甘酸っぱい未熟な果実

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 翌朝、美波は朝の七時に音楽室にいた。準備室から、マーシャルのスタックアンプを引っ張り出し、足元にエフェクターを並べると、レスポールをケーブルでつなぐ。  試しにギターを何度か鳴らし、アンプで音のバランスを整える。アンプにギターのボディが近づくとハウリングが起こる。キーンという音が脳を揺らす。鋭いその音は朝早くに起きた美波の目を覚ましてくれる。誰もいない朝の音楽室は妙に静かで、防音材のせいだけでなく、壁に飾らたバッハやシューベルトたちの名作曲家の写真も、三人用の机も椅子も、そして手垢のついた真っ黒なグランドピアノも。音楽室はとても冷たい感覚に陥る。一人でギターをかき鳴らしたところで、その冷たさはなくならない。でも、ギターを弾いていると、そんな冷たい空気のことを振り切ろうと思い切り弦を弾く。それに集中していると、自分の中にある熱いものだけが、しびれとなって身体を伝う。自分の本当の身体はこれではない。だから心の中まで支配させるかと、歪んだギターの音で身体を焼き尽くす。美波は頭を横に思い切り振りながらギターを弾いていた。頭をからっぽにしたい。美波は音楽室のデッドな空間で一人自分と戦っていた。 「佐藤先輩」  音楽室の扉の方から呼ばれた。美波はハッとしてギターを弾く指を止めた。途端、現実の世界に強制的に呼び戻された。スマホからはデモが流れ続けていたから、それも止めた。扉の方を見ると、そこにいたのは、風間愛斗だった。 「おはようございます、佐藤先輩」  彼は薄い唇をゆっくり動かした。音の止んだ音楽室の冷たさに彼は溶け合っているようだった。 「おはよう。どうした? 風間くん」  美波はギターを肩から下ろすと、彼に手を振った。愛斗は細い目を更に細めて弱々しく笑みを零した。今にも消えてしまいそうな、そんな笑顔だった。 「あの、実は先輩に相談があって」 「うん。自分で聞けることなら聞くけど。どうかした?」  美波は相談と聞いて、心がざわめいた。大体こういう顔をする人を前にすると、大切な何かを言われるときだとわかっていたからだ。美波はそういった人の心の底にあるものに触れるのが怖くもあり、実際悩みを持っているのは自分だけじゃない、と落とし込もうとするその作業的な解釈にいつも心を揺らされていた。
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