け物に見える鳴嶺とって、並の女性より美しい仁花は癒しだった。 「食事の準備ができました」  小屋に帰ると、かまどで仁花が山菜を入れた汁を作っていた 「ありがとう、盛りつけて、持ってきてくれ」  床に座りながら鳴嶺は言った。 「はい」  無表情に仁花は言われた通りにする。  人形は食事をとらない。仁花は、自分の器も箸も持たず、鳴嶺の隣に座った。 「畑に、見たこともない花が咲いていたよ」 「そうですか」  普通なら「何色ですか」とでも聞く所だが、仁花はただいつもと同じような相槌(あいづち)を打つだけだ。   でも、話しかける相手すらいなかった鳴嶺には、その適当な相槌すら心地よい物だった。 「仁花は、人間の行動を学ぶのかもしれない」  吊るしたござの向こう側で、鳴嶺は訪れた高嶺に言った。  自分が話題になっているのを知ってか知らずか、仁花はただ高嶺の隣に控えている。 「行動を学ぶ、とは?」 「ああ、最初はこちらの呼びかけに、相槌をうつだけだった。けれど、今は簡単な会話ならできるようになってきた」  前と違い、花の話をすれば「どんな花ですか」と、寒くなってきたといえば「もう冬ですね」と応えるようになった、という。 「仙人様の作った人形だ。人の子のように学習してもおかしくない」  そう答えた高嶺は、そこで思わず笑みを浮かべた。 「それにしても、冬用の厚い着物を持ってこいとは。そうとうその人形がお気に入りとみえる」  物とはいえ裸にしておくは憚(はばか)られて、一応着物を着せてはいる。相手は寒さを感じないのだから、季節に合わなくなったとはいえ、買い替える必要はないと思うのだが。 「はは、その薄い着物ではこちらが寒そうでな」 「……」  そこで急に高嶺が黙りこんだ。 「どうした?」 「……。いや、なんでもないんだ。もう帰ろう」  何か言いたげなまま、高嶺は小屋を出ていった。  流行り病が辺りを襲ったのは、その冬の事だった。かかった物は気脈が乱れ、重篤( じゅうとく)になると火の前にいながら凍死してしまう。普段、人里におりない鳴嶺がその病にかかったのは、本当に運が悪かったとしか言いようがなかった。  仁花がしいた布団に横たわり、鳴嶺は震えていた。歯の触れ合う音が、雪の酷い静寂の中で響いていた。 「……」  仁花は、黙って鳴嶺を見つめていた。  普段笑いかけてくれる口は、苦しげに引き結ばれている。自分の顔を映してくれる目も、きつく閉じられていた。  言葉にすれば、「嫌だ」という感覚が、ふと胸の奥にきざした。自分がこうあるべきと思う理想と違う現実を、強く否定する感情。  小さな種火のようだったその感情は、焦げるような熱になって仁花の体に回っていった。  溜息をついたとき、それが白い霧になって立ち昇っていったのをみて、目を見開いた。そして、自分が目を見開き驚いたことに、驚いた。今まで、息が白くなったことも、驚いたこともなかったのだから。  どういうわけか、仁花は人のような温(ぬく)みを持つようになっていた。これならば、主を温められるかもしれない。仁花は、主の布団の中にもぐりこんだ。  裸で雪山に立っているような寒さが和らいだような気がした。暗闇の中に沈んでいた意識が、ぽっかりと浮上する。ひどく喉が渇いていた。  いつの間にか朝になっているようで、窓から光が差し込んでくる。 「仁花……」  水を持って来てもらおうと名前を呼ぶ。  もぞもぞと隣で何かが動いた。  そこにあったのは、皮をはいだ肉をくっつけ、小山にしたような塊だった。ところどころ、血管が通い、色が不気味に変色しているのが、なんとも不気味だ。その肉塊は、襲い掛かろうとするように立ち上がった。 「うわあああ!」  顏をそむけ、追い払おうとするように両手を振り回す。  人が化け物に見えるという自分の業を忘れ、鳴嶺は叫んだ。 「出ていけ! 化け物め!」  化け物は、意外とも思える速さで小屋の外へと出ていった。  いつもの通り、高嶺は山道を登っていた。最近、この辺りでは病が流行っている。弟が無事ならばいいが。  木の影で、何かが動いた。  猟師に追われる獣のような必死さで駆ける、仁花だった。枝が肌を傷つけているのにも気にしていない様子だった。 「仁花?!」  高嶺に気付いた彼女は、薄い笑いを浮かべた。 (笑った……あの仁花が)  今まであの人形はにこりともしたことがなかったのに。  仁花はまたすぐに駆けだした。  不吉な物を感じ、高嶺は後を追う。  山道に、風が吹いた。  河を見下ろす崖の先端に、仁花は立っていた。  高嶺が近づいてくるのに気づくと、振り返る。 「主(あるじ)を頼みます。もう、病は治ったと思いますが」 「え……?」 「あの方はもう、私をそばには置いてくださらないでしょうから」  ふわりと仁花の袖が風に舞った。彼女の体が傾き、虚空へと落ちていった。  まさか崖を伝って降りるわけにはいかず、高嶺は山道を迂回しながら河へと向かっていた。目的地までさほど距離はないはずなのにあまり人の通らない道であり、草や低い木にじゃまされ、なかなか進めない。  どこからか、聞きなれた鳴嶺の声がした。 「おーい、おーい、仁花!」 「こっちだ!」 声で居場所を知らせながら進むうち、高嶺は河に辿り着いた。 河原の上にちらばっていたのは、彼女の手、頭、胴、足……  追いついた鳴嶺が後ろから現れ、とっさに高嶺は自分の姿を隠そうとした。この姿を見たら弟は怖がるだろう。  目の前の光景をみて、鳴嶺はその場に座り込んだ。どうやら、衝撃のあまり高嶺の姿も目に入っていないようだ。  久々にござ越しではない弟は、当然のこととはいえ少し老けていた。そして、なによりも茫然として見えた。 「いったい、何が起こったのだ」 「忘れていた。俺には人が化け物に見えるのだ」 ――あの方はもう、私をそばには置いてくださらないでしょうから―― 高嶺は、仁花の身に何が起こったのか、それで分かった気がした。 (恐れていたことが起こってしまったのか)  会話ができるようになった、と弟が言ったとき、高嶺に浮かんだのが、仁花に心が生まれるのでは? という怖れだった。  石木(せきぼく)でさえ、歳を古(ふ)ると命を得るという。ましてや仙人様が作った人の形をしたものに、毎日話かけていたのなら、心が生まれない方が不自然ではないか。  鳴嶺は、震える手で仁花の首を抱え上げた。 「ああ、やはり、仁花は人の顔をしている」  涙をこぼしながら、鳴嶺は仁花の首を胸に抱いた。 (ああ、そうか。ただの物に戻った今、鳴嶺の目には仁花が人に見えるのだ)  人形が人の心を持つのなら、魂も生じたのだろうか。壊れた仁花が霊になるのなら、きっと鳴嶺の目には化け物に映るに違いない。  鳴嶺泣き声を聞きながら、高嶺はぼんやりとそう思った。  鳴嶺の腕の中で、仁花の首は、かすかに、だが確かに微笑んでいた。
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