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無表情な先生は
教室の中に、低く落ち着いた声が響く。
「It's time to rewrite the story of how Stone Age explorers from Asia crossed over into the Americas and colonized the continents. …」
流暢な聞き取りやすい発音は、午後からの授業では最高の子守唄にしか聞こえなかった。
新伊 要(しんい かなめ)は机の上で腕を組み寄りかかりながら、目線だけを教卓の方へと向けた。
そこにいるのは、この声の音源である先生。
水澤 咲兎(みずさわ しょうと)。
細い体つきに、ピシッとしたスーツ。
可愛らしい名前とは正反対の、眉間にシワを寄せた変わらない表情。
一部の生徒からは、うさ公だとか鬼うさぎだとか呼ばれているのを聞いたことがある。
怖そうなあだ名のわりに、実際怒っているところを見たことはない。
だが、笑っているところを見たこともないのでやはりイメージからついたのだろう。
授業も分かりやすくとても良い声なのだが、生徒たちからはあまり慕われていなかった。
……そりゃあ、このポテンシャルでαじゃなかったらなぁ。
この高校ではΩ、β、αとクラスが分けられていた。
Ωは別校舎。
βとαは同校舎でさらにβクラス、αクラスと分けられる。
ここはそのαばかりが集められた、進学クラスだった。
左右どこを向いても目に入るのは自我が強く、プライドの高い奴らばかりだ。
そんな奴らに今英語を教えている咲兎先生は、恐らく同じαではなくβだった。
Ω同士が分かり合えるのと同じように、αも何となく相手が自分と同じ性かが分かる。
言葉で言い表すのは難しいが、α同士が近づいて目を会わせると、どこかヒリッとするのだ。
頻繁によく会う親しい間柄だと慣れてしまって何も感じなくなるが、Ωを取られないための本能なのか、初めて会うαには必ず違和感を覚えた。
その感覚が、先生にはなかった。
α性に生まれた奴らは、大抵自分の性に強いプライドを持っている。
ただ生まれ持っただけなのに、α以外のβやΩを自分より下の存在だと思い込むムカつく奴もいたりするのだ。
そいつ等にとって、αならまだしもβである先生から指示されたり、質問されたり、ましてや教えられているなど自身のプライドが許せないのは確かだろう。
かく言う、要自身もαだが自分はαの中でも出来損ないなのだと思う。
プライド?リーダー資質?頭がいい?
皆無である。
なぜ性別検査でαだと診断されてしまったのかも分からないが、喜んだ両親が将来立派なαになれるようにと、頑張って学費も高いこの高校に入学させられてしまった。
そりゃ、入試に受かったときは死ぬほど嬉しかったが、今では授業についていくのもやっとで日々が地獄だった。
こいつはβだから俺より下だ。とか、考えている余裕もあまりなかったのだ。
「What three differences do the newly discovered tools have from the Clovis tools?……Mr.…新伊」
「は!?俺!」
やたら最後の日本語読みが強調され、要は驚きに飛び起きた。
やばい、なんて言ってたか全く聞いてなかった。
教科書見ても長文すぎて何ページなのか分からん。
わたわたと慌てる俺を見かねて、すぐ横の席に座る洲津浬 湧(すつり ゆう)が手を上げた。
「They are not well-shaped,lack notches and are lighter than Clovis tools. 」
さすがα。
カッコよすぎる、これは惚れないわけがない。
「ありがと~!スーさんっ、マジ助かったぁ。」
「お前ボケッとしすぎだっつの。とりあえずページそこじゃねぇから、何で4ページも先見てんだ。」
小声でお礼を良いながら、正しいページを教えてもらう。
洲津浬は高校に入って一番最初にできた友達だった。
頼れる兄貴肌で、ダメαの俺はいつもなにかと助けてもらっていた。
同じ一年生に見えないほど背も高く、運動神経も抜群。サッカー部でやけた肌がかっこいいし、おまけにイケメンときたもんだ。
俺の代わりにスーさんが答えたことも、先生は特に気にしていないようで授業を進めて行く。
「What does the age of the new tools suggest about the route by which the first people arrived in the Americas? …Mr.沙句条」
次はサクか…
沙句条 冬樹(さくじょう ふゆき)
沙句条財閥の末っ子で上にいる兄、姉ともにαだと聞いたことがある。
仲間思いの良いやつなのだが、やはりαが揃っている家庭のせいか人一倍プライドが高かった。
サクはノートも何も見ずに、先生の顔に目をやると口を開いた。
「They may have journeyed to the New world by sea.」
綺麗な発音と返しに、要は「お~」と心の中で拍手を送った。
さすがはα一族の生まれである。
しかしこれで終わりかと思いきや、サクはまたすぐに口を動かすと挑戦的な態度で先生に問いかけた。
「I'll give you Two minutes to work out this problem.
A layer of soil dating from the Clovis era is above the layer where the new tools were discovered. what did Professor Waters and his colleagues conclude from this fact?」
……長文。ダメ、絶対。
最初、2 分以内にこの問題を解けって言っているのは分かった。
そして、それは俺には絶対無理なことも理解できる。
サクは、βの癖に自分達の前に何の気後れもせず立っているこの先生を、あまり良く思っていなかった。
いつもなにかと食って掛かっては、皆の前で恥をかかせよとしている。
面白そうな展開に、生徒たちは静かにガヤガヤと囁いた。
肝心の先生は相変わらずの無表情だが、まさか生徒から質問が帰ってくるとは思っていなかったのだろう。
自然と腕を組んだのも、動揺を隠すために見えた。
静かにその細い指先が動いて、教科書のページをめくる。
先生が今まで出していた問題は、教科書に沿って作られた問題から出されていたのでまだ目に見えていたのだが、サクが作ったあの長文は完全にオリジナルだった。
いきなり始まったリスニング問題を、聞き取ることはできたのだろうか。
少しすると文を追っていたその目線が上がり、渋い顔をしたサクの方を向いた。
「…People occupied North America 2,500 years earlier than Clovis people.…どうだ?」
軽く首を傾げながら問いかける。
サクは顔をだんだんと悔しそうにしかめていった。
「…正解。でも僕はEarly human occupation was… の言い方が好きだ。」
先生の口元がフッと息を吐くように笑ったのが見えて、要は目を二回ほど瞬かせた。
珍しい。というか、笑ったところを初めて見た。
丁度授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、一気に教室の中が騒がしくなる。
「昨日出した課題は、明日中にまとめて提出してくれ。出さなければ採点はしない。」
それだけ言うと、教材をまとめて先生は教室から立ち去った。
サクが悔しさで叫びだすまで、あと五秒…
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