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第 四 章 5
* * *
1周840メートルのコースは、降りしきる冷たい雨に打たれていた。
晶がテントの下から鈍色の空を覗き込む。
「こりゃあ中止になってもおかしくねぇな……」
HRCミニバイク選手権第4戦、桶川スポーツランドラウンドは荒天に見舞われていた。
予選が終わり、決勝レースまでの待ち時間。あたしは晶と顔を合わせていた。
「知り合いの伝で、手に入れた」
そう言って晶が差し出したのは、ビニールカバー付きの封筒。
「なに?」
あたしは封筒を手に取ったが、晶は掴んだまま離さなかった。
「結構きついっていうか……俺はきつかった」
あたしはしばし封筒をじっと見つめ、
「かして」
封筒を取り上げ、中の物を取り出す。
写真だった。一瞬、気が狂った芸術家が創った、悪趣味なオブジェに見えた。
左側を上にして無造作に横倒しにされた、激しく損傷したバイクの写真。
前輪を支えるフロントフォークとフレームとを繋ぐ、トップブリッジと三つ叉が折れ、首が落とされた魚のように、車体から離断していた。フロントタイヤは外れ、ホイールは潰れた空き缶のようにくしゃくしゃになっている。ブレーキディスクはバラバラに割れてしまったのか、根本の部分しか残ってない。
原形を、とどめてない――
トップブリッジも三つ叉も、手に持つと、ずっしりとした手応えのある頑丈なパーツだ。それが折れるなんて、想像を絶する衝撃に襲われたことを物語っていた。
あたしは口元をきつく掴み、喉を動かして唾を飲む込む。
こんなになってしまったバイクに人間が、森屋が乗っていた。
「何人かに話し聞けたけど、新しい情報はなかったよ」
森屋の死は、単なるクラッシュだったのか、そうでないのか――
あたしたちの知りたいこと。
鈴鹿で協力すると言ってくれた晶は、すぐに動いてくれた。
森屋の事故があった都筑サーキットは晶のホームコースで、関係者に知り合いが多い。
「あと、知り合いが警察にかけあってくれることになった」
「それって、事故の調査資料を見せてもらえるってこと?」
「うん。正直、難しいと思うけど」
確かに、警察が身内でもない人間に捜査資料を見せてくれるとは思えない。
探偵でもないあたしたちが、仕事をしながらでは限界がある。あたしたちの真相究明はあっさりと頓挫しようとしていた。
「海……?」
あたしは写真に目を凝らし、真相を探し求めた。
事故の原因がマシントラブルならいいんだ。マシントラブルなら不幸な事故。それですべてが片付く。見るべきはブレーキだ。ブレーキがまったく効かなくなるという、想像もしたくないトラブルは、世界選手権でもまれに起こる。
――わからない。
そもそもブレーキ自体が損傷によりなくなってしまっている。次にアクセル。アクセルが戻らなくなるというトラブルもままある。
――駄目だ。アクセルがある右ハンドルが下になっていて写っていない。
「俺も、よく見たけど……損傷がひどくて、なにもわからないんだよ」
あたしのしていることを察して、晶が言った。その通りだった。写真で事故原因の特定なんて無理があるし、写っていないところが多過ぎ――
「待って……晶。この写真……なんか……」
ど忘れした時のように、言葉が続かない。そのもどかしさに苛まれながら、
「……違和感、ある」
「違和感って、どんな?」
なにかが違うのに、その違いを知っているはずなのに……
「わからない。……わからないよ」
晶は大きく嘆息して、つぶやく。
「やっぱり、迷宮入りなのかもな……」
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