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5
永峰の自宅で待っている間、朱季は落ち着かなかった。
男の一人暮らしにしては綺麗に片付いている永峰の部屋のソファーに横になっていたが、診療所の方で永峰があの女性‥‥篠塚さんに話している内容がわかっているので彼女がどんなに辛いかを想像し、同じ思いを八年前に朱季の母がしていたのかと思うと悲しみのような、複雑な思いがしてきた。朱季が部屋に入ってから一時間後に永峰がペットボトルを持って入ってきた。
「何だ、寝ていたのか?」と声をかけたので、ペットボトルを受け取りながら首を振った。
「先生」朱季は聞きたかった事を口にした。
「また、あの時と同じ?」
朱季の質問に永峰は少し驚いた顔をした。
「どうして?」
「見たんだ、俺、昨日の」
「そうか」
「あの人どうするって?」
「まだ、どうしていいかわからないって」
「言ったの?」朱季が怖い顔をして永峰に聞いた。
「何を?」
「父さんみたいになるって」
「それは、まだ言ってない」
「‥‥」
「最初は凄く驚いて泣いていたよ。なんで稜がってね。あぁ、入院している彼は河野稜さんというんだ。どうしてって言われると本当に困るけれど」
「原因も治療法も、わからないんだしね」
「そうだね」
稜の病室の前の廊下で、珂奈子は一瞬立ち止まった。
看護士の曽我が「どうしました?」と声をかけた。
「ちょっと‥‥心の準備が‥‥」珂奈子がそう言うと。曽我が廊下に置いてあった長いすに珂奈子を連れて行き「落ち着くまで座っていていいから」と優しく珂奈子を座らせた。
珂奈子は椅子に座り。今、下の部屋で永峰と村長の小野塚、そしてもう一人鈴村から聞いた話を頭の中でまとめようとした。永峰の話は珂奈子にとって信じられない事だった。緑色の不明な石の光を浴びたせいで‥‥。
稜が‥‥稜がすでに死んでいるという事‥‥。
しかし、本人は自分が死んだ事に気付いていないという。気付かないまま生きている。本人に気付かせるためには、その人が一番心を許している人が
「あなたは死んだの」と、その人に死を教えなくてはいけない、それも五日以内に‥‥。そうすると、本人は死んだ事を思い出し、自然に死んでいく‥‥。こんな話を信じろという方がおかしい。ここの医者や村人達は頭がおかしいのでは無いか?この村全体が何かの怪しい宗教なのでは?珂奈子は頭の中でそんな事を考えていた。とりあえず稜に会ってみよう、珂奈子はそう決心して椅子から立ち上がった。稜に会えばわかる。珂奈子はそう思った。もし、この村の人たちが全員おかしいのだったら、稜を助けられるのは私だけだ。私がしっかりしなくては。
病室の引き戸を開けると、稜が窓の方に顔を向けてベッドの上に横になっていた。珂奈子が「稜」と声をかけると、稜はゆっくりこちらを向いた。
顔色が青白く、珂奈子は一瞬驚いたが、稜が「珂奈子」といつものように声をかけたので我に返り、ベッドに近づいた。
「大丈夫?」珂奈子がベッドの横に重かった荷物を置いて声をかけた。
「なんだかよくわからないんだ。宿で突然倒れて頭を打ったらしいんだけれど、そのへんの記憶が無くて」稜がいつもと変わらない話し方で言った。
「頭を打ったから、ところどころで記憶が抜けているって先生が説明してくれたよ。無理に思い出さない方がいいみたいよ」珂奈子は永峰に、記憶について聞かれたら、このように答えて下さいと言われたとおりに答えた。
「そうか‥‥頭が凄く変な感じなんだ。もやがかかっているみたいで」
そう話す稜を見て珂奈子は、どこが死んでいるの?いつもと変わらない稜じゃない。死んだ人間は喋らない。やはり、この病院はおかしい、稜が、稜が死ぬわけ‥‥珂奈子はそう考えながら自然に涙がポロポロと零れ落ちた。
「珂奈子?泣かないで、大丈夫だから。ごめんね、心配かけちゃって。こんな所まで来てもらっちゃったって、不安だったろうね。」稜が横になりながらそう言って手を伸ばし珂奈子の髪の毛をなでた。
ほら、いつもと変わらない稜よ。珂奈子はそう強く思った。
「何か、珂奈子の顔を見たら安心して眠くなってきた」そう言って稜は、ゆっくり目を閉じてすぐに眠ってしまった。
珂奈子は稜の手を取り、稜の手の暖かさを確かめた。稜のいつもの温もりだった。ほら、死んでなんかいない。死んでいたらこんなに温かくないわ。珂奈子は永峰が
「信じられなかったら、彼の脈に触れてみてください」言っていた事を思い出し、稜の手首を触って脈を確かめた。
脈が無かった‥‥。
珂奈子は稜の布団をそっとはがし、稜の胸に自分の耳をつけた。
心音がしなかった。
「聴診器を当ててみますか?」
いつのまにか後ろにいた永峰が聴診器を珂奈子に渡した。珂奈子は永峰から聴診器を奪うようにして取り、稜の心臓の辺りの音を聞いた。他の場所にも聴診器を当て聞いてみた‥‥‥‥静かだった。
「心臓が動いていないのです。なぜ身体が動くのかは医学的に証明できません」
永峰は静かに言った。
「だって‥‥今‥喋って‥‥手だって‥‥手だってこんなに暖かい‥‥」
「今はまだ暖かいのです。これから徐々に冷たくなってきます」
「でも、でも‥‥私の事‥‥珂奈子って‥‥いつもみたいに‥‥」珂奈子はその場になき崩れた。
永峰は珂奈子の肩をさすった。
永峰の車の助手席で朱季は、後部座席に座っている珂奈子が気になった。
珂奈子は泣き腫らした目を静かに閉じていた。病室に付き添うといった珂奈子に永峰は「このまま今日は目を覚まさないから、あなたも私が用意した家に泊まってください」と言い、朱季に「お前の家に泊める事になっているから」と言った。
家に車が着いた時、玄関から朱季の祖母の喜久子が出てきて、永峰と一緒に、珂奈子を抱えるように二階の朱季の部屋の隣の、今は使われていない部屋に連れて行き、敷いておいた布団に寝かすと、珂奈子はそのまま目を閉じてしまった。
朱季は、部屋の電気を少し暗くした。永峰が「今日は、色々あったから、そっとしておきましょう」と喜久子に言った。喜久子は下の台所から作っておいたおにぎりを珂奈子が寝ている部屋の小さな机の上に置いた。
永峰が帰った後、朱季は夕飯を食べ、その後は自室に戻って宿題をやっていた。隣の部屋の珂奈子が気になってなかなか勉強がはかどらなかった。
診療所に戻った永峰は自室に戻り、ポケットから取り出した鍵を棚に差し込み中から古いカルテを取り出した。
当時、何度も読み返し書き込んだカルテは、年月がたったためか紙の端が茶色く変色していた。
カルテの患者名は「水瀬悟」
水瀬のカルテを参考にする日が来るとは‥‥。
水瀬のあの優しい笑顔が目に浮かぶ。
水瀬悟が蘇った時、永峰は何とか悟をたすけようとした。村の寺にある古文書を何度も読み返し、原因と解決方法を探した。しかし、古文書には緑色の光る石によって蘇り、七日のうちに心許す者の真実の言葉によって死んでいくとしか書いていなかったし、他にも参考になるものが何も無く、まして五日後にあんなことになるとは誰も考えていなかった。
今でもあの日、水瀬家におこったことを思い出すと震えがくる。自分の一番の後悔は、あの惨劇の場所を朱季に見せてしまった事だ。あれから朱季がいまのようになるまで、どれだけ時間が掛かった事か。頑なにすべてを拒否していた頃の朱季の顔を思い出した。
その顔が朱季の母であり、永峰と水瀬悟の高校時代からの友人である朱季の母の美穂子と重なった。水瀬悟があの事故にあった時の顔に。
朱季の両親とは高校時代から家が近いという事でよく3人で遊んだり一緒に帰ったりしていた。
永峰は当時美穂子に惹かれていた、でも美穂子にはその想いを伝えることができなかった。
水瀬と美穂子が結婚すると聞いたときにはちょっとショックだったが、2人を心から祝福してあげようと思った。
美穂子が本当に幸せそうな顔をしていたからだ。
そして‥‥朱季が生まれた時も美穂子は嬉しそうに朱季を大事に育てていた。
大事にしすぎて、朱季がちょっと咳をしただけでも永峰に診察しろと連れてきていた。
そんなに大事な息子がまさか、あんなに酷いめにあうとは思ってもいなかっただろう‥‥そして自分も。
カルテのページを捲ったところで、机の上の電話から内線の呼び出し音がした。看護士の曽我から河野稜が目を覚ましたという連絡だったので、カルテを元の棚に戻し棚に鍵をかけた。
もう寝ようかと思った深夜十二時に、珂奈子の部屋から物音がし、廊下を歩く音がした。トイレかな?と思っていると玄関のドアがそっと開く音がしたので、朱季は慌てて後を追った。
朱季が外へ行くと、珂奈子がスタスタと歩いていくのが見えた。
「待って、篠塚さん」
朱季が声をかけても珂奈子は止まらず行ってしまう。朱季は思いっきり走って珂奈子の腕を掴んだ。
「離して!」珂奈子は思いっきり朱季の手を振り解いた。
「この村の人たちはおかしいわ」そう言ってまた歩き出す。
「どこに‥‥」朱季が追いかけながら声をかけると
「病院、稜を連れて帰るわ、東京の病院で診てもらうの」
その珂奈子の言葉に朱季は驚いた。
「村の外に連れて行っちゃ駄目だ」
朱季の言葉に珂奈子の動きは止まった。
「どうして」
「村の外に連れて行くと時間が早まるんだ。一週間じゃなくなる‥‥」
朱季はとっさに言ってしまった事を後悔したが、すでに珂奈子は
「早まるって何が?」と怖い顔で聞いてきた。
朱季は自分の中の記憶が蘇った。散らばった襖やドアの破片‥‥血だらけの床‥‥母の顔‥‥。「あぁぁ‥‥」朱季がそう声をもらしながら頭を抱え苦しみ出した事に珂奈子は驚いた。
「ちょっと‥‥大丈夫?」
「駄目なんだ、あれに、あれにしちゃったら駄目なんだ」
そう言って朱季は、その場に座り込んだ。珂奈子も朱季を支えながら隣に座った。
しばらくして、顔を両手で塞いでいた朱季が、顔をあげた。
「ごめんなさい」
朱季が突然普通に謝ったので珂奈子は驚いた。
「大丈夫?落ち着いた?」と珂奈子は様子を伺うように聞いた。
「はい‥‥すみません」
「さっきの話、聞いてもいいかな?時間の事」
朱季は、珂奈子の質問にちょっと考えたが、ゆっくり立ち上がりながら言った。
「明日の早朝に見せたいものがあります。その時説明します」
「明日?」
「はい」
「わかったわ」
珂奈子も朱季の真剣な顔に頷き、
「でも、それで納得しなかったら、私は稜を連れて帰るから」と朱季に言った。
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