プロミネンス・イヴ

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プロミネンス・イヴ

スマホのアラームの軽快な音階で意識が覚醒する。がばり、と起き上がって手を伸ばした先のカーテンを力任せに引く。起き抜けの意識に眩い朝の陽光が、まだ微睡んだままの眼球に痛みを以て容赦なく突き刺さった。 二、三度瞬きを繰り返しその刺激を十分に受け止めると、頭が冴えてくるのが分かる。今朝の目覚めも良好だ。ベッドから抜け出し、壁に掛けてある制服を手に取り慣れた動作で袖を通していく。 今日は転校初日。けれど制服が間に合わなかったせいで、来週までは今までの制服で通学することになっている。しばらくは奇異の目で見られることになるだろうが、そこは仕方がない。本当なら目立つようなことは避けたいのだけれど。 身支度を済ませてから家を出ても、時間にはだいぶ余裕があった。道に迷う様な失態は犯さないだろうが、万が一ということもあるだろうと真っ直ぐこれから生活していく学び舎へと脚を向ける。新居は学校から歩いて二十分程、遠くもなく近すぎることもない。通勤通学の時間まっただ中、道に人影は多い。その中に紛れ込むように歩みを進めながら、昴流はこれから通うことになる学校と新たな住処となるこの町について知り得ることを思い浮かべた。 ――星埜学園都市。宇宙開発関係の研究機関、学校法人星埜学園を母体とする教育機関の集まった学術都市だ。JAXAの施設も多数敷設されていて、宇宙について学びたいというのならここを目指さない者はいない程の高名な地でもある。 これから通うのはその星埜学園の高等部だ。昴流は別段、宇宙に興味がある方ではない。ロマンというものを感じないわけではないが、その道に進みたいというほど熱心に学ぼうとは思わない、人並みの興味しか持ってはいなかった。そんな昴流がなぜこの学校に通うことになったのか。 脳裏に浮かんだのは大切な無二の親友と、そしてもう一人、いつまでも記憶の中に鮮烈に刻み付けられている面影。 そうして、周囲が同じ制服に囲まれていることに気がつく。やはりブレザーの中に学ランの生徒が紛れていれば、周囲の訝るような視線は避けられない。好奇の視線がちくちくと多方面から突き刺さるのを振り払うように、姿勢を正し肩で風を切って歩く。ここでこそこそとしていたらそちらの方がよっぽど不審だ。疾しいところなどないのだから、堂々としていればいい。 ……本当に疾しいところがないのか、と問われればそれは嘘になるのかもしれないが。 「ちょっと、君」 「……もしかして、僕ですか」 颯爽と校門を通り抜けるつもりだったが、呼び止める声におそるおそる立ち止まる。視線の先には年若いスーツに身を包んだ女性の姿。この学校の教師だろうか。朝、登校してくる生徒を教師が出迎えるのはそう珍しい事でもない。彼女は静かに頷き、昴流の問に首肯した。その表情に警戒心や訝るような感情は見えない。 「望木昴流(もちぎすばる)くん?今日から転入の?」 「ええ、はい」 「はじめまして、担任の葛宮朱里(かつみやあかり)です。あなたが来るのを待っていたの、これからよろしくね。制服がまだ届いてないって聞いていたから、すぐ見つけられてよかった」 なるほど、担任なら昴流の事情を知っていてもおかしくはないし、朝の生徒指導のついでに出迎えにも来るかと昴流はひとつ頷き、こちらこそよろしくお願いしますと頭を下げる。 にこやかに笑んだ彼女はついて来るように促す。おそらく職員室だろう、探す手間が省けてありがたいがやはり視線が集まるのを抑えられない。僅かに居心地悪い中葛宮の後に続いて、校門をくぐり校舎の中へと足を踏み入れた。 「あかりん先生おはよー」 「はい、おはよう。けど、ちゃんと葛宮先生って呼びなさい」 廊下を歩く間に二人の脇を通り抜ける生徒たちは口々に彼女に挨拶を投げかける。どうやら随分と親しまれているようだ。若干舐められているような空気を感じないでもないが、嫌われているよりは好かれている方がいい。 注意を右から左に受け流し、気のない返事をしながら生徒たちは各々の教室へ散っていく。その前に興味深そうに昴流の顔を覗き込んでいくものだから、ちょっとだけ辟易した。 たしかに高校ともなれば転校という選択肢は珍しいのかもしれないが、もう十代も半ばを過ぎた年なのだから少しぐらい落ち着きを持った行動をするべきだと昴流は思う。しかしそれと同時に年相応に屈託なく転入生ひとつで大騒ぎできることが羨ましい、とも感じていた。 ……自分には、少しその場所は明るすぎるし、今ではほんの少し遠い。 「はい、望木くん。ここが職員室。説明することもあるし、何より事情を他の先生方にも分かってもらってた方がいいでしょう?」 「そうですね、そうしていただけるとありがたいです」 職員室で軽く学校の説明や、他の教員への昴流の事情を説明する葛宮の声を聞き流しながら、昴流は先程思い浮かべて掻き消した面影を再び手繰り寄せて軽く目を細める。 さて、はたしてこの学校。鬼が出るか蛇が出るか。おおよそただの高校生が学校に抱くには物騒な言葉を喉の奥に引っ掛けたまま、昴流はこれから一日の大半を過ごすであろう教室へと葛宮の誘いに従って足を踏み入れた。 「……ね、奈月ちゃん聞いた?今日から転校生が来るんだって」 手元の文庫本から視線だけを僅かに持ち上げて、奈月と呼ばれた少女はすぐに目を伏せた。 「そう、珍しいね」 さして興味もなさそうに、奈月は読書を再開する。本当ならイヤホンを耳に捻じ込んで教室の騒がしさを遮断したいところなのだが、話しかけてくる彼女、悠木ちちりは奈月にとってはこの学校で唯一「友人」と心から呼ぶことができる人だった。そんな彼女を無碍にもできず、イヤホンに伸ばした手を引っ込める。 騒がしいのは夏休み明け、というだけではなくその転校生とやらが拍車をかけているのか。全くもって迷惑な話である。奈月の繊細な耳は教室のざわめき一つ一つを、いちいち拾い上げてしまって疲れてしまうのに。今日は一段と騒がしくてすでに疲れ切っていたところなのだ。 「なんかね、すっごいイケメンなんだって。噂になってたよ、葛宮先生と歩いてたって言うからうちのクラスなのかな?」 「そういうことは、そうなんじゃない。……今日は騒がしくなりそうね」 奈月のその言葉を皮切りにしたように、葛宮がひとりの少年を伴なって教室に入ってくるのが見えて、奈月は文庫本をかばんにしまう。その動作に体を後ろに向けていたちちりも慌てて正面に向き直った。 「はーい、みんな静かに。今日からこの二年A組に新しいクラスメイトが増えます」 踏み入ってきた少年の横顔の美しさに、ある女生徒たちは小さな歓声を、またある一団はほう、と息を吐く。伏せられた瞳を閉ざす長い睫毛。顔を上げれば瞬く間に端正な顔立ちが現れる。 浮かべる微笑も完璧。チョークを手に、黒板へ向いた少年は定番の儀式を始める。少し丸みのある癖字、字まで整っていないところが逆に魅力のひとつになっている。 「――望木昴流です。今日からみなさんと一緒に勉強させてください。よろしくお願いします。」 「もちぎ、すばる……」 囁くような奈月の声は教室の喧騒に掻き消されて、だれにも届かない。そんなバカな、彼がここに来るようなそんな都合のいい偶然があってたまるか。 知らず、奈月の手はスカートの裾をきつく皺が寄るほど握りしめていた。こんなの、こんなのは夢だ。 一礼して、葛宮の指した席へ向かって歩みを進めた昴流は奈月の席の横で徐に足を止める。そうして、俯いたままの奈月に声をかけた。 「……久しぶり、奈月。それとも、別の名前で呼ぶべきなのかな」 「……す、ばくん……」 クラス中がどよめく。転入生がなんの含みもなく、彼女の名を呼んだこと。そしてそれに対しての奈月の蚊の鳴くような声で紡がれたか細い呼びかけに、大いにざわついた。 川瀬奈月は、星埜学園高校のアイドルである。学園のアイドル、などと呼ぶとただの男子生徒の憧れの的、のような印象しか持つことはできないだろうが、彼女はそのような規模には収まらない。彼女は文字通り「アイドル」なのである。 昨今ではアイドル戦国時代などとも言い、ご当地アイドルなど掃いて捨てる程存在しているが、彼女もそういった活動をする少女の一人。この星埜学園都市をPRするために活動するアイドルなのであった。 活動中はルナと名乗る彼女、川瀬奈月ともう一人、彼女もまた昴流の幼馴染である桜野愛美。二人が組む「Cosmic☆Planetary」はこの学園都市内では爆発的な人気を誇っている。楽曲の制作を担い、ギターを担当する彼女のことを本名で呼ぶ人間はこの学園都市内には数えるほどしかいない。それを、この少年はこの衆目の中やってのけたのである。 そして、川瀬奈月とは望木昴流の幼馴染、兼初恋の少女であり、今でも変わらず愛する女性と呼んでも差し支えない。彼女の方もまた、昴流のことを記憶に留めていた。それだけでも昴流にとっては重畳だったのだが。なにやら様子がおかしい。 「わた、わたし、保健室……っ!」 勢いよく立ち上がった奈月は脱兎の如き勢いで教室を飛び出していく。昴流が止める間もなく、短いスカートを翻し駆けていく背中はあっという間に見えなくなってしまった。追いかけようにも、昴流にはこの学校の構造が未だに分かっていない。 ただ、分かったことは写真で見るよりも実物はやはりかわいい。ただそれだけのことだった。鮮烈に脳裏に残りつづけた面影は、一層鮮やかさを増して目の前に降り立った。 中学に入る少し前に別れたから、約七年ぶりに顔を合わせた。今までは紙面でしか見ることの出来なかった初恋の少女。記憶の中よりもずっと大人びた顔は記憶よりもずっとずっと綺麗になっている。 ああ、やっぱり俺は彼女が好きだ。 さっきのは大方照れ隠しだろうと踏んで、悠々と席に着くと隣の席の少女が興奮冷めやらぬ、といった様子で話しかけてくる。正直面倒だが、こういう時は最初の対処が重要だ。平穏に学園生活を送るためには、少しの面倒には目をつぶってスマートに対処しなければならない。 「望木くんって、奈月ちゃんのこと知って……あ、奈月ちゃん有名だからその訊き方はおかしいね。前から知り合いだったの?」 「ああ、うん。幼馴染、ってやつ。全然会ってなかったから、忘れられてるんじゃないかって不安だったんだけど」 うんうん、と大仰に頷く彼女をよそに昴流は教科書を取り出した。席は近いし、しばらくすれば遅くとも昼休みには戻ってくるだろう。 「私は悠木ちちり。これからよろしく」 「ああ、よろしく」 「いやーでも、驚いちゃった。奈月ちゃんのこといきなり名前で呼ぶ人が転校してくるなんて」 「……ここではそうじゃないみたいだね。それに、君もだろ?」 教科書で顔を隠しながらこそこそと密談をする。調べではこの学校に在籍する者はみな彼女のことを「ルナ様」と呼んで信仰している、とかなんとかだったはずなのだが。 「うん、私はねなんか特別なんだって。呼んでもいいって奈月ちゃんから言ってくれたんだけど……正直どうしてかは分かんないんだ」 「へぇ」 「……でも、あんな奈月ちゃん初めて見たよ。いつもはもっと静かで、お人形さんって感じなのにあんな風に走り出すなんて」 「人形……」 昴流にはひっかかっていることがあった。そう、「人形」である。なにがあってもステージ上では表情一つ変えずパフォーマンスし、日常生活でも滅多に表情を変えることがない。メディアではそう評されているが、本来の彼女は感受性豊かで、感情がすぐ表に出てしまうような少女だった。繊細で、傷つきやすくて。すぐ泣くような、か弱い少女だったはずなのに。 引き離されるように別れた後、彼女に一体何があったのか。それを突き止めることが昴流の目標のひとつだ。そして、彼女の花の咲くような可憐な笑顔を取り戻すことが昴流の願い。そして、もう一つは……
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