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第 四 章 2
あたしは怒りを覚えた。散々厳しくしておいて、今さらになって父親らしいことをしたいなんて、身勝手にもほどがある。
一番頭にきたのが智さんを婿養子にとりたがっていることだ。あたしの夫として!
智さんに店を継いでもらい、あたしは家庭に入る。そして自分は引退。そういう腹づもりらしい。
智さんはちょっと頼りないところがあるけど、信頼に足る人だし、このとおりあたしよりよっぽど仕事ができる。
でも同僚以上の気持ちを持ち合わせていない。それに智さんには復縁の話がある。それを社長に伝えようした矢先に婿養子の話をされて、未だに伝えられていないらしい。このへんが頼りないんだけど、なにより智さんに失礼じゃないか。
結局、社長は自分の思う通りにあたしを動かしたいんだ。根っこの部分では、なんにも変わっていない。反吐がでる。
悪態をつくあたしに、智さんは言った。
「そんなこと言わないでください。海さんが事故に遭われたとき、社長、ほんと尋常じゃなかったんですよ」
引退の原因になったあのクラッシュ。あたしは三日ばかし意識がなかった。押しつぶされた左足の内出血が酷く、ショック状態に陥り、一時はやばかったらしい。
「真っ青になって全身を震わせて、あんな社長初めてみました。口にはしませんが、海さんを失いかけて、きっと海さんへの気持ちに変化があったんですよ」
「それじゃあなんですか。社長はあたしが死にかけて、あたしへの愛情に目覚めちゃったってわけですか。お涙頂戴ですね」
「海さん」
茶化して言ったあたしに、智さんは咎めるように語気を強めた。
「社長のことをよく思わないのはわかります。今更って気持ちもわかります。でも僕には失う怖さがわかるんです。僕はたくさんのもの失って、そこでやっと初めて失ったものの大切さに、自分の馬鹿さ加減に気づいたんです。だから……」
「……そんなこと言われたって、どうすればいいんですか。そもそも社長が悪いって言うなら向こうから謝るべきじゃないんですか」
「……海さんの仰るとおりです。でも社長、ほんと岩みたいに頑固ですから……」
でも海さんにだけは、と智さんは付け足し、眉をハの字にして苦笑いする。
「あきれるほど不器用なんですよ。社長はちゃんと海さんのこと考えていますよ。それだけはわかってあげてもらえませんか。大切なものを失う。そう気づいた時には、たいてい手遅れなんです」
確かに、手遅れなのだろう。
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