第一章 誘い

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08. デュプリケーター  サヤが語る解説に、とりあえずは黙って耳を傾ける。  記憶を複製する力。言うなれば誰かの脳をコピーして、取り込む能力だ。  どれくらいの量を複製できるのかは、力の強さに依存する。  弱ければ過去一日分を複製するのが精々だろうし、強能力者なら何年分と取り込めよう。  精神操作を行う力は、貴重且つ各国のトップシークレットとして扱われた。  軍事、諜報、様々な分野で、これほど役に立つ力はあるまい。 「精神系の特能に、どんな種類があるのか。それを調べるのに苦労した」 「そりゃそうだな。そんな記録があるとしたら、特研くらいのもんだ。ハッキングでもしたか?」 「まあ、そんなとこ」  しれっと肯定する彼女に、今度こそ驚愕して目を(みは)った。  東王大学もセキュリティは固いだろうが、まだ一般の私立大学である。  後に分離独立した特研は、研究と能力者の管理を目的とした半公半民の組織だった。  能力一覧は政府が持つ情報であり、容易に取得できるデータではない。  サヤも中央サーバーを突破するのは無理だったらしく、わざわさ南方まで出向いて、現地の端末を操作した。  支所の権限で閲覧可能なデータは、過去の検診例くらいなものだ。  類似する能力が無いか、支所の検診時に参照する記録で、機密情報はそこでも削除されていた。 「支所に侵入するのも、大概な無茶だけどよ。それじゃあ、精神操作能力なんて載ってねえだろ」 「載ってるデータじゃない。消されたデータや、診察結果が異常なものに注目した」 「まさか、全部の記録に目を通したのか?」  彼女は今度も首を縦に振った。総数二万三千四十七件、その全てを、サヤは一年かけて読み込む。  結果、三十二件の記録に不審な箇所を見つけた彼女は、その一人一人の元へ赴いて調査を進めた。  俺がラストだと言うから、三十二人全員を調べたわけだ。  検診が途中で打ち切られた者や、実施した結果の記載が無い者。俺の場合なら、テスト結果に矛盾があると見抜いた。  大半は単純な記載ミスだったが、彼女は見事に当たりを引く。  調査を開始して十二人目、複製能力者を発見したことから、サヤの計画は大きく動き出した。 「デュプリケーター、綾月(あやつき)氷凪(ひなぎ)。彼女はその能力で、自分の通院記録を消した」 「消すって?」 「複製能力の対象は、人の脳に限らない。それに近いもの、要は記録媒体も複製できたのよ」  詳しく解説されて、俺は一つ誤解していたことがあったと気づいた。  複製は二つの脳、もしくは脳に準じる媒体に対して発動する。他人の記憶を自分へ写す、この理解が間違っていた。  誰かの記憶を、別の誰かへ写す、これが正しい。  デュプリケーターは、人の記憶をメモリに焼き付けることが可能だった。  そして、その逆も有り得る。 「(ブランク)のメモリを、他へコピーすることもできる。つまり――」 「特研のデータベースを塗り替えれば来院した事実を消せるし、親父さんを白塗りすりゃ記憶障害になるわけか」 「氷凪は能力が弱いから、断片的にしか消せなかった。父は五十年以上を白紙にされてる。健忘症を思わせる症状は、強力な能力を浴びた結果の副作用かと」 「その実行者が篠目だと」 「私はそう確信した」  サヤの母は脳の中枢まで白紙化されたせいで、亡くなったのだとも、彼女は推理していた。  夫妻の口封じを狙っただけとは思えない。  研究資料が失くなったことも考え合わせると、二人の記憶を複製し、その後ブランクメモリで上書きしたのではなかろうか。  仮定の多い話ではあるものの、筋は通る。  篠目がそこまでの悪人か、そこを信じるかが判断のポイントだろう。  自分なりに疑問点を解消しようと、細かな質問を口にしかけた時、エンジンの駆動音が響いてくる。 「続きはバスで話そう。聞きたいことは、いくらでもある」 「……バスには見えない」  サヤの剣呑な顔を見て、俺は立って道の先に目を凝らす。  軽く蛇行する山道を、エーバスより一回り小さな車が近づいてくる。  樹が邪魔で、サイズと色くらいしか判然としないが、見極めるにはそれで十分だ。  エーバスはどれも青地に白ライン、もうすぐ到着するのはグレーの車両。  ケアセンターに用事がある車かと、座り直した俺へ、サヤが真剣な面持ちで尋ねた。 「今日はアポートを使った?」 「いいや、普段は使わねえよ。疲れるだけだしな」 「ならいい。最高で四十七回、だっけ。期待してる」  何を――と言いかけた俺に、サヤはジェスチャーで応えた。  人差し指を口に当て、次いで灰色の車を指す。黙って車を見るようにってことだ。  その接近を待つ間、彼女は自分の端末を取り出して、忙しく指を動かした。  ひとしきり操作を終えると、サヤも納得したようで顔を上げる。  車両はバス停から十メートルほど離れて、動きを止めた。  建物からずっと遠くに停車したのは、俺たちにこそ用があるということか。  車の大きさはマイクロバスくらいで、屋根には小さなパトランプ。後部のウインドウには、鉄網が被せられていた。  最も似ているのは、警察が使う護送車だろう。  車体には何の所属名も記されておらず、降りてきた三人の男も見慣れない制服に身を包む。  二人はケアセンターでも見た円筒形のテーザーを、やや後ろに離れて、残る一人がショットガンに似た口径の大きい銃を携えていた。  彼らの腰には拘束用の手錠が光り、襟を部隊章が飾る。  逆三角形に内接する円のマーク、俺もこれでようやく相手の正体が分かった。  各県警に所属しつつ、実質は中央の指揮で動く特別警官――対特能急襲部隊だったか。  特襲(SA)と略される彼らは、反社会的な特能者にとっての天敵だ。 「覚悟を決めて」 「え?」  サヤが小声で投げた一言が、不穏な空気を増長させる。  俺が何か返事をする前に、数メートルの距離にまで近寄った隊員たちが武器を構えた。 「両手を挙げて、ゆっくり(ひざまづ)け!」  俺は犯罪者じゃない、と反論するのは無駄なこと。  特襲の任務は捜査でも尋問でもなく、鎮圧と捕縛である。それくらいは、ニュースをロクに見ない俺でも承知していた。  命令された通り俺たちは並んで膝を突きつつ、手を挙げる。  ここは大人しく捕まるしかないかと、隣のサヤへ顔を向けると、彼女は先よりさらに小さな声で呟いた。 「左、奥、右」 「おいっ、喋るな!」  怒鳴り声に構わず、もう三言。 「輪、棒、銃」  言わんとすることは、何となく分かる。それを実行できるかが難問だが。 「……肉」  いや、それは分からん。  肉フェチストーカーの戯言(たわごと)はともかく、サヤが素直に拘束される気が無いのは伝わった。  公権力に従って、彼女のことはキッパリと忘れるのか。  それとも無茶な賭けに乗り、平穏な生活を捨てるのか。鳩と語り、古い映画を見て、斡旋所に通う安寧な日々を。  ここが分岐点だ。  正直に言おう。どちらかと言えば、俺は鳩が嫌いだった。  左の隊員が前に進み寄って、俺の左手に手錠を掛ける。  背後に回ってその手を捻り、右手にも嵌めると拘束が完了した。  テーザーを向けた隊員が右に、こちらは俺も特能者と見て発動を警戒している。  奥の一人がショットガンの担当で、俺とサヤの間くらいに銃口を定め、やはり油断は見られない。  相手は三人、俺一人では手が足りない数だが、そこはサヤが何とかしてくれるのだろう。  二つ目の手錠を持った隊員が、サヤの後ろへ移ったのを機に、俺は鳩たちに訣別を告げた。 「行くぞ」  左手首に嵌まったステンレスの輪を、右手の内へ。  今日初めてのアポートは難無く発動して、俺の両手は再び自由になった。  隊員の腰へ左手を伸ばし、テーザーを引き寄せて(・・・・・)掴む。  前列二人の隊員は、この時点で地面に片膝を突いた。サヤの重力操作は適確で、隊員の手足を、武器を、続けざまに崩していく。  右の隊員のテーザーが発射され、電極針が路上を跳ね進んだ。  さらには、奥からデカい銃声が響き、対特能者用の散弾がアスファルトを削る。  急に加重された銃先では、狙いも外して当然だろう。  次は奥、だったな。  当たってくれよ。  奪ったテーザーを前方に掲げ、銃を持つ隊員へ放つ。  腹を狙ったつもりが、太腿に着針したものの、効果は同じ。高圧電流を喰らってすっ転んだ隊員へ、全力で駆け出した。  拘束係の隊員は、氷上で踊るが如くフラフラと俺を追う。  無事なもう一人がサヤへ向かうが、こちらの方がより重力変動の猛攻を浴びているようだ。  両手を広げてバランスを取るのに必死で、泥酔者を思わせる動きだった。  自分も感電しないよう、足元の針に注意して走り、道路に投げ出された銃を一旦蹴り飛ばす。  銃を追いかけて拾い、ドラマを真似て弾薬を再装填した。  コッキング・バーを手前に引き、元位置に戻すとガチャンと小気味よい音が鳴る。  この音が隊員たちには警告の役を果たしたらしく、ゆっくりとこちらへ向き直って、手の平を広げて見せてきた。  すかさずサヤがテーザー担当の手錠を奪い、前列二人に並ぶよう指示を出す。  二人の手を、彼女は手錠で繋いだ。  サヤの能力が予想以上に強く、制圧には成功した。  しかし、いつまでも銃で脅している訳にもいくまい。実際に撃つのは、もっと嫌だ。  指名手配をどう逃れるのか、移動手段はどうするのか、どこへ逃げるのか。  いざ一段落つくと、問題が山積していることに思い当たる。 「んで、どうすんだ。輸送車を奪うのか?」 「運転できるの?」 「無理だね」  自動車両なら目的地を入力するだけで運んでくれるが、警察車両はマニュアル制御だろう。  プロドライバーでもなければ、今時、ハンドルとアクセルで運転できる者は少ない。  じゃあ、走って逃げるとでも言うのか――そんな文句への返事は、背中側から届いた。 「練習したら? 私はできる」 「ジャストタイミングね、ヒナギ」  ライダースーツの男――いや、若い女が、気づかぬうちに俺の後ろへ歩み寄っていた。
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