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職員室の無駄に立派な装飾が施された扉をノックするも、中から誰かが開けてくれることはなかった。
「どうぞ」という声さえ聞こえないので、不思議に思い扉に手を掛ける。
「…失礼しまーす。」
そろりと見渡した部屋の中は薄暗く、人がいる様子もない。
ここは本当に職員室だろうか?
もう一度、扉の横に埋め込まれた銀のプレートに目を向けた。
やはり、そこには『職員室』と洒落たデザインで書いてある。
「新伊」
知っている声が後ろから聞こえ、振り返るとそこには丁度探していた人物が立っていた。
「あ、うさ公」
「…うさ?」
「んん〞!っゲホ、ゴホっ!……いえ、なんでもないです。水澤先生、課題持ってきました」
「…?あぁ、助かった。」
最近、サクの『うさ公』呼びが自分の中に移りつつあった。
決して悪気はないのだ、思った以上に呼びやすいこのあだ名が悪い。
「他の先生は?もういないんですか。」
このまま別れるのは余りにも味気ない。
何か話題を作ろうと、どうでもいい疑問を振った。
「あぁ、αの先生方だ。本業も忙しいんだろう」
パラパラと手渡した課題に目を通しながら、あっさりと答えられてしまう。
物を渡せる距離で話をするのは初めてだった。
いつも少し離れたところから椅子に座った状態で、先生の授業を聴いたからか。
近くで見ると、思ったよりもずっと小柄で華奢に感じた。
自分と同じぐらいかと思っていた身長も、側に来ると要の方が高いことが分かる。
襟から覗く細い首がやけに気になった。
吸い込まれるような白さは、どれだけ視線をそらしても誘われる。
「…誰か、探していたか?」
不意に顔をあげた咲兎と目があって、要は小さくたじろいだ。
「いや…そう言う訳じゃないけど」
その首、白くて綺麗ですね。
なんて馬鹿げたことを口走りそうになり、慌てて他のことを考える。
「えっと、その…あっ!さっきの数学!俺、全然分からなかったんですけど、教えてもらえませんか。」
「…俺がか?」
キョトンと驚いた顔で質問を返されても、要は押しきるように強く頷いた。
「先生、数学もできるじゃないですか。」
「いや…お前はβに教わるのは嫌じゃないか?」
あまりαの生徒たちに良く思われていないことを、気にしていたのだろうか。
ここまで出来たら、αだからβだからと比べることも無いと思うが。
「あぁ、俺そう言うの気にしないんで。先生の方が頭良いし。」
だいたい傍から見たら俺はβで、うさ公をαだと思うだろう。
「…そうか」
一言そう呟くと、考えるように少し黙った。
…仕事が忙しいだろうか。
いや、先生なのだから教えるのが仕事なのでは?
でも、うさ公英語の教師だしな…
断られたら今日は大人しくひきさがろうと諦めていたところ、再びその口が開く。
「分かった、自習室で待っててくれ。」
「え…。えっ!いいの!?」
もらえると思っていなかったOKに、要は驚いて声をあげた。
「あぁ、そんなにあの問題が解きたかったのか?悪いが、どういう内容だったかは覚えていないが」
「やっ!?いや!ボードに書いてたのとは違う問題でお願いします!」
そうか?と答える先生に、コクコクと頷いた。
自習室は、ここから目と鼻の先だ。
咲兎が集めた課題をしまいに行っているあいだ、要は何が嬉しいのか分からないまま気持ちに従い素直に笑った。
なぜ?
ここまで来ると、これが本当に自分の感情か分からなくなってくる。
普通に話せて嬉しい気持ちと、先生に近づいて行っているという満足感。
そして、僅かにだがずっと感じている『物足りなさ』
今までこんなにも、自分の感情に振り回されたことがないから分からない。
俺は何をしたいのか?
物欲はあるのだけれど、何が欲しいのか分からない感じ。
でも、それがもうすぐ手に入る気がする。
証拠にもない自信に気分を良くしながら、少しすれば来てくれるであろう先生を待った。
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