第 四 章 1

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第 四 章 1

f92553fe-8d01-4a17-9422-b61272eeac74 「言い訳があるなら、聞いてやる」  なによ、言い訳って……。  社長の言いぐさにムカっときたが、ぐっと堪え、息を多めに吸って口を開く。 「銀太郎寿司さんが閉店するって不測の事態が起こって……そのカバーができなくて」  営業終了後の、モトムラサイクルでのミーティング。あたしは先月のモトムラモータースの売上げ目標を達成できなかった。お得意さんだった宅配寿司チェーン店が閉店したのは痛手だった。宅配バイクの整備仕事が、いっぺんに無くなってしまった。 「そんなのは言い訳にならんな」 「でも、向こうも本部から急に閉店って言われて、だからこれは不測の事態で……」 「不測の事態があってもいいように、売上げ想定を多めに見積もっておくのがおまえの仕事だ。得意先がひとつなくなったくらいで、目標に届かなくなるとはどういうことだ」 「そうだけど、現状の仕事で手一杯で……」  あたしはテーブルの上に置いていた手を膝の上に動かした。  同席してる智さんが、はらはらとあたしと社長を交互に見ていた。  ミーティングはいつもこんな調子だ。智さんは針の筵に座る思いだろう。 「そうだな。おまえにはレースにかまけてる時間はないんじゃないか」  結局言いたいのはそれ? 社長は、あたしが提出した資料に目を落として続ける。 「レース部門の売上げなんて、全体の一割にも届いてないな。その割にかけてる時間は大きいな。こういうのを不採算事業と言うんじゃないのか」  そう言ってトンと資料を指で突く。 「レースなんかやってる場合じゃないと、何度言ったらわかる」  あたしは膝の上の手をきつく握りしめる。どうしてレースなんか、なんて言うんだ。自分だって、昔はレースに心血注いでたじゃない。 「嫌味ったらしいなぁ……」 「海さん」  智さんが身を乗り出して止めようとしたけど、あたしは構わず声を 荒らげた。 「レース部門潰したいなら、はっきりそう言えばいいじゃない!」  あたしがまともに睨み付けても、社長は眉ひとつ動かさない。 「次のミーティングまでに、目標を達成できるようにしっかりと考えておけ」  社長は立ち上がり、タバコ吸ってくる、と事務所の向こうに消えた。 「すみません、智さん。迷惑ばかりかけちゃって」  いたたまれない視線を向けられる前に、あたしは謝ってしまう。  智さんは首を横に振り、肩越しに事務所を見やってから、声を潜めて言った。 「僕も、社長は少し言い過ぎなところがあると思います」  やさしい人だな。しみじみとその面差しを見つめてしまう。  癒し系って言われそうな雰囲気を持った人だけど、かなりヘヴィーな人生を送っている。  智さんは人の良さが災いして他人の借金を背負わされ、家庭崩壊を招いてしまった。奥さんは子供を連れて実家に帰ってしまい、智さんは身を削るように働いた。そんな最中に立て続けに両親を亡くしたそうだ。生命保険金で借金は返済できたが、両親の命と借金を引き換えにしてしまったようだとひどく悔やみ、生きる気力を失ってしまった。  そんな時に地元の消防団を通じて社長と出会った。もともと智さんは自転車販売をしていて、お互いに渡りに船だったようだ。  社長は智さんをモトムラに招き入れ、その恩義から、智さんは社長も目を見張る働きぶりをみせ、もともと有能な人だったんだろう、モトムラサイクルのオープンの立役者になった。  社長はなにげに浪花節だ。でも、それはそれ、これはこれだ。 「目標を達成できない、あたしが悪いんですけどね……」 「それなんですけど海さん、銀太郎寿司さんの他店舗のジャイロ、うちで整備をやらせてもらえないんですか?」 「でも、他の店舗はうちから遠いし、もうほかのバイク屋が入ってるんじゃ……」 「そう判断するのは時期尚早かもしれません。銀太郎寿司の担当さん、海さんの仕事ぶりを評価してくれていたじゃないですか。売り込んだら、またうちに整備委託してくれるかもしれないですよ。遠くても、上手にスケジューリングすれば回せると思います」 「……そうですね。やりもしないううちに、あきらめちゃ駄目ですよね」  親孝行できなかった苦い経験から、智さんはあたしたち親子の仲を気にかけてくれている。こうして社長に内緒で味方してくれる。内緒なのは、社長からあたしに手を貸すなと言われているからだ。  どうも社長は、あたしにはモトムラモータースの運営などできないと思っているらしい。確かにあたしには商才がないのかもしれない。納得できないことを飲み込めないし、たった今、思慮の浅さを指摘された。  社長は、あたしがモトムラモータースの運営に行き詰まり、レース部門から撤退せざるを得ない状況になるのを待っているらしい。自分で潰してしまえば撤退を飲まざるを得ない。そういう算段。  そもそも、レース部門から本気で撤退したいのなら、問答無用で撤退してしまえばいいんだ。社長にはその権限がある。そうはせず、あたしが納得できるような方法を取るのが〝父の優しさ〟らしい。  なんと社長は、あたしの将来を気にかけてくれていて、モトムラをあたしに継がせたいらしい。驚いたことに、あたしのためにお金まで蓄えてくれているそうだ。  なんでそんなことをあたしが知っているか。他でもない、智さんの密告だ。  社長はよく智さんを連れて飲みに行くのだけど、酷く酔っ払った社長がもらしたそうだ。いい加減に名前付けたこと、厳しくし過ぎたことを、多少なりとも後悔しているらしい。  最初、仲直りさせるための、智さんの方便だと思った。あの社長が、あり得ない。 「嘘じゃない、本当です」智さんは、初めて見る真剣な表情で言った。  最近、社長は体が言うことを聞かないことを嘆いているらしい。あれでも今年で67。あと三年もすれば70で、老人と呼ばれる年齢だ。人生の終着駅の気配を感じて、気弱になっているのかもしれない。 「社長は、海さんとの距離を縮めたいって思っているんですよ」  言われてみればこの二、三年、社長に声をかけられることが増えた気がする。気がするって程度だけど。  これって、ともすれば頑固親父と娘が和解する美談にでもなるのだろうか。  ――冗談じゃない!
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