交差する想い

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翔悟には兄弟はいない。靴を見ると、今家には翔悟しかいないようだった。玄関を上がるとすぐ目の前に階段があり、翔悟の部屋は二階にあった。玄関をくぐると他人の匂いがする。小さく「お邪魔します」と云って、美波は靴をそろえると翔悟と一緒に階段を上がった。キシキシと昇るとき音がする。昔はしなかった音。上がるとすぐ翔悟の部屋がある。 扉に「ノックして」と張り紙がしてあり、中に入ると、玄関の匂いとは違う、翔悟の匂いがした。ムスクのようなどこか甘くて苦い匂い。六畳間には勉強机とパイプベッド、本棚にカラーケース。壁にはフジコヘミングのポスターが貼ってある。ウォールポケットには色んなジャンルのCDがまるで現代アートの作品のように飾られていた。翔悟がベッドに座り、真夏の雲一つない空色のカーテンを開けた。日差しが眩しい。 「で、どうした?」   先に口を開いたのは翔悟だった。日差しに翳ってよく表情は見えない。美波はギターケースとスクールバッグを隅っこに置くと、翔悟の前に座った。 「あのさ。今日、風間くんが言ってたこと……気にしてるんじゃないかと思って」   言うと、美波は走ってもいないのに心臓が早くなる気がする。翔悟は短く嘆息すると、 「……正直、もうあいつに関わりたくない」 「そう、だよね」 「当たり前だ。あんなこと言われて。絶対みんな俺のこと噂してるに違いない」 「じゃあ、どうするんだよ」 「とりえず、もう部活には出ない」 「は?」   美波は馬鹿みたいに口を開けた。 「いやいや、だって。合唱部に入ったのだって自分の夢のためだろ? それに合唱部でピアノが弾けるのは今翔悟しかいないし。コンクール前に退部なんてありえないだろ」   美波はさっきまでの鼓動の速さは治まり、今度は頭の中がぐるぐるしてくる。翔悟はまだ日の光のせいで表情が見えない。 「じゃあ、どうしろっていうんだよ! このまま風間に付きまとわれていろっていうのか? 今日帰ってから良に連絡したら、教室でも無視されてる気がするって言ってた。風間は興味もないピアノやギターを引き合いに出して俺たちに近づこうとまでしてくる奴だ。今度なにをしでかすかわかったもんじゃない。あんな奴と俺はもう関わりたくないんだ。ピアノだって、別に家で練習できる」 「でも、高校で三年間合唱部のピアノ担当をしていたっていうのは、音大に行くにも内申が良いって言ってたじゃないか! 恋愛なんかのことで自分の夢を不利にしたっていいのかよ!」 「恋愛なんかのことだと?」   低くて重たい声がした。雲がやっとやってきて、翔悟の顔がはっきりと分かった。翔悟は眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで美波を貫いていた。 「俺にとっては大事なことなんだ。あんなかまってちゃんにかまってる余裕もなければ、良のことだって、人目につかないよう苦労しながら付き合っている。お前に何がわかる? 誰とも付き合ったことのないお前が! 風間なんか、自分が特別な人間であるかのように接してくるが、お前だって本当は自分が特別な存在で、穢れのないものだとでも思ってるんじゃないのか?」   言って、翔悟は美波の肩を思い切り跳ねつけた。美波は態勢を崩すも、それが導火線になり美波は立ち上がって今度は翔悟を見下ろした。 「おかしいのは翔悟だ! 特別な存在? 特別ってなんだよ! 自分はそんな立派なもんじゃないって生まれてからずっとわかってる! ほしいものを持って生まれてきたからって調子に乗るなこの馬鹿野郎! 他人の目を気にしてるのは自分だけじゃない、翔悟だってそうだろ! もう、勝手にしろ! 心配して損した!」   部屋に響く大きな怒声を浴びせ、おもむろにギターケースとスクールバッグを持つと扉を思い切り開け美波は出て行った。後ろからはバンッ、と大きな何かが壁を叩いたような音がした。
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