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ピアノのサウンドが流れるホテルの展望レストラン。リエは向かいに
座っている有住秀の方をちらりと見る。そして、秀に気づかれないように
ため息をついた。
どうしてこんなところへ来ちゃったんだろう・・・。リエは成り行き
とは言え、この場にいるのが段々苦痛になってきた。出来ればこの場から
逃げ出したい。どうしよう。このまま適当な用事をでっち上げて帰ろうか、
それとも・・・。いや、そんな事をしたら相手に失礼に当たる。見知らぬ
相手とは言え、他人に迷惑をかけるわけにはいかない。ぐっと唇を噛むが
どうなるものでもない。
不意に人の気配がした。
「・・・前菜は鴨のテリーヌと京野菜の素揚げでございます。」
ウエイターが手際よく二人の目の前に料理を並べる。揚げ春雨で作った
籠の中に、京野菜が彩りよく盛り付けられている。
この雰囲気のせいなのか、お腹がすいているはずなのに食欲がない。
「どうか・・・しました、か?。」
秀が話し掛ける。
「あ・・・い、いえ。こういうお店、来たことがなかったんで。」
「え・・・そうなんですか?。ライターさんなら取材とかで良く来る
のかと。」
「あ・・・私、担当じゃないので・・・。どちらかというと編集とかそっち
ばかりが主な仕事なので・・・。」
すると秀は不思議そうな顔をした。
「タウン誌でもいろんな仕事があるんですね。」「ええ・・・まあ。」
リエの緊張はどんどん高まって来る。どうやっても会話が弾まない。
「どうしよう・・・。」リエは顔では冷静さを保っているつもりだったが、
心の中ではもう泣きだしたい気持ちでいっぱいだった。
リエがこの場にいるのは訳がある。勤めているタウン誌の企画が「街婚」を
特集する事になり、その取材の一環としてリエに白羽の矢が当たった。
「何故自分が・・・。」そうは思ったが、他に適当なものが居ないという理由
だけで、リエはこの「役目」を任された。
気が乗らないので断ろうかとも思い、母に相談したら、あろうことか母が
ノリノリで、「面白そうじゃない!!。」と無理矢理引受させられた。
「あーあ。」
心の中で何度呟いた事か。こんな場所に、しかも男の人とたった二人で
いる事が間違いではないかと何度も思った。
そもそも街婚自体になんて興味はなかった。ただ、母がリエに早く結婚
する事を望んでいたようで、街婚の開催日には大張り切りで衣装やアクセ
サリー選びに余念がなかった。
「いい人に気に入られるように・・・。身だしなみぐらいキチンと整え
ないとね。」
全く、誰の為の街婚なのか。
その街婚で気に入られたのか、二、三日後に街婚の主催者からメールが
あり、リエに会ってみたいという人物の事を聞かされた。それが、この
目の前にいる有住秀だった。
リエにしてみれば、恋愛にも縁など無く、ましてや結婚なんて頭の中にも
思い描くものではなかった。けど、リエも二十代後半を迎え、友人達からの
結婚報告もちらほら聞こえてくるようになり、何となくそわそわし始めたのも
嘘ではない。
「現実って、残酷だわ・・・。」
恋愛に大きな理想を描いていたわけではないが、何となく現実を突きつけ
られた気がして気が滅入る。この人と恋愛なんてできるのだろうか。それとも
自分の意志に関係なく結婚という流れに乗せられていくのか。
目の前に運ばれてきたチキンソテーにナイフを入れる。
「ワインの・・・お替り、どうしますか?。」
秀が訊ねてきた。「えっ、ええ…。いえ、私は、これで・・・。」
「あ・・・そう。じゃ、僕もこれぐらいにしようかな。」
えっ、リエは気を遣わせたと思い、話し掛けた。
「あ、私の事は、その、お構いなく・・・。」
「・・・お酒、強くないんですか?。」「まあ、嗜む程度に。」
「そうか、僕も・・・そうなんです。」
その時、秀がふっと微笑んだように見えた。そう思いドキリとする。
今までの緊張感が更に加速度を増す。今までずっと俯いていたリエだったが
急に秀の表情が気になり始めた。気づかれないようにちらりちらりと秀を
見る。
突然、彼と目が合った。
「ここのアイスクリームって、美味しいって評判なんですよね。」
「あ、そうなんですか?。」
そう言われてリエは思わず秀の顔を見上げた。
「あれ、確か特集組まれていましたよね。・・・あ、違ったかな。」
リエは少し考える。その間何となく気持ちが落ち着いた気がした。
そういえば思い当たる節がある。すっかり忘れていた・・・。
「あ、そ、そうです・・・。先月、先々月、だったかな。」
しまった、と思った。その瞬間なんだか恥ずかしくなって逃げ出したく
なった。
「やはりそうだったんだ。ごめんなさい。ボク、そう言うの、疎くて。
記憶違いだったら失礼だったかと・・・。」
「あ・・・いいえ、とんでもない。私も忘れっぽいんで・・・。じ、自分で
編集してたのに忘れるなんて・・・。」
また緊張が高まって行く。
編集という仕事柄、語尾が繋がらない会話はできるだけ控えるように
していたリエだったが、今日はどういう訳か語尾の繋がらない会話ばかりで、
相手に失礼じゃないかと何度も思った。どう意識しても、いや、意識すれば
する程、話そうと思っている言葉が途中で途切れてしまう。
何か話さなければ・・・。
ちょうどその時、例のアイスクリームが運ばれてきた。
「・・・デザートのアイスクリームでございます。当ホテルが厳選した契約
農家の手作りで、濃厚さが売りになっておりますので、ご賞味くださ
いませ。」
足付きのステンレスのレトロな容器に、ディッシャーで丸く型取られた
薄いクリーム色のアイスが上品に乗っている。周りにはミントの葉とキャラ
メル色の飴細工、そしてウエハースで構成されている。
「・・・綺麗・・・。」思わず声に出してしまった。「・・・そうですね。」
アイスクリームに見とれて目の前にいる秀の事をすっかり忘れてしまって
いた。
「ご、ごめんなさい。なんだか・・・。」
「何か?。どうかしたのですか?。」
秀は困ったような顔でリエを見つめる。
「い、いえ・・・あの。自分で勝手に喋っちゃって・・・。」
「いえ、そんな事。・・・でも、よかった。気に入って頂けて。」
「・・・ええ。」
その瞬間、リエは何か話さなければならない気がして、話しだした。
「私、ここのアイスクリーム食べるの、初めてなんです。」
「本当!?。実は僕もなんです。個人的にアイスクリームは大好きで、けど
男一人でこういう場でアイスを食べるなんて、滑稽かなって・・・。以前
から食べてみたかったけど、なかなか機会がなくて、でも、こうして
桑島さんと一緒に食べる機会があってホントに良かった。あ・・・いえ、ただ
アイスを食べる為に誘った訳じゃないですけど・・・。す、すみません、
なんか、うまく言えなくて。」
慌てる秀を見てリエは緊張が解け、可笑しくなった。非の打ち所がない
印象に見えていた秀だが、なんだか急に親近感のようなものが湧いた。
アイスクリームの甘味とバニラの香りが口いっぱいに広がる。
「美味しい・・・。」
「そうですね。」
今までの緊張が少し解れたので、何か話し掛けようと思い声を掛けた。
「・・・食べるの、お好きですか?。」
「僕ですか?。勿論。僕、こう見えても食いしん坊なんですよ。」
「私も・・・食べるのは好きかな。」
すると秀はにっこりとほほ笑んだ。「じゃ、一緒ですね。」
リエもつられて笑った。
会計を済ませ、外に出ると日はすっかり落ちていた。秀はいきなりリエの
方を向く。
「また今度、何か食べに行きませんか?。」「ええ、そうですね。」
思わず返事をした。少し考え、あ、と思った。
これって、次のデートのお誘い!?。
リエに再び緊張感が走る。これって・・・。
何かが突然「始まった」気がした。
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