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チャプター5
アタシ達食人鬼は元々魔界で生まれ育ったの。魔界にも食肉用の家畜がいたから、それを食べて暮らしてたわ。でも味は最悪。まるでゴムを噛んでるのかってぐらい悲惨なものだった。
食料はそれぐらいしかなかった。けど、鬼同士のコミュニティはそれなりに上手く統率が取れていたと思うわ。アタシみたいに贅沢を言う鬼はいなかったし、誰も彼も良い鬼だったと思う。
その中で、アタシにとても優しくしてくれた鬼がいた。それがアタシの親友、セルシア=メリグロンドだった。
アタシとセルシアは幼少の頃からの幼馴染でね。何かにつけて二人で一緒に遊んだわ。野原を目一杯駆け回ったり、色とりどりの花を摘んで輪っかにしてみたり、狐を追いかけたり。あまりにヤンチャが過ぎて、大人達に叱られたりもした。それでも、セルシアと一緒にいる時間は今でもかけがえのないものだと思ってる。
あの子とアタシはよく似てたわ。まるで双子なんじゃないのかって言われるぐらいにね。二人とも髪は真っ白で、肌も透き通っていた。ただ、眼の色が違ったぐらいかしら。アタシの眼は真っ赤だけど、あの子の眼は綺麗な水色だった。さながらアクアマリンみたいに煌びやかな瞳をしてた。
アタシなんかには勿体ないぐらい素敵な子だった。誰にでも分け隔てなく接して、常に笑顔が絶えない。あの子は太陽だった。これかれもずっとあの子の隣で生き続けるんだ、ってあの頃は思ってた。
でも駄目だった。成長していくにつれて、アタシの中である欲求が膨れ上がっていたの。それは、美食を追求したいという欲求だった。
アタシには、当時のさもしい食生活に我慢ができなかった。アタシにとって食欲は何よりも大事なものだった。それこそ友情よりも大事だ、って気づいたのは思春期を迎えてしばらくしてからだったかしら。
そこでアタシは色々な書物を読み漁った。もっと美味しいお肉は無いだろうか。そんな思いで懸命に調べてた。それで知ったの。遠い昔、アタシ達の先祖は人界へ降り立って人間を食べていたってことを。人間達から付けられた名前が食人鬼、人食いの鬼だってね。
体に電流が疾るって経験はその時が初めてだったわ。あまりにも刺激的な知識を獲得して、呆然とした。それとともに、確信を持った。
そうだ。人間を食べよう。
アタシが求めていた美食は、外の世界にあるんだ。そう考えるだけで興奮が止まらなかった。そこでアタシは決意したの。故郷を出て、人の世界へ行こうって。
そう意気込んでいたアタシに立ち塞がったのは、誰でもないセルシアだった。
「アニーゼ……なんで村を出るの?」
彼女はそう尋ねてきた。それにアタシは、
「アタシの生き方を見つけたから」
と答えた。セルシアはまるで納得のいかない表情を浮かべていた。瞳のアクアマリンがくすんで見えた。
「どうして村を出るの? ここじゃ生きていけないってこと? ここでの暮らしはアナタにとってはダメなものだったの?」
「ここの暮らしはそれほど悪くなかったわ。自然は豊かで、仲間が大勢いて、アナタとも一緒に暮らせる。何不自由のない生活だったわ」
そう言ってから、アタシは大きく一呼吸した。
「でもね、それ以上にアタシは鬼なのよ。人の肉を喰らうことを宿命とする、食人鬼の一匹なの。屍肉を細々と食するだけじゃどうしても足りない。もっと、血が、肉が、人間が、欲しいの! この抗いがたい本能こそが、アタシ達を鬼たらしめるの。そうでなくちゃ、アタシ達は何者でもなくなってしまう!
ねぇ、セルシア。アナタも本当は分かってるんでしょう。アタシ達は、人間を喰らって初めてアタシ達という存在になれるの。その本能に逆らうことは、アタシ達という存在をも否定することに繋がる。ただでさえ周りの生物から迫害を受けてるアタシ達なのに、その上アタシ達自身も責め立てるつもりなの? そんな生き方に何の意味があるっていうの?」
アタシだけじゃない。他のみんなも知っていたんだ。自分達がかつて食人鬼と蔑まれてきた過去を。抗いようのない己の血筋を。それは本当の自分だというのに、それを偽って停滞した平穏を求めた。それはアタシにはどうしても耐えられなかった。
アタシの嘘偽りない思いを告げると、セルシアはしばらく沈黙を続けた後に、一言一言絞り出すように口を開いた。
「確かにワタシ達は食人鬼よ。それはどうあがいても覆すことのできない事実。そりゃあワタシだってお肉を食べてかなきゃ生きていけない。
でもね。ワタシはこの世界が好きなの。いろんな種族が一つの世界の中にいて、みんな違った暮らしをして、それでいて他の種族とも交流を持つ術を持っている。それは心なの。どの種族もみんな心があるから、通い合わせる余地がある。そうして共存していくことで、この世界に平和をもたらすことができる。
こんなのデタラメな理想論だってことは分かってる。でも、ワタシは信じたい! 鬼だってこの世界の一員として平和に暮らせる権利があるんだって。他の種族とも仲良くすることができるはずだって!
なのに……アナタがいなくなったら、ワタシはどうやって生きていけばいいって言うのよ!」
セルシアの目から綺麗な雫が零れたのが見えた。それは彼女の純粋な心を具現化したかのようだった。アタシは彼女の姿を直視することができなくて、思わず目を逸らした。
「セルシア……ごめんなさい。やっぱり、アタシとアナタはこれ以上一緒にいるべきじゃない。お互いに信じるモノが致命的に食い違ってる。この食い違いはどうすることもできない。たとえ、アナタの望む世界が実現したとしても。それはアタシの望む世界じゃない。
アタシ、セルシアのことが好き。今でもその気持ちは変わらない。だからこそ、アナタを傷つけるようなことはしたくない。でも、自分の気持ちに嘘をつきたくない。だったら、アタシはこの村を出ていくしかない。アタシがアタシとして生きていくために」
アタシはそのままセルシアを見ないまま、その場を去っていった。その時にはかつて感じた高揚は霧消していた。使命感。アタシを駆り立てたのはそんな思いだった。
「アニーゼ。嫌だよ、離れたくない! 行っちゃやだよ!」
背後からセルシアの悲痛な叫びが聞こえた。胸が苦しくなった。引き返そうかとも思った。でも、それこそ心を鬼にして、セルシアから遠ざかっていった。足を止めずに、ただひたすらに進み続けた。
「さよなら、セルシア。元気でね」
去り際、それだけ言い残して、アタシは彼女と、それから故郷と別れた。それ以来、アタシは人界に留まり続けている。当然、仲間達に会うこともなかった。
◇
「──とまぁ、アタシの昔話はこんなところよ。特に面白いことがあったって訳じゃないから退屈だったかもしれないけど」
アニーゼは気にした様子もなく、平然としている。そんな彼女に対して、俺達はかける言葉を考えあぐねていた。
話を聞いて、不覚にもアニーゼという〝ヒト〟に同情してしまった。彼女にも鬼ならではの葛藤があって、何よりも大事な仲間がいたこと。その背景を知ってしまったことで、彼女に対する捉え方が変化していった。
対峙できるのか。彼女が心ある者だと知った今、己の拳を振りかざすことができるのか。
「何よ。何もリアクションしてくれないの? せっかくアタシがディープな話をしたっていうのに。これじゃ話し損だわ」
アニーゼは不満そうに唇を尖らせる。それを受けて、哲が苛立ったように舌打ちする。
「そりゃ内容が予想外にヘヴィだったからだよ。そんな話を聞いてヘラヘラと軽口なんざ叩けねぇだろうが」
すると、アニーゼは「それもそうね」とクスクス笑う。
その間、薫が不安げな顔でこちらを振り向く。俺はその意図を汲んだ。アニーゼに話をしてもらったおかげで、いい頃合いになった。上手く気づいてくれたなら、そろそろこっちへやってくるだろう。俺は薫に向けて頷いて見せる。
「さて。もう話はいいのかしら。何かを気にしてる様子だし」
と、アニーゼがそう切り出した。
瞬間、心臓が跳ね上がった。しまった、こっちの狙いに気づかれたか⁉
「さっきからソワソワしてたのは分かってたのよ。もしかしてアタシと話がしたいって言い出したのは、時間稼ぎのためだったのかしら。だとしたら舐められたものね。助っ人が来るまでの時間稼ぎに、このアタシの過去話をダシに使うだなんて……上等じゃない」
言うや否や、アニーゼは地面を蹴った。突風が吹いたかのような勢いで、こちらへ接近する。俺の前にいた哲と薫は横薙ぎに振り払われてしまう。
「哲! 薫!」
だが、二人を気にかける余裕はなかった。目前まで迫ったアニーゼは俺の体に抱き着く。かと思えば、途轍もない膂力で俺の体を持ち上げる。胴体が締め付けられて、呼吸が苦しくなる。
「苦しいでしょう? でも安心して。このまま意識が無くなるまで締め上げて、それからたっぷりとアナタの魔力を貰ってあげる。ついでだから、アナタのお肉も少ぉしだけ頂こうかしら」
顔の近くで、アニーゼの毒々しい笑顔が見える。漏れ出る吐息が顔に当たって、形容しがたい気持ちに苛まれる。
どうなるんだ、俺。このまま為す術もなくやられて、いいように弄ばれて、果たして命は残っているのか。
逃れようにも、アニーゼの腕力が強固でどうにも動けない。
早く、早く来てくれ。俺に残された選択肢は、ただ助けが来ることを祈るだけだった。
「────ノーム、ニードル!」
高らかな少女の声。それが聞こえた時には、体を締め付ける拘束が解けていた。
思わず尻餅をつく形で地面に落ちる。俺は目前の光景に目を遣る。アニーゼは苦悶の表情を浮かべている。彼女の腹部を尖った岩石が貫いている。そこからドクドクと赤い血が流れ出る。
「ギリギリで間に合ったようネ。大丈夫、リュージ?」
俺の名前を呼ぶ声。その主はアニーゼの背後から現れた。白いワンピースドレスを身に纏い、金色の髪が日に照らされて輝き、蒼い瞳がこちらを見据えている。
「間一髪で、間に合ったみたいだな。マリー」
そして、マリーのすぐ傍に立っている人は不敵な笑みを浮かべていた。
「本当に、お前はいつも危ない目に遭ってるよな。とんだ不幸体質だよ」
「好きでこうなってる訳じゃないんですから、姐さん」
あの時、携帯で知らせた助けがどうにか通じてくれたようだ。二人の顔を見て、心から安堵した。
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