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ひとつの机を挟んで、向かい側に先生が座る。 授業中とは違う、張りはないが落ちついた声が自習室に流れた。 目の前に置かれた教科書の上を咲兎の細い指がなぞり、それに合わせて緩やかに説明を紡いでいく。 その声へ引き込まれるように集中していった。 要だけに聞こえればいいので、時折ささやき声になる。 それが耳に届くと最高に心地いい。 「…意外だったな。」 問題を解いている最中。 説明時とはまた少し変わった声の雰囲気に、要は顔を上げた。 「お前はβを嫌っているのかと思ってた」 「え、俺が?先生を?」 俺だけって訳じゃないが…と教科書のページをめくる。 「俺の授業の時、毎回話を聞いてないだろう」 「え"っ…ん、なわけねーよ」 「お前が座っている席は意外と教卓からよく見える」 「う″っ…別に、聞いてない訳じゃないけど…。βだから嫌うとか、αだから偉いとかは思ってないから…」 「ほぉ…」 やはり意外そうな顔で呟かれ、感情のこもらない声は何となく信じていないことを思わせた。 その様子に要はムッとすると「本当だからな」と言って詰め寄る。 「俺はαに生まれたけど能力はβと変わんないし、良くわかんないけどΩの方が頭いいやついるかもしんない。それなのにαなんだからできて当たり前って、囃し立てられんのはうんざりだ。」 ため息を吐きながら、再び椅子に深く腰掛けた。 「こんなことなら、俺はβに生まれたかった。…あぁ、Ωでもまだ期待されない分よかったかもしれない。」 「……新伊」 「ん?」 少し掠れた咲兎の声に、要は椅子の背に寄りかかったまま目を向ける。 だがその顔に感情的なものはなく、気持ちを読み取ることは出来ない。 「今度、人前で『αに生まれたくなかった』なんて言うんじゃないぞ。αの性を羨んでいるやつは大勢いる、恨まれたら切りがない」 「えっ…と、はい…」 怒られたのか、心配されたのか分からない。 いや、両方だろうか? ただ愚痴ってしまっただけなのだが、もしかしたらうさ公もαに憧れた一人だったにかもしれない。 だとしたら、気分を悪くさせてしまっただろうか… 「…先生は、β以外になりたかった?」 「いや…俺は…」 その目線が下を向くと、再び教科書のページをめくった。 どうやら考え事をすると、手が動いてしまうのは癖らしい。 「…βに、なりたかったか…」 「なんだ、じゃあ叶ってんじゃん!」 いくらαが羨まれる存在だと言われたって、なりたい性になれている奴が一番羨ましい。 ぎゃんぎゃんと文句を垂れる要に、咲兎はただ「あぁ、そうだったな」と呟いた。 しかしその後に、一瞬浮かべた笑みがひどく儚く寂しげで。 要は思わず口を閉じた。
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