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8.最終章
満天の星空というのはこういうのを言うのだろうか、珂奈子は空を見上げてそう思った。
「すごいね」
隣で手をつなぎながらゆっくり歩いている稜が優しく声をかけてきた。
「うん、本当に凄いね。こんな星空見たのは初めてよ。前に一緒に見に行ったプラネタリウムより凄い。まるで星に包まれているみたい」
珂奈子が微笑んで言うと稜は
「絶対に珂奈子に見せたいと思っていたんだ」
そう言う稜の胸に珂奈子は抱きついた。
「どうしたの?珂奈子」
「ううん、何か感動しちゃって」
抱きついた稜の体は冷たかった。最初にこの村に来た時に比べて稜の身体はだんだんと体温が低くなってきていた。ぎゅっと、抱きついて稜の胸に耳を当てても心音は聞こえてこない。では、何が稜を動かしているの?話すことは今までの稜と同じ事だし、性格も変わっていない。
稜の身体の中にある何かが稜を動かしている。
「ちょっとそこに座る?寒くない?」
珂奈子が草の上に座りながら、病院から借りてきた毛布を、隣に座った稜と一緒に肩にかけた。
「暖かいよ。珂奈子と一緒だし」
笑いながら冷たい体温の稜が言った。
今日こそ稜に言わなくては‥‥もう稜が事故にあってから今夜で五日目だった。今日言わないと稜は朱季のお父さんのようになって、私を食べてしまうだろう。
珂奈子は別に稜になら食べられてもいいと思った。
でも、私が食べられた後に稜が村人達に捕まって、朱季の父のように洞窟につながれて化け物のようになっていく姿は想像したくない。
朱季の母親は、あの人が生き残ってどうなるのかを知らなかったが、私は知っているのだ。
珂奈子は稜と初めて逢った時の事を思い出した。
大学の廊下で窓から急に入ってきた風が珂奈子の持っていたレポートをバラバラと飛ばした。
そこに通りかかり、散らばったレポートを拾い集めてくれたのが別の学部にいた稜だったのだ。
たまたまレポートの内容が稜も興味をもっていた事だったので、そのことについて話してみると、翌日になってクラスもよくわからなかった珂奈子のために稜が、その内容について書かれている本を大量に持ちながら大学中を歩き、珂奈子を探してくれたのだった。
紙袋にギッシリ入った本を渡されて、珂奈子は最初、驚いたけれど、真剣に説明する稜を見て、この人はいい人なんだなと思った。
それから2人は自然と付き合うようになり、つい先日プロポーズされた。
珂奈子が黙っているので稜が
「どうしたんだよ。急に黙っちゃって」
と話しかけてきた。
「ちょっと大学時代のあの大量の本の事を思い出したの」
「あぁあれか、あれは重かったな」
「そうよ、持って帰るのが大変だったんだから」
そう言って珂奈子は笑いながら涙が出てきた。
「どうしたの?なんで突然なくの?」
優しく稜が聞いてきた。
「別に、ただこうやって稜と一緒にいるのが幸せだなって思っただけ」
「一緒にいるのはこれからもだろう?」
稜のその言葉に珂奈子の胸はぎゅっと電撃が走ったように痛んだが稜は続けた。
「これからも結婚して一緒にいて、一緒に色々な所行って色んな事をやって、そして今度は子供をつれて子供に色々教えて‥‥ん?どうしたの?珂奈子、本当にどうしちゃったんだよ、珂奈子。確かに今回は珂奈子に沢山心配かけちゃったからね、ごめんね」
そう言って、珂奈子の顔の前で思いっきり笑顔を見せる
「もう、急に色々言うんだもん。何か幸せすぎて涙出ちゃったよ」
珂奈子も微笑み返して言うと
「俺も幸せだよ。珂奈子と一緒にいられて。珂奈子がこうして側にいてくれて」
「稜」
珂奈子は稜の冷たい唇に自分の唇をそっと合わせた
「稜、本当に私は幸せだよ。稜がいてくれたから今の私がこんなに幸せなんだよ。
もし、いつか2人が死ぬ時があって、生まれ変わっても私はきっと稜を探し出して稜と絶対に幸せになる」
「そうだね。俺も絶対に珂奈子を探すよ。大学のあの時みたいに」
珂奈子は稜にしっかりしがみついた。
稜も珂奈子を抱きしめる。
「珂奈子の髪、この森の緑の香りがするね」
稜が優しく言った。
「うん、稜の髪も緑の香りがするわ。ねぇ稜‥‥私の名前、もっと呼んで、もっと何度も名前を呼んで」
「どうしたの?」
「いいから、呼んで」
珂奈子のわがままな様子も可愛いと思った稜が優しく珂奈子の名前を呼んだ。
「珂奈子、珂奈子、珂奈子」
珂奈子は稜にしっかり抱きついたまま稜の耳元にささやいた。
「稜、ありがとう、私は稜が大好きだよ。稜‥‥‥あなたは‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
永峰と朱季が、その場所にいくと珂奈子のひざの上で河野稜は静かに死んでいた。
まるで幸せな夢を見て眠っているようだなと朱季は思った。
珂奈子は静かに涙をこぼしながら河野稜の髪の毛を撫でていた。
それから皆で稜の遺体を抱えて病院へ行き、永峰が死亡診断書を書き、村長の小野塚の「早めに焼いた方がいい」という意見を聞き、荼毘に付した。
その間、珂奈子は涙を見せないように堪えていた。
珂奈子は暫く朱季の家にいて、永峰から処方された安定剤を飲んで半分寝ているような生活をしていた。
ある日、学校から戻ると珂奈子が珍しく起き上がっていて朱季を外に誘った。
「結局、何だったんだろうね」
砂利道を歩きそうにしていた珂奈子が突然そう聞いてきた。
「うん」朱季は答えに困った。
「なんで稜じゃなくちゃ駄目だったのかなぁ、どうして朱季君のお父さんじゃなきゃ駄目だったんだろ。別にだれでもよかったんだろうけれど、どうして2人が選ばれたんだろう」
朱季は何も答えられなかった。そのことは朱季が一番思っていたことだから。
「昨日、朱季君が見せてくれたお母さんの手紙読んだよ。朱季君は凄くお母さんに愛されていたんだね」
「うん」
「稜は幸せだったのかなぁ」
珂奈子はつぶやいた。
「幸せだったよ。珂奈子さんが最後まで側にいてくれたし‥‥。俺の父さんは母さんをあんな目にあわせて、たとえ本人の意識が無かったとしても、父さんと母さんは凄く仲が良かったから、あんなに好きだった母さんを食べて父さんは辛かったと思う。河野さんは静かに逝けたから幸せだったはずだよ」
思わず涙が溢れてきて朱季は下を向いてしまった。
珂奈子は朱季の手をそっと握った。
「暖かいね。朱季君の手。久しぶりに手の暖かい人を触った感じがするよ。‥‥私、明日、東京に帰るよ。」
朱季はハッとして珂奈子の顔を見つめた。
珂奈子は朱季が何を言いたいのかわかったらしく、
「大丈夫、私は死なないよ。稜が私を幸せにしたいって思ってくれていた気持ちを大事にして、思いっきり幸せになるよ。そしてね、幸せなままで死んで、今度は稜を絶対に探して私が幸せにする‥‥現実的な話しじゃないけれど、生まれ変わって稜と幸せになる。変な話かな?」
朱季は首を振った、涙声になってしまうのはわかったけれど、珂奈子の前でかっこつけるのはやめて声をだした。
「人生の大きな目標だね」
珂奈子は、朱季の言葉に大きく笑顔でうなずいた。
その笑顔を朱季はとても美しいと思った。
覚悟を決めた母もこのように美しかったに違いない。
珂奈子が東京に戻ってから、また村は普通の生活に戻った。
村長達も何事も無かったように、いつもとかわりばえのしない仕事をしていた。
高校では何も知らない岡野誠が朱季の家に滞在していた、婚約者を事故で亡くした謎の美女について色々聞こうとしていたが朱季は無視していた。
永峰病院へ学校の帰りに寄って朱季は永峰にある決断を話した。
永峰は最初にその話を聞いたときは驚いたが、その意見に賛成してくれた。
でも、自分にその役目をやらせてくれと朱季に訴えた、朱季に自分の父を殺すことをさせたくは無かったからだ。
しかし、朱季は自分の手でやると永峰に言った。
そして後日、永峰と一緒に父だった化け物が閉じ込められている洞窟へ行き、永峰が用意した大きなナタで父の首を切り落とした。
首の無い父からはあまり血は出なかったが、朱季は涙で前が見えなかった。
父は首を落としてもビクビクと動いていたが、次第に動かなくなったので永峰が火をつけた。
洞窟から出て、二人で洞窟がもう二度と開かないように石を詰めてコンクリートで固めた。
終わった時には真っ暗になっていて、二人はヘトヘトになり地面に倒れこんだ。
空を見上げると星がいつものように沢山輝いていた。
河野稜が逝った日のようだ、と朱季は思った。
朱季は手を胸に組んで目を閉じて
「父さんも母さんの生まれ変わりを探して、絶対に幸せにしてよ」と祈った。
永峰はそんな朱季を静かに見ていた。
「珂奈子、じゃあね」
その声で朱季が振り返ると、そこに友人と別れたばかりの珂奈子が、その友人に向かって手を振っていた。
そして振り返って、目の前に立っていた朱季に気付いた。
「朱季君?朱季君だよね?」
朱季は思わずうなずいた。
「びっくりした。どうして東京にいるの?」
「東京の大学に入ったから」
朱季が驚いたままの顔で言うと、珂奈子は大きく笑い
「そうなんだ、びっくりしたよ。背も大きくなっちゃって、すっかり大人っぽいね」
「いや、自分ではあんまり変わってないと思うけれど‥‥加奈子さんは変わったね」
「そうかな?」
「うん、何かたくましくなったよ。いい意味で」
あの頃の華奢な感じのイメージではなくなっている珂奈子を見てそう言った。
しかし、以前より輝いて綺麗になっているような気がした。
「あれから私、看護学校に行ってね。あの歳からだよ。で、今は看護師として働いているんだ」
「そうなんだ。凄いね」
「自分にできることを色々やりたいなって思って。そう、時々山に行って写真撮ってるんだ。‥‥あの、稜のカメラ使ってね」
「見たいな、その写真」
「うん、絶対に見せてあげるよ。約束する」
「加奈子さんが元気そうで良かった」
「朱季君も」
「じゃぁ、また、今日もこれから仕事なんだ」
そう言って珂奈子は大きく手を振って去って行った。
また会うことがあるかな?でも、今日こうして会えたんだから、また偶然はあるだろうそう思いながら朱季は空を見上げた。
村では夜の闇の中の森で静かに動く緑色の小さな物体が地中深く潜って行った。
深く、深く、深く。
次はいつ外の世界にでようかと考えながら。
終わり
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