甘酸っぱい未熟な果実

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 美波と翔悟は教室を出て、音楽室へと向かう。この学校には軽音楽部が昔は存在していた。だが、今は軽音楽部がなくなり、合唱部が使っていた。その昔の名残で、ギターアンプやドラムセットが音楽準備室には残っていた。それを授業前や合唱部が休みのときに美波個人に合唱部の顧問が貸してくれているのだ。その代わりに、合唱部も部員があまり多くないため、コンクールのときにだけ、臨時の部員として美波を参加させることが条件だった。美波のパートはアルトだ。  美波と翔悟が並んで歩くと、美波自身も背丈は大きい方ではあったが、それより頭ひとつ違う翔悟である。その健康的な美男子と中世的な美少女のことを「音楽室の王子様」と形容するものも多かった。音楽室は時折、女子たちがその「王子様」を一目見ようと駆けつけるものもいた。美波も翔悟も高校二年で、高校三年生の部員は部長と副部長の二人しかいない。合唱部の所属人数も十人しかいなかった。その中で翔悟はピアノ担当。この合唱部は混声三部合唱がメインで、ソプラノ、アルト、テノールと三つに分けられると、どうしてもアルトの担当が少なくなってしまっていた。そこで翔悟が部長に「ちょうどいい人材がいる」と紹介したのが始まりだった。  美波と翔悟は、学校以外でも遊ぶことは多く、美波の親と翔悟の親も仲が良かった。両方の親の共通点は「音楽好き」というものだったため、よく家族同士でカラオケに行くこともあった。それで、美波の歌唱力は翔悟も知っていたし、翔悟も大学では音大へ進みたいという意思もあったため、ピアノに常に触れていたいと思っていた。それで翔悟は合唱部へ属し、美波は高校に入ってギターをはじめ、翔悟との駆け引きで合唱部の助っ人になった。同じクラスになったことはないが、こうして部活動のときに二人は会っては、音楽の話や、その他のことをよく話し合う。包み隠さず本当の自分でいられるのは、二人きりのときだった。その二人が話す、その他のこと。それはただの思い出話だけでなく、現状について。二人は美麗に見えるが、抱える問題は高校生にしては一人で抱えきれるものではなかった。 「今回の曲、自分は気に食わないんだけど」  美波の一人称は中学生になる頃、「俺」から「自分」になっていた。美波が楽譜をカバンから取り出し口を尖らす。タイトルは「もしもピアノが弾けたなら」とかかれていた。 「翔悟、ピアノ弾けるじゃん」  中指でパシっと楽譜を叩く美波。それを見て鼻で笑う翔悟。 「じゃあ、もしもレスポールが弾けたならに変えるか?」 「語呂が悪い」 「じゃあ大人しくその譜面通りに歌ってくれ」  言いながら二人は音楽室の扉を開ける。部室の中では発声練習をしていた部員たちがいた。三年の女部長がタクトを下ろす。 「やっとつかまってくれたのね」 「部長、こいつの発声練習なしでもいいですか?」 「まあ、時間もないし、今回だけね。佐藤さん、よろしくね。黒田くん、ピアノ、お願い」  こくんと翔悟はうなずくと、音楽室の机と椅子を後ろにさげた広い教室に、パートごとに並んでピアノと声のチューニングをする。「あー」という声がビブラートして教室に響く。教室の外ではサッカー部のボールを蹴る音、監督の指示、声援が飛び交い、音楽室では調律されたピアノのCの音と、合唱部の各パートのCの音が共鳴しあっているようだった。
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