私を知ってる 知らない君と

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「どうしたんだよ、突然立ち上がって転ぶなんて」 奏は呆然と床に座り込んだまま、兄を見上げた。 「一臣がいたの」 「は?」 「一臣が、会いに来て、くれたの」 奏はそういうと泣き出して、和也は何が何だかわからなない。 ただ、奏の不思議な話しを聞かされ、一臣の家に行きそれがただの夢じゃ無いとわかってから、奏が言うことを全て信じようと和也は決めていた。 「一臣がいたのか」 そう言って背中をなでると、奏は何度も頷いた。 「そっか、よほどお前に会いたかったんだな」 奏は思いきり顔を上げると、和也の服を握り余計に泣き出したのを見て、まずかったと思いつつも、何だか一人の男として一臣の行動が理解できる気がした。 奏はしばらく泣いていたが、やがてぐっと唇を結び顔を引き締めた。 その顔を見て、和也はホッとする。 妹はあの事故から本当に強くなった。 そしてそんな妹を見ながら、だからといってあの事故にあって良かったなんてことは微塵も思えなかったが。 「一臣がね、あの日記を見ないでって言ったの。 見に行けば慌てて出てくるかな」 「そういうのはやめてやれよ」 奏の真剣な表情で言った言葉に心底一臣を同情して和也がそう返すと、奏は笑った。 「もうこんな時間だ。母さんが心配する、帰ろう」 奏は自力で机に掴まり足に力を入れて立ち上がると、自分達以外は誰もいない教室を見回した。 既に教室の外の空は夜を示す色が多く広がっている。 奏はそれを少し眺めた後、和也と教室を出た。 日常はいつまであるのかわからない。 無くなる想像をするのは怖い。 きっと事故に遭う前の私ならわざわざそんな面倒なことは考えなかった。 もしそんな事を言われたのなら、何故わざわざそんな嫌なことを考えなくてはいけないのかと、その相手を馬鹿馬鹿しく思ったかもしれない。 でも、いつでも出来ると、会えると、当然に思っていたことが次の瞬間から出来なくなるのだということを知った。 自分が体験して初めて気づく、なんて小説では書いてあるけれど、そんなのを経験しないで済むのならしたくはなかった。 正直まだ現実を全て受け止め切れてはいないし、あの夢の中がただの思い出で済ますなんて出来ない。 多くの人が亡くなり、まだ沢山の人が苦しんでいる中で、そんな曖昧な私でも良いのだろうか、何か特別なことをしなくても良いのだろうか。 まだよくわからない、答えなんて奏には未だに出なかった。 だけど二つ、したいことがある。 まだ怖くて乗れない電車に乗れるようになって、一臣にあげたリストバンドを買って、本当の一臣にプレゼントすること。 そして・・・・・・。 初めての交際は幻だったのかもしれないけれど、奏の心には一臣と付き合っていて過ごしていたあの日々の気持ちの高鳴りを、大切にしたい。 奏はそんな事を思い、学校を見上げる。 蝉の鳴く声は未だやまない。 奏はそんな音に耳を傾けた後、学校に背を向けてゆっくりと歩き出した。                             END
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