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 永峰が、かつての友人である水瀬が閉じ込められている岩牢の入り口に着いた時には、朱季が珂奈子を抱えてでてくるところだった。 永峰を見ても、さほど驚かない朱季に声をかけた。 「逢わせたのか」 「うん、でも、中でちょっと具合が悪くなっちゃって」 あれを見せられたら、さすがに気の強そうな珂奈子でもこたえただろう、そう思いながら永峰は持ってきた水筒のコップに水をそそぎ珂奈子に渡した。 珂奈子は一口飲もうとしたが、すぐにむせて座り込んでしまった。 「あんな‥‥あんな事が‥‥」珂奈子がむせてしまった口を拭いながら永峰を見つめた。 「本当なんだ。信じられないかもしれないけれど、あれは現実におきた事だ」 「じゃぁ、このままだと稜も、ああなるの?」 「うん。たぶんそうなると思う。医者の意見とは思えないかもしれないけれど」 珂奈子はうつむいて声を殺しながら泣きだした。 大声を上げて泣かないところが、珂奈子の性格なのだなと永峰は思った。 「何とか‥‥何とか‥‥」 「何ともできないよ」 横から朱季が口をだした。 「朱季」 永峰は少しきつい口調で朱季の名前を呼んだ。 「だって、どうにかできたなら、こんな事になってなかっただろう?どうにかできたなら‥‥父さんだって母さんだって、あんな風には‥‥」 普段あまり感情を出さない朱季が感情的に言ったので永峰は驚いた。 朱季が続けた。 「この人には同じ思いをさせたくない、あの稜って人にも。悲しいけれど、もうあの人は人間の稜さんじゃないんだ!それを、この人にわかってもらわなくちゃ、またあの時の繰り返しはいやなんだよ」 朱季はそう言って、自分が感情的になってしまった事を隠すように空を見上げた。 「‥‥つまり‥‥私が稜に言えばいいんですね」 しばらく黙っていた珂奈子が口を開いた。 「私が稜に『あなたはもう死んだのよ』と言えば、稜は朱季君のお父さんのようには、ならないんですね?」 珂奈子が静かに永峰を見つめた。もう涙は残っていなかった。 「あぁ」 永峰は自分でも、もっと気の聞いたことは言えないのかと思うくらいつまらない答え方をしていた。でも、ここで気の利いた事などなにも言えないのはわかっていたが。 「わかりました。では私が言います」 そう言って珂奈子はゆっくり立ち上がった。  夕方の病室は静かだった。 珂奈子は、静かに眠っている稜の横に椅子を持ってきて座り、稜の手を持ってみた。 本当に冷たくなっている‥‥でも、まだ‥‥暖かい。 自分が稜に『死』を伝えるとは言ったものの、やはりこれで稜を失うという事になると思うと珂奈子はどうしていいのかわからなくなった。 でも、期限が迫ってきている。 珂奈子は洞窟の中で見た朱季の父親のことを思い出し、体が震えた。 稜をあんな姿にはできない。 「ん…珂奈子…きてたの?」 突然、稜が目を覚ましたので珂奈子は驚いたが 「うん、ちょっと前にね」 と明るく答えた。今、自分ができる精一杯の明るさだった。 「何だか、今日は体が重くて‥‥寝てばかりだよ」 「日ごろの疲れがたまっていたんじゃない?稜は、一度こうと決めたら、それを実現するまで突っ走るタイプなんだから」 そんな珂奈子を見て、稜が笑った。 「何よ」 「珂奈子は、しっかりしているなって思って。俺がこんな場所で倒れて珂奈子が呼び出されてさぁ、あっ珂奈子仕事の方は大丈夫なの?」 「あぁ大丈夫よ。私も有給たまっていたし」 「それならいいんだけれど」 「それで?私が何だって?」 「いや、珂奈子がしっかりしてくれて助かるなって思ったよ。もっとオロオロ心配しちゃう人もいるだろう?」 「何よ、私が全然心配して無いとでも言うの?」 「そうは言ってないよ。ただね、珂奈子ならこの先何があっても大丈夫だってきがするんだ。俺は両親が早く死んで、親戚だってよくわからない付き合いだろ?でも、珂奈子なら何でもきちんとこなして俺を守ってくれるような気がするんだ」 そう言って稜は珂奈子に、ニッコリと微笑んだ。 「私‥‥私だって、そんな強くないよ‥‥いつだって稜に頼ってばかりで‥‥愚痴だって言うし‥‥それに‥‥それに」 「それでいいんだよ。珂奈子はそれでいい。外でしっかりしているぶん、俺の前では泣き事言ってくれていいし、頼ってくれていい。だから俺の前では頑張らなくていいんだからね」 「稜」 「ごめん、病人に頼ってくれと言われても嬉しくないよな」 「そんなことないよ」 「珂奈子は、これからも自分の決めたとおりに進めばいいよ。それを俺は見守っているから」 「稜‥‥稜、近いうちにさ、体調が良かったら夜、外に星を観にいかない?」 「星?いいね」 「うん、観にいこうね」 「楽しみだな‥‥何だかちょっと眠くなってきた‥‥ごめん」 「うん、おやすみ」 そう言って、稜はゆっくりと眠りについた。 稜の病室から出た珂奈子は、その場に座り込み泣き崩れた。 どうして、こんな事になってしまったのか、どうにか方法がないのか。 頭の中では無理だとわかっているのに考えてしまい、涙が止まらなかった。 私だって、これから先の二人のことを色々考えた。 稜と結婚して家庭を築き上げるという事。 とにかく珂奈子は涙が止まらなかった。 珂奈子は顔を上げて立ち上がり、本当に何も方法が他に無いのか、もう一度永峰の部屋へ向かった。  朱季は自分の部屋の机で教科書を広げたまま考えていた。 宿題が残っていたのだが、ノートには何も記入されていなかったし、やる気もなかった。 今日の事は、本当にあれで良かったのか? 朱季は思った。 珂奈子に現実を見せてしまって。 でも、朱季の母は、まさか父がああなってしまうとは思わなくて、父にどうしても「死んでいる」事を告げられずにいたんだろうと考えた。 もし、父があの怪物のようになってしまうと知っていたら、最愛の母である自分を殺して食べて、村人を襲って‥‥それを知っていたのなら、父に告げる事ができたのだろうか、考えただけで、朱季の目にはあの日の母の‥‥首だけしかなかった母の顔が浮かんできた。 朱季は机の引き出しから少し色あせた封筒を取り出した。 差出人は朱季の母、受取人は永峰で、朱季はこの手紙を永峰から高校の入学式の後に渡された。中にはこう書いてあった。 「永峰君へ あなたが悟の事ですごく頑張ってくれているのはよくわかったわ。毎晩寝ずに悟が治る方法を探してくれていた事も。あなたには本当に感謝している。でも、私には悟に『あなたは死んでいる』とは言えない。私の一言で彼が本当に死んでしまうなんて、そんなことできない。 朱季のこと、ずっとずっとこれからの朱季を想像してみた。中学生になった朱季、高校生になった朱季。どんなに頼りになる子になっているでしょうね。大人になってどんな仕事につくんだろう、どんな人と結婚して、どんな孫を私にみせてくれるんだろう、そんな事を考えてみた。自分が生きていればそれも見ていられる。でも、それは私一人、悟には、その権利さえもう無い。ごめんね。 やっぱり私にはできない。悟を殺せない。 もし、私に何かあったら、朱季の事お願いします。 これは永峰君にしかお願いできない。あの子をお願い。 ずっと皆で一緒に幸せになりたかった。 もう、それは私の夢の中でしか出来ない事なのね。 ありがとう。永峰君がいてくれるから、私は逝けるよ。 朱季にも、こんな母親でごめんねっていつか伝えて。         水瀬美穂子」  読み終わって朱季は自分が泣いていることに気付いた。 何度も読み返している手紙なのに、何度読んでも涙が出てくる。 目の前の窓を思いっきり開け、星でいっぱいの空を見上げた。 母さん、俺はまだ、全然ちっぽけだよ。高校生になっても頼りにならない奴で、今回の事だって何も‥‥俺には何もできない。 ふと、下を見てみると、珂奈子が朱季の家の外で星空を見上げていた。 「珂奈子さん」 朱季は外に出て、珂奈子に声をかけ「寒くないですか?」と手に持っていたパーカーを差し出した。 珂奈子はとても弱い声で 「ありがとう。今日ね、永峰先生に朱季君のお父さんのカルテ見せてもらったり、村長さんに、古文書を見せてもらいに行ってきたの‥‥でも、本当にどうにもならないんだよね」 珂奈子は泣きはらした目で朱季の顔を見た。 朱季も、何も言えなかった。 実際、朱季も大きくなってから父がカルテを見せてもらったり、色々なものを調べてみた。 でも、何も解決策は無かった。 父が石を見つけた川にも行ってみたが、緑の石らしきものも全然見当たらなかった。 「もう、明日だなんて‥‥明日、稜に言わなくちゃいかないなんて」 珂奈子が、そう言って座り込んだ。 「珂奈子さん」 朱季はかける言葉も見つからなかった。 「私、強くなんかないよ。稜は私の事、強いって言うけれど全然強くない。稜の事を助ける事さえできない」 珂奈子はそう言って顔を伏せた。 朱季も涙が出てきた。
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