αの本能

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αの本能

「ですから、この式は (1 - cos x) / x^2 = (1/2) (sin x/2)^2 / (x/2)^2 つまり 1/2であるからにしてー {1 - (cos 2x)^(1/2)} / x^2 = (1 - cos 2x) / {((1+ (cos 2x)^(1/2))・x^2} えーつまりはー…」 …だめだ、さっきから何を言っているのかさっぱり分からない。 耳を塞ぎたくなる衝動を必死に堪えながら、目の前で偉そうに話をしている先生に、要はゲッソリと顔を青くしていた。 αの数学者、沼倉先生。 はっきり言って、これは授業ではない。 沼倉の独り言だ。 説明して分からせようという気がない。 このぐらい言わなくも分かるだろ。という雰囲気が、彼がどういう性格かを表していた。 「えーではこの問題を…新伊、解いてみなさい。」 う…また俺かよ。 「わ、分かりません…」 沼倉は、やれやれといった様子で首を降った。 「このぐらいできて当然だろう?君は本当にαかい?全く、これだからβの家系から生まれたαは…」 あぁ…また始まった。 ねちねちと愚痴りだすと、沼倉は止まることを知らない。 ほとんどの生徒たちが、勘弁してくれよ。と、うんざりしている空気のなかで。 要の後ろに座っていた沙句条がピシッと指を綺麗に揃えた非の打ち所のない挙手をする。 「先生、授業時間を過ぎています。次の授業が始まってしまいます。」 どんな相手でも、言いたいことを我慢しない。 サクらしい堂々とした姿に、思わずため息が漏れる。 「ほぉ…もうそんな時間だったか。次の授業は何だね、沙句条。」 「はい、次は英語です。」 テキパキとしたその答えに、沼倉は小さく顔をしかめた。 「…ふん、あのβの授業か。全く、ただのβの癖に我々と同じ立ち位置でαに勉学を説いているなど、思い上がりも甚だしい。君たちもそう思うだろう。」 いや…俺は思ったことないけど。 てか、あんたの授業より分かりやすいし。 難しいにしたって、うさ公の声が良いから聞いてて嫌にならない。 「今年の一年生はついていないよ、去年まではちゃんとしたαの英語教諭がいたんだけどね。何を思ったのか突然出ていってしまって、全くあの男もよく分からん奴だった。」 へー…。 初めて知った、やっぱり英語にもαの先生がいたんだ。 うさ公はβだからΩの校舎で教えていたけど、そのいなくなった先生の穴埋めに、αクラスにも駆り出されているって感じなのだろうか。 「まぁ、それもこの一年の辛抱だ。来年になったらαの新しい英語教諭を迎えるそうだからね。君たちも二年生からはαから英語を教えてもらえるだろう。」 え…それって… 二年になったら、うさ公にはもう会えないってことか。 Ωの校舎にαの生徒が行くことは禁じられているし、この校舎でβの先生を見ることなんて滅多にない。 なぜだか気分が重たくなる。 ……あれ、俺悲しんでる? あまり話した覚えもないし、親しかった訳でもない。 それでも不意に感じた欲求のような寂しさに、要は理解できずに頭を捻った。 「おや、もう来てしまったようだね。」 沼倉の声に、教室のドアへと目を向けると丁度良くそこの扉が開く。 教科書を手に、いつも通りのピシッとしたスーツ姿で入ってきた先生は、沼倉がいることに気が付くと、教卓には近づかずその場に立ち止まった。 「いや、悪いね。水澤先生。最後にこの問題が解けなくて、授業が終わらないんだよ。よかったら先生が解いてくれますかな?」 沼倉は見下すように軽く笑った。 それはさっき、要に出した問題とは違うものだった。 「うわっ…えげつないなぁ、沼倉先生。これかなり難しいよ、スー分かる?」 後ろに座わっているサクが、要の隣にいるスーさんに問いかける。 スーさんは難しい顔をしながら、小さく唸り声を上げた。 二人がすぐに解けない問題を、自分が分かるはずもない。 要はペンを構えることもなく、ただ教卓を挟んで二人いる先生の様子に目を向けた。
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