第 一 章 8

1/1
115人が本棚に入れています
本棚に追加
/83ページ

第 一 章 8

 あたしは目標にしていたチャンピオンシップポイントをかけてレースに挑んでいた。目標ポイントを達成できたら、スポンサーになってくれるって人がいたんだ。  それなのにあたしは、前戦を転倒リタイヤで終えていた。しかも転倒の際に左足首を骨折して、完治には程遠い状態でその日を迎えていた。  バイクに乗る直前まで松葉杖を突いている有様だったけど、レースは待ってくれない。ポイントを獲得するための強行参戦だった。  レース終盤。あたしは目標の順位をキープしていた。このままフィニッシュすればスポンサー獲得。ヘルメットの中で目標達成を確信した、その時だった。  マシントラブルでも起こしたのか、どっかの大バカ野郎が撒き散らしたオイルに、あたしは不幸にも乗ってしまった。コーナーの進入で、バイクが足元から消えるように、唐突に転倒した。油断したわけじゃない。回避不能のアクシデントだった。  悪態をつきながらアスファルトを滑走していると、ふいにあたりが陰った。あたしは反射的に空を仰ぐと、バイクのシルエットが黒々と浮かび上がっていた。  次に気がついた時、あたしは病院のベッドの上だった。  転倒した拍子にバイクが高く跳ね上がった。そこまではよくあることだけど、不運にもあたしめがけて落ちてきた。  幸い直撃は免れたけど――直撃なら死んでいた――最悪なことにバイクは怪我を負っていた左足に落ちた。足首を再骨折。膝の骨は砕け、大腿骨まで折ってしまった。大手術して、折れた大腿骨はチタンプレートとビスで繋ぎ、砕けた骨はワイヤーでぐるぐる巻きにされた。  あたしは懸命にリハビリして、半年以上かかって日常生活を送れる程度には回復した。バイクにも乗れる。乗れるけど、レースができる体には戻ってくれなかった。  あたしの左足は踏ん張りが効かず、足首はうまく動かせなくなっていた。ギアチェンジするには左足首を動かし、つま先でシフトレバーを上げ下げする。バイクを安定的に走らせるには、下半身をバイクに固定して上半身を支えてやる必要がある。  そのどちらもできなくなっていた。ライダーとして致命的だった。  かくして、あたしのレース人生はあっさりと終わった。  同時に、あたしと森屋のコンビは解散になった。  病室に顔を見せた森屋に、あたしは言った。  もうレースには復帰できないって。無理なんだって。リハビリでどうにかなるって怪我じゃないんだって。そういうわけだから、悪いけどもうトランポの共有はできない。  丸椅子に腰掛け、無表情でいた森屋は「わかった」と小さな声で言った。  そのままあたしたちは言葉を交わさずにいた。ずいぶん長いこと、そうしていたと思う。  ふいに森屋は立ち上がり――帰るよ。  あたしは反応しなかった。固定具に(はりつけ)にされた自分の左足を、ただ見つめていた。 「海」  その低い声。あたしは顔を上げる。  森屋は病室のドアを背にして、まっすぐに立っていた。 「ありがとうございました」  腰を折り、深く頭を下げた。あっけにとられた。なんだよ、(やぶ)から(ぼう)に。  それから森屋はぱったり姿を見せなくなった。  それを冷たい、なんて思わない。来シーズンに向けて、あたしの代わりなり、資金集めなりに奔走しているんだろうなって、目に浮かぶようだったから。  森屋らしいじゃない。  レースは、こういうトラブルによる別れも多い。あたしと森屋の間に友情なんてものがあるとすれば、カラっとしたものだ。  あたしも下手したら車椅子になるって言われていて、リハビリに必死で、正直森屋どころじゃなかった。  かくして、5年続いたあたしと森屋のコンビは終わりを告げた。  ほどなくして、エントリーリストに森屋の名前が無いことを知った。あたしの代わりは見つけられなかったらしい。  そうだ――
/83ページ

最初のコメントを投稿しよう!