赤い花の番人

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赤い花の番人

   薄明りの朝、ユキは目を覚ました。  吐く息は白く、布団からは出たくなかったが、ユキは早く起きなければいけなかった。  ユキは昨晩のうちに準備した包みの中身を確認した。―ほんのりと塩をまぶしたおにぎりが二つ。白磁の酒瓶。しっかりと栓をしているのに酒のにおいがする。鼻を通り抜け、また布団に転がっているような感覚になった。しかし、そんなのはすぐに寒さがかき消した。ユキはすぐに立ち上がり、水がめから盥に水を入れて、顔を洗う。凍てつく冷たさがなぜか心地よかった。顔を布で拭き、ふと窓から差し込む朝日を見た。  ユキは白い絹の着物を着て、赤の帯に銀色の鈴をつけた。  シャララララ…  細かい銀粒が鈴の中でぶつかり合うような音が、優しく透き通っていた音がユキに元気を届けてくれているように思えた。  ユキの住む村の近くの山に「赤い花の番人」と言う姿を全く見せない民がいた。彼らはもともと異国の人間で故郷を追われた流浪の民だった。彼らも気を使い、村の邪魔にならないように生活をしていた。  村では作物が育つのに難しく、クマやシカなどの毛皮や肉をウマで二、三日かかる町まで届け、売りに行くことで生活が成り立っていた。とある日、流浪の民の子が山で倒れているのを見つけ、村の男が助けたことがあり、そのお礼に村の人間が見たこともない「赤い花」が届いた。その「赤い花」は目を見張るような美しさで香りがよく、村の人間は何か新しい売り物ができるかもしれないと思った。流浪の民の持つ「赤い花」の種はこの作物が育ちにくい土地に適応し、良く育っていると話を聞いた。試しに香りを抽出して香料を作ったところ、町の人間に気に入られた。流浪の民も快く、協力し、「赤い花」をたくさん育て互いに生活を始めた。その頃から、「赤い花の番人」と呼ばれるようになった。  しかし、「赤い花の番人」は醜い姿をしている、と言われている。長く共に生活をしてきたが見た者はほとんどいない。そして、もう最後の一人になってしまった。  ユキはその最後の「赤い花の番人」の花嫁になることが決まったのは小鳥さえずる春になってからのことだった。  ユキの唯一の家族だった祖母は冬に亡くなってしまい、一人で生活をしてきた。  読み書きのできたユキは子どもたちに教えたり、物語を読んで聞かせ、村の子守役だった。しかし、村の一番の稼ぎである「赤い花」がなくなるのは、村の生活の危機であり、村人は泣く泣くユキに頼み、受け入れた。  ユキには恋人がいた。  しかし、ちょうど町へ香料を届けに行ったばかりで、最後の挨拶ができなかった。  ユキは森を進んだ。  (…「赤い花」のにおいが強くなっていく…)  背丈ほどある林を抜けると、そこには一面、「赤い花」でいっぱいだった。  「わあ…」  思わず声が溢れる程の美しい景色だった。  ―すると、カサカサ、と花が揺れた。  ユキは、はっとして身構えた。  そこにいたのは伸び放題の黒髪の小麦色をした少年だった。  少年はユキの方を向いて、目が合った。はじめて見る黄色の瞳はオオカミの目を思い出し、ユキは背筋が凍った。  「やあ」  少年は朗らかな声で挨拶をした。  「…初めまして」  「うん、そうだね。初めまして」  呑気な雰囲気がユキは少し拍子抜けをしていた。しかし、ユキはここまで来た理由が頭をよぎり、肩に力が入っていた。  「わたしは、あなたの嫁になるために参りました、ユキです。何卒、よろしくお願い申し上げますっ」  ユキはお辞儀をした。自分が口にした言葉を改めて思い出し、耳が赤くなるのを感じ、目をぎゅっと閉じた。何も言ってこない―。ユキはゆっくりと目を開き、裸足の汚れた足を見た。そのまま、ゆっくりと腰を上げて、目線をあげていくと、鮮やかさを失った紺色の着物は土で汚れていて、裾は擦れている、その少年はと言いうと、ぽかんとした顔をしていた。  ―村の者が伝えてない?  ユキは、今度は不安になりつつも、再度赤面していた。  「…そう言えば、そんな話をしていたような…まあ、来てしまったんだし。おれはアスラ。ユキ、これからよろしくな!」  右手で頭の後ろを掻き上げながら言う、このアスラと言う少年。ユキは地面に目線を移し、見つめていた。  アスラはその日から「赤い花」のことをいろいろ教えてくれた。もともとは異国の花だが、この地は水はけがよく、風がよく抜けて、虫もあまりつかずに育てられた。ユキは白い絹の着物を脱ぎ、アスラと一緒に花の手入れをした。アスラは醜いどころか、太陽のように明るさを持つ少年でユキもいつの間にか一緒になって笑っていた。  村の人々はなぜ醜いと言っていたのだろうか?  オオカミに似た目のせいだろうか?  小麦色の肌のせいか?  ユキの村はみんな、淡い桃色のような白い肌をしていた。  ユキとアスラは木陰で昼食をとることにした。  ユキは持ってきたおにぎりを渡し、アスラは魚を焼魚にして、ユキに渡した。  夜になり、ユキは持ってきた手鏡で自分の姿を見た。髪の結いを解き、少し櫛を通した。  アスラとユキは一緒に横にはなったが、互いのぬくもりを感じながら深い眠りに落ちた。  そんなのどかな日々が続いた。  花の世話をしていたら雨が降り出し、二人は家の中へ入った。 アスラは窓から見える雨雲を眺めていた。その時、雷が鳴り、ユキはアスラに抱き着いた。アスラは驚いた顔をしたが、にかっと笑った。  「こわいのか? ユキ」  「こわい…」  ユキはゆっくりと顔を上げ、アスラをじっと見つめた。  「わたしを好いていないのかもって、思うと…こわい…」  アスラはすっと真顔になり、ユキを見た。  「…夫婦になりたいのはわかるが…そんなに急かさなくても…」  「…じゃあ、嫌いなのですか?」  ユキは声に力を無く言った。  「…実はな、ユキ。お前さんに話さなくてはいけないことがあるんだ。おれはもうすぐお前さんの前から消えなくてはならないんだ。」  「え?」  ユキはアスラの手を掴んだ。  「この土地からいなくなるのですか? …わたしはただの役立たずになってしまいます。村の役目を果たせません…」 アスラはユキの肩を両手で掴み、黄色の瞳に温かみを感じた。  「ユキ、おれの一族は神様に愛され、あの赤い花をもらったのさ。何世代にも渡って守って来た…それは、おれのご先祖様から続く、赤い花の根に亡くなったら、一緒にし、花になってまた一緒になる、と言う習わしからそうしてきた…おれのじいちゃんもばあちゃんも、父ちゃんも母ちゃんも妹も、亡くなった時には赤い花の下に埋めて、より家族のように一緒に暮らしてきた…この考え方を気味悪く思う人は多いけどな…」  ユキは村の人が嫌う訳がやっとわかった。  「この赤い花は広くに伝わり、もう普通の人間も育てている。おれは番人から解放されて、旅に出たいと思っていた」  「…わたしから逃げるのですか?」  「…いや、違う。お互いに自由に生きることを考えよう。それに、ユキ。お前さんには本当は恋人がいたのだろう?」  ユキは目を伏せた。  「…村の人間に確認したのさ。なかなか話さなかったけどな…」  「…わたしもお供します、だって、わたしは村に戻っても…恥をかくだけです…それにあなた様を好いているのですから…」  「ユキ、人に言われたままに生きてどうする? 自分のためにならないことはしないものさ」  アスラはまたにかっと笑った。 「お前さんに、育て方を伝えた。それにこんな美しい娘さんと出会えておれはしあわせだった…帰りはあのきれいな音の鈴をつけて歩くんだぞ。あれはクマ除けだ。村の人はお前を大事に思ってつけたのだろう。家に帰る気持ちでいてで帰るんだぞ…それじゃな!」  アスラは体を震わせ、白い鳥になり、家を飛び出した。  ユキは慌てて追いかけるが、白い鳥は空高く飛んで行った。
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