交差する想い

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「えっと、自分もバンドのことで精いっぱいだし……教えてあげたくても時間がないんだ」   美波は翔悟と違って、言ったあとも、もごもごと口を動かしていた。そんな美波を見て翔悟が口を開く。 「風間。お前、あんまり美波のことを困らせるな。本当はピアノにもギターにも興味がないんだろ。さっさと発声練習でもしてろよな」   翔悟が言い放つと、一気に愛斗の顔が歪み始めた。愛斗は奥歯が砕けるほどに噛みしめてから翔悟の方を向いて、しかも部室全体に響くような大声で叫んだ。 「黒田先輩! 清水はよくて僕はダメなんですか? 僕だって身体は男ですよ! なのに、なんで清水なんですか! 僕にはピアノも教えてくれない、しかも最近ずっとお昼、僕のこと避けてますよね? 僕がなにしたっていうんですか! ひどい、先輩ひどいです!」   言うと大声で泣きながら、音楽室から出ていってしまった。そのあと残った部員たちは、こそこそと「え、どういうこと?」「黒田先輩なにかあったの?」「風間くんかわいそう」など、あちこちから小声で聞こえた。翔悟は愛斗にそう言われてからピアノの前からしばらく微動だにしなかった。美波はそれを始終、はらはらしながら見ていたが、恐る恐る翔悟に「大丈夫?」と話しかけると、翔悟は椅子から思い切り立ち上がり、譜面を乱暴に取ると、そのまま音楽室を出て行ってしまった。 「翔悟!」   美波は足早に出ていく翔悟の後ろ姿に叫ぶが、翔悟は足を止めることはなかった。美波はひとり立ち尽くした。  そのあと、美波も合唱部の練習に参加する気も起きず、そのまま自分の教室へ向かった。誰もいない教室はだいぶ夏の暑さがにじんでいた。まだ外は明るく、グラウンドは大勢の運動部が声を掛け合いながら各々の部活動のユニホームを着てランニングをしていた。その声が教室にむなしく響く。 美波は最悪の事態が起こってしまったことで、翔悟のことが心配になっていた。愛斗がまさか翔悟と付き合っている良の名前を出すとは思ってもいなかったからだ。しかも翔悟は美波のことを庇おうとしてくれていたことも分かっている。美波が人に甘くしてしまうこともよく知っているから、翔悟はいつでも美波を守ってくれていた。美波は自分のトラウマにまだ向き合えていない。 小学校の頃にも美波は自分を「俺」と云っていて、男ものの服を着て、男子たちと遊んでいたが、やはり高学年になるとそれも歪に見えていき、色んな奴から「佐藤はオカマ」「男女」とか口ぐちに言われ始めた。自分が「異物」として扱われたからだ。「オカマ」じゃない。「男だ」といつも言いながら大泣きしていた。 そもそも、小学生にLGBTのことなど分かるわけがない。オカマの定義など知らないし、美波が「俺」と云ってることもただただおかしいとしか思っていないだけで、それを積極的に理解しようとする気持ちなど、小学生の子供たちは持ち合わせてなどいない。同じく、それを許容できる心を美波も持ってなどいなかった。 それを傍でみていた翔悟は、どこかで美波を守ろうとする心が動いていたのだろう。美波の兄は一回りも違うため、美波は学校で家族に守られることなど出来なかった。家族には自分が男だと言っていたが、それも苦笑いで済まされていたから、実際やはり一番美波を理解していたのは翔悟しかいなかった。翔悟は美波に絡んでくる輩に対して、いつも喧嘩をしては傷を作っていた。   美波は目の奥が熱くなってきた。翔悟が傷付けられたんじゃないかと、ポケットからスマホを取り出して電話を掛けた。トゥルルルと三回コールしたあと、留守電につながってしまった。   美波はこんなとき、なにもできない自分がもどかしかった。いつも傍で助けてくれた翔悟が困っているときに、何もできないのかと、自分を責めた。美波はしばらく、スマホをじっと見ていた。それからスマホをぎゅっと握った。翔悟の出て行ったあのときの後ろ姿を思い出す。今、行くべきだと。
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