第 一 章 7

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第 一 章 7

     * * *  三次会を断って家に帰ると、あたしは着替えもせずノートパソコンに向かい、森屋の名前を検索した。  〝森屋〟だと引っかからずフルネームを入力すると、あたしと森屋の共通の知人が書いたブログと、数件のニュースサイトに辿り着いた。  ブログは森屋の死を悼み、ニュースサイトは森屋の事故死を定型文で伝えていた。  警察の現場検証が入ったこと。検死にかけられたこと。死因は頸椎骨折で、オダケンの言う通り……即死だったこと。  その後を伝えるニュースは見つけられず、夜も更けていたが、あたしは森屋が所属していたレーシングチームの監督に電話をかけた。  ひさしぶりだなぁと明るい声の後、今さっき森屋のことを知った、と伝えると声を失っていた。  監督だけあって、事故についてよく知っていた。  警察は事故を目撃したマーシャルから事情聴取をした。マーシャルとは、各コーナーで待機し、クラッシュ発生時にライダーの救護やバイクの回収にあたる係員のことだ。 『ホームストレートから真っ直ぐ1コーナーに突っ込んだ』ここまではオダケンに聞いた。  『減速した様子がなかった。ブレーキをかけたようには見えなかった。一瞬のできごとで、正確にはわからない』  この証言が、自殺を疑われる原因になったらしい。マシントラブルでもない限り、ノーブレーキでコーナーに突っ込むなんて、自殺行為以外のなにものでもない。その一方で、遺書とか、自殺を示唆する物は見つかっていない。  森屋のバイクも検証にかけられた。  真っ先にブレーキの整備不良が疑われたが、ブレーキディスクはバラバラに割れていたらしい。クラッシュの衝撃で割れたのか、衝突する前になんらかの理由で割れ、ブレーキが効かずクラッシュに至ったのかは不明だった。バイクの損傷は激しく、それ以上検証のしようもなかったらしい。  整備ミスなら事件沙汰になり得るが、その日、森屋はひとりでサーキットに訪れ、自分でバイクを整備して走っていた。サーキットは極めて明確に自己責任が求められる場所。警察はさっさと原因不明の事故と結論づけて事件に幕を下ろした。  著名人ならいざ知らず、無名の、しかもプロ未満のライダーの死亡事故なんて、毎日起こる交通事故と同じだ。事故調査委員会など組織されるはずもなく、不幸な死亡事故として処理され、新聞とネットの片隅に事故の記事が小さく載り、それで社会的に終息。そして世間から忘れ去られる。  後に残るのは、自殺だったのかも知れないという疑念だけ。  そして、事故の状況が漏れたのか、憶測がひとり歩きしたのか、原因はわからないが、森屋の死は自殺だったという噂がパドックに広がった。  あたしは電話を切り、部屋を出て階段を降りる。台所の冷蔵庫を開け、発泡酒の350缶を一本手にして、少し考えて、もう一本取る。 「帰ってたの?」  肩越しに振り返ると、寝間着姿の母だった。 「海ちゃん、顔色悪いんじゃない?」 「ああ、うん…………」  この歳になってもちゃん付けで呼ぶ母に、あたしは生返事をして自分の部屋に戻り、後ろ手で(ふすま)を閉じる。突っ立ったままプルタブを引いて発泡酒を呷り、一気に飲み干す。醒めていた酔いがより戻してくる。あたしは崩れるように畳に腰を下ろした。 「ぃつ――」  左膝に不快な痛みが走る。  二本目のプルタブを引いて一口含み、あたしは鈍く痛む膝をさすった。  あれは二年前、冬も間近に迫った、シーズン最終戦だった。
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