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「“赤”と言えば何を連想する?」
アンナの唐突な問いに、ユウキは咄嗟に答えられなかった。
高い場所にある本棚の上の埃ををはたきで払い落とした後、乾拭きをしながら考える。
今日は休日で学校は休み。ユウキは誰に言われるまでもなく、アンナの住処である部屋の掃除を積極的に行っていた。 アンナは知人と二人暮らしで2Kのアパートの二階に暮らしている。
知人もアンナも良い意味で集中力や記憶力があり、人として尊敬できる人物なのだが、如何せん自身の興味のあるものにしか触発されず、生活力が全くと言って良いほどない。
その事を知ったユウキは定期的にアンナたちの家にお邪魔しては家事を行うようにしている。
これは義務ではなく、“ユウキ”の体の良い口実だった。アンナが断ることのできない大義名分であった。
今現在、知人は外出中でアンナとユウキは二人きりだ。
それもいつものことなので、アンナもユウキも今さら気にすることはなかった。
(赤、赤と言えば普通に考えるなら苺とか、クレヨンとか、目に見えるものなんだろうけど……)
ユウキはチラリと、本を読んでいるアンナを盗み見した。
他ならぬ彼女のことだ。きっとユウキに斜め上の解答を求めるはずーー。
「血、ですかね」
「ほう? その心は?」
「俺たち人間にとって、1番身近で無くてはならないものだから。それと、貴女に1番近いものだからです」
アンナは本から顔を上げてニヤリと笑みを浮かべる。
「私に1番近いものってのは、私が“女の子”っていうのに関係してる?」
「いいえ、俺がここーー探偵事務所へ来る理由に近いです」
アンナの知人は、この町では名の知れた探偵だ。ーーと言っても、漫画やドラマに出てくるような事件を推理するタイプの探偵ではなく、失せ物探しに特化した探偵のため、近隣のお爺ちゃんお婆ちゃん、子供などから親しまれている。
依頼も料金がリーズナブルのため、ほどほどに繁盛していた。
今も、近所のお爺ちゃんに依頼されて、数十年前に無くした写真を探している頃だろう。
ーー話しが逸れたが、ユウキはアンナの答えを待っていた。
お互いに見つめ合っていたが、急にアンナが噴き出して笑い、ユウキは呆気に取られるのだった。
「あははは、君って本当に面白いね。ただの心理テストなのに、何真剣に答えてるんだか」
「心理、テスト?」
アンナはニヤッと笑い、読んでいた本を投げて寄越した。
受け取ろうと手を伸ばしたが、届きそうもなかったので、ユウキは踏み台から降りて本が床に落ちる前に手に取った。
「…………雑誌?」
「176ページ」
指定されたページを開くと、占い特集が載っていた。
なるほど、心理テストとはこの事だったのか。
(赤を連想させるもので、その人の悪癖が分かるーー)
ユウキは雑誌からアンナへ視線を移し、胡乱気な目を向けた。
「つまり、俺の悪癖を知りたかったんですか?」
「端的な答えはつまらないよ、もっと想像力を働かせてごらん」
アンナの言い方だと、ユウキの解答は間違っているらしい。
だが、今の状況を考えるに、アンナが年相応の少女らしく、雑誌の占いページに話の花を咲かせていたのではないだろうか。
(アンナさんは別に俺の悪癖を知りたいわけではない…………って、当たり前か。既にアンナさんは俺の悪癖を知ってるんだからな)
遡ること1週間前の話しだ。
とあるパン屋で起こった強盗殺人事件に、アンナとユウキは“たまたま”居合わせた客同士だった。
更に、ユウキは運悪く犯人の条件がほぼ全て一致してしまい、危うく強盗殺人の犯人に仕立て上げられそうになったのだが、そんな絶体絶命のピンチを助けたのがアンナだった。
彼女はほんの僅かな痕跡から、見事に真犯人を当てたのだが、逆上した犯人に襲われ掛けてしまい、咄嗟にユウキが犯人にタックルを噛まして地面に倒したところをアンナは店の小さなテーブルを振り上げ、犯人が気絶するまで殴り続けた。
(本音を言うと、あの時のアンナさん、少し怖かったなぁ)
その後、店を出たユウキはアンナからこう言われた。
『君が犯人なわけがないよ。君は強盗殺人犯なんかじゃなくって、小銭泥棒なんだからね』
屈託ない顔で言われ、驚いたのを今でも覚えている。
アンナは、ユウキが小銭泥棒ということを見抜いておきながらも、警察には通報せず口約束だけで事を終わらせてしまった。
呆気なかったのと拍子抜けしたのと、後は純粋にアンナという人間に興味が湧いた。
正義感丸出しで、純粋で何事にも真っ直ぐな彼女のことをもっと知りたいと思った。
ただし、本人にも直接言ったことはあるが、ユウキは飽くまでアンナの性根を気に入っただけで決して恋愛的感情は全く持ち合わせていない。
度々、アンナからおちょくりの言葉を頂くが、それは単なるスキンシップの一貫だとユウキは分かっていた。
(ーー話しがズレけど、やっぱり分からないな。アンナさんが、どんな答えを求めているのか)
ふと、そこまで考えて気になった。
「因みに、アンナさんの答えはなんですか?」
「ん、私? 私は林檎だよ」
あっさりと答えが返ってきた。
「林檎、ですか? けど、林檎の中は白いですよ?」
確かに外見は赤い色をしているものもあるが、最近では青林檎も主流になってきている。
赤で連想させるもので林檎を上げるのは微妙な気がした。
そんなユウキの心理を見抜いてか、アンナは人差し指を立てた。
「そうだね。けど、そもそも“赤”色から連想させるもので、答えた人間の悪癖を知ることができるって言うのは、“赤”の持つイメージの意味が要因だと思わない?」
「赤の意味、ですか?」
「そう。ものではなく“赤”から連想できる抽象的なイメージには、いろいろな意味があるんだよ。
例えば、『愛、情熱、勝利、勇気、積極的』みたいなポジティブから、『怒り、争い、危険』などのネガティブな意味があるんだけど、その抽象的なイメージを敢えて悪癖としてスポットを当てるとどうなるのか、分かる?」
「……愛は性欲になり、情熱は暑苦しさに変わり、勝利は傲慢、勇気は無謀、積極的はストーカーになりそうですね」
「Great! その通り、いい意味のものでも悪癖に変わってしまうね。そうすると、この心理テストをやるとき、“苺”みたいに可愛い物を選んだとしても、ぶりっ子って捉えられてしまうことがあるんだよ」
「………女子って、怖いですね」
「そう? 単に私の考え過ぎかもよ?」
「いいえ、あなたの考えの正しさは、俺は身をもって知っているので間違いはありません」
「自己陶酔だなあ、君は」
「そう、ですか?」
「そうだよ」
はっきり言い切られ、言葉に詰まってしまう。
自分ではよく分からないが、周りから見ればそうなのかもしれない。
(ああ、そう考えると本当だ。俺の選んだ“血”は、俺の知らないところで悪癖を晒している)
ユウキはアンナを心から信頼している。その心を陶酔していると言われるならば、確かにユウキは自分自身のアンナへの信頼に自己陶酔していることになるだろう。
(アンナさんには適わないなぁ)
苦笑を漏らした後、考える。
それでは、アンナの選択した“林檎”にも何か意味があるのだろうか。
軽く腕を組み、顎に人差し指を添えて考えていると、アンナはクスッと笑いを漏らし答えをくれた。
「林檎は、人の犯した大罪を意味するんだよ。聖書で習わなかった?」
「ああ、創世記の」
「そう、人間が知恵を求めるために失った幸福でもあり、知ることで得られた喜びもある。
いい意味も悪い意味も、食べて飲み込んでみなければ分からないってことだよ」
ニッと笑みを浮かべるアンナに、ユウキは呆気に取られたが、すぐに言葉の意味を理解する。
「つまり、自分の悪癖と言うものは、相手がいなければ知り得ないパンドラの箱のようなものということですか?」
「ん~~、そこは“自分の”ではなく、“私の”悪癖かな」
“私の”ということは、この考えは飽くまでも“アンナの”悪癖と言う意味なのだろう。
(一緒に行動していれば、いずれはアンナさんの悪癖を知ることができるってことなんだろうか)
根本的に、人の悪癖など他人が知る必要のない情報であり、例えそれが心理テストという不確かなもので知ることができたとしても、相手と一緒に過ごす時間の方がより正確に、相手の情報を知り得ることができるだろう。
上手く雲に巻かれたような、不思議な気持ちになりながらも、ユウキはもう一度雑誌に視線を落とした。
『あなたの深層心理を教えます。第17回心理テストー私の悪癖は○○ですー』
こんな謳い文句だったら、クラスの女子たちはこぞって集まり、話し合うだろう。
そして、例え間違った結果であっても、それが答えた本人の深層心理だと豪語して押し付けてくる。
(なんて、傲慢な生き物なんだろうな)
その点、アンナは違う。
相手から受けた印象をそのまま相手に押し付けることはせず、ありのままの相手を受け入れてくれる稀有な存在。
だからこそ、好ましい。
アンナと再び視線が合うと、アンナは口端を上げて訊ねた。
「それで、君の答えは?」
「そうですね、俺はーー」
ユウキの深層心理を、アンナは笑って流してくれた。
これでいい、これがいい、これが1番自分らしいと思った。
アンナは満足した風に、今度は別の本を読み始め、ユウキも掃除を再開するのだった。
END
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