第一章 誘い

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06. 何をさせる気だ?  冗談だとなだめるサヤは、もう少し詳しく能力について教えてくれとせがんだ。  取り寄せられるのは、左手から二・八センチ以内の物体。では、対象の大きさや重さに制限は? 「あんまりデカいのはダメだ。対象の全長が三センチを超えても構わないけど、三十キロの鉄塊なんかでは失敗した」 「重過ぎる対象には使えない、と」 「分かりやすく言えば、右手で持てる程度の物ってことだな。瞬間移動だろうが、感覚は筋力で持ち上げるのと同じだ」  左手の指先が数センチ伸び、触れた先を引っ張り込むイメージだ。  重さだけでなく、あんまり巨大な対象にも使えない。  ウレタン製のマネキンを相手に発動実験を試されたが、これも力が足りなかった。 「さっきの鶏肉から骨を抜くやつは、やれば出来たのね?」 「微妙なところだな。そこも筋力と変わらん」  ビルの外壁に手を当て、中の鉄骨を抜く真似は不可能だ。  一部を切り取り、手の平サイズであれば出来るのか? 答えはノー。  鉄骨を引きちぎるなど、普通の人間に可能な所業じゃない。アポートだろうが同じこと。  肉を骨から引きはがすのは、全力を尽くせば実現するかどうかというところだ。  持久力、つまりは能力の発動可能回数についても尋ねられる。  こちらはティンカーほどではないにしても、発火や爆破能力者より優秀である。  一日に四十回は使用可能で、今までの最高は四十七回。  そこまでやっても、一晩ぐっすり寝て身体を休めれば回復できる。 「で、俺にさせたいことってのは?」 「奪ってほしい」 「何を?」 「IDチップ」 「馬鹿か! 犯罪だ、そりゃ。泥棒の手伝いなんてするかっ」 「通りすがりに、ちょっと(かす)め取ってくれればいい。カバンでやったでしょ」 「それを泥棒って言うんだ。それとも何か、相手こそ犯罪者とでも――」  サヤが首を横に振ったのを見て、俺はお手上げのポーズで溜め息をついた。  一般人がやっても犯罪、特能持ちがやったら収檻へ一直線だろう。 「誰に成り済ますつもりか知らんけどな、お前もキャリアだろ。下手打ったら、人生パーになるぞ」 「そんなの分かってる。鍵を開けるのに、チップがどうしても要るの」 「やめとけって」 「やめない。ここまで調べ上げるのに、五年も掛かったんだから。あなたが協力してくれたら、やっと実行に移せる」  狙いは貸し金庫、その中に仕舞われた建設データだと、サヤは説明した。  どこのデータだと尋ねても、ビルとしか答えず、要領を得ない。  じゃあ、誰の()が欲しいのかと質問すると、それはビルの設計者だと答えられる。 「そんな曖昧な話じゃ、余計に受けられないな。せめて最終目的くらい言え」 「盗られた物を取り返す。これならバッグと一緒でしょ」 「何を奪われた?」 「両親よ」  親を奪還したいと言うなら、確かに大義は彼女にある。  もう少し詳しく話せと迫った俺を、サヤは右手を突き出して制止した。  事情を教える前に、会って欲しい人がいるらしい。  全ては明日、その人物の元へ出かけてから。そう言われたところで、ハイと頷く義理は無い。  肉は感謝するが、犯罪の片棒を担ぐのは嫌だと言う俺に、サヤはまたしても深く頭を下げた。 「まずは会って。それでも断るなら、諦める。いや、諦めないけど、諦めようとする。諦められるかな?」 「俺に聞くな。分かったよ、明日は付き合ってやる。引き受けはしないと思うけど」 「ありがとう!」  妙な女ではあるものの、どこか憎めない愛嬌は感じる。  陰険な犯罪者には思えないし、詳細を知りたくもなってきた。  どうせ火曜日は予定も無く、待ち人は鳩と鯉くらいのものだ。話を聞くだけなら、暇潰しには有効だろう。  朝の八時に、部屋まで迎えに行くと告げられて、俺は一応メモについても再確認した。 「今まで肉メモを書いて寄越したのは、お前なんだな?」 「うん」 「好物で釣ろうとした?」 「そうね」 「どうやってマンション内に入った?」  ああ、と、わざとらしい声を上げ、彼女は人差し指を口に当てて考えるフリをしてみせる。  小芝居はいいから早く言えと急かしたところ、嫌な含み笑いが返ってきた。 「あなたの隣、空き部屋でしょ」 「そうみたいだな」 「ちょっと借りちゃった」 「はあっ? 鍵は?」 「ちょっと借りちゃった、ふふ」  ちゃったちゃったじゃねえよ。もう既に犯罪者じゃん!  しかも隣に入り込んでたなら、そりゃ俺の動向も見張れるわ。  頭を抱えそうなやり口に、どうやって、と尋ねるのを忘れてしまう。  動揺が治まらない俺へ、立ち上がった犯罪者兼変態が店を出ようと提案した。 「さ、お(うち)へ帰りましょ」 「勘弁してくれよ……。盗聴とかしてないだろうな?」 「ふふふ」  彼女にしてみれば、首尾よく話はできたということなのか。  店に来る時より、にこやかになったサヤを連れて、俺は自宅へと帰って行った。 ◇  八時と約束したはずが、七時半には玄関チャイムの攻勢を食らう。  パジャマで顔を出す気にはなれず、俺は悠然と髭を剃り続けた。  つけっぱなしのモニタから、ローカルニュースが垂れ流される。 『修復の過程でいくらか小さくなったものの、シノメバンクの彫像もそのまま披露される運びとなり、昨日テープカットが本人の手によって――』  篠目が出資した銀行だからシノメバンク、これはまあいい。特能者の資金運用を主業務にする、篠目グループのメインバンクだ。  開業を記念して、篠目を支持する特能者たちが、ヤツの大理石像を寄贈した。  美術ギャラリーを兼ねた銀行の大ホールの真ん中に、それを設置したのは趣味が悪い。  そう感じた人間は他にもいたらしく、わざわざ遠県から赴いて像を破壊しようとしたそうだ。  こんな男でも、結婚したい男性の一位に選ばれたとか。  独身は確かだが、愛人の存在を度々疑われている。本拠地には内縁の妻がいるとか噂され、ゴシップには事欠かない人物だ。  自分の像を前に、満面の笑みを浮かべる篠目が不愉快で、俺は天気予報に切り替えた。 『――今日の日中から寒気団が進出して、冷え込みが厳しくなると思われます』  未だにピンポンと、チャイムがうるさい。  朝食は食べたし、食器も洗った。あとは着替えるだけなので、待たせても平気だろう。  ジーンズに青の無地シャツ。  少し迷って、黒のハーフコートを羽織ることにした。  汎用端末(ユータム)にはチェーンを付けて、ベルトにクリップで留める。本体はジーンズのポケットへ。  ダサいとは思うが、また奪われたら(たま)らん。  モニタと照明を消し、時刻は七時四十五分。  玄関ドアを開けると、戸口の脇で壁を背にへたりこんでいたサヤが立ち上がった。 「おっそい! 待ちくたびれた」 「八時の約束だろ。お前が早過ぎるんだ」 「だって、七時には起きてたじゃん」 「おい」  まさか本当に盗聴してるのか、と問い質しても、彼女は笑顔で肩を(すく)める。  お揃いの服装ね、などとはぐらかされた。  サヤは白シャツにジーンズ、ベージュのハーフコートという出で立ちだ。色は違えど、よく似ている。  明るい髪の毛が、焦げ茶のキャスケットに映えて見えた。  行き先が遠いので急ぎたいと、彼女はスタスタ先を歩いていく。  地下鉄で新城浜駅まで十分、そこで鈍足の自動操縦六輪(エーバス)に乗り換えて、一時間半ほど山手に進んだ先が目的地である。  車中、サヤから身の上話を聞かされ、退屈凌ぎにはなった。  彼女の両親は、どちらも特能研究に従事した学者だそうだ。  特能の実在が証明されたのが、十五年前。佐木上(さきがみ)夫妻が研究を開始したのは、十四年前のこと。  ちなみに、今のサヤはクリスフィールドという母親の旧姓を名乗っている。  二人が夜遅くまで研究内容を討議し合う声を、幼いサヤも寝床から聞いていた。  難解な研究を、当時の彼女が理解することは難しい。ただ、何度も会話の中に登場する“発現因子”という単語は、サヤの頭にも刻まれた。  なぜ特能が生まれたのか、これは今もって答えが出ていない。おそらく夫妻も、その難問を解くことに挑んだのだろう。  残念ながら、彼らの挑戦は悲劇的な結末を迎える。  研究開始から四年後の深夜、二人が使っていた大学の研究室が出火して、資料ごと焼失してしまった。  原因は薬剤管理の不手際による失火とされ、佐木上夫妻は大学の籍を剥奪される。  刑事罰こそ下されなかったものの、以降彼らが研究職に戻ることはなく、四年の成果は灰と消えた。  この事件は、いわゆる特能元年(ゼロイヤー)とされる十年前よりも昔の話だ。  ゼロイヤーに特能保持者が爆発的に増え、社会は否応なしに変革を求められる。  先進国で始まった特能の波は、アジアから北米へ、そして欧州へと世界各地に及んだ。  日本は発症者が多かったこともあり、特能分野の先端を行く。  なかでも自身がキャリアである篠目奏は、リーダー格として官民を繋ぐ活躍を見せた。  この辺りの経緯は、俺にもいくらか知識がある。歴史の講義までしそうなサヤを、俺は途中で(さえぎ)った。  能力に対する基礎研究は現在も行われているが、それよりも実践的な応用研究が優先されている。  こんなことは、キャリアにとっては常識だ。篠目の功績も、改めて聞く必要は無い。  特能に関わらない個人的な思い出も、サヤは訥々(とつとつ)と語る。  今から会いに行くのは、彼女の父親で、母さんはもう亡くなったと。  字や算数を教えてくれた父、絵本を読み聞かせてくれた母。  時に口ごもり、話しにくそうな様子が、痛々しくすらあった。 「無理して喋らなくていい。必要な話か?」 「うん、聞いておいて」  父と面会する前に、自分にとって大事な人間なんだと説明したかったらしい。  自動運転で山道を進むエーバスには、俺たち以外には乗客がいなかった。  座り続けた尻や腰が疼き出した頃、人里離れた樹林の先に、白塗りの建物が現れる。  終点は、要介護者が集まって暮らすイナギ・ケアセンターだ。  車を降りた俺は、サヤに先導されて正面玄関へと向かった。
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