第一章 誘い

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09. 綾月氷凪  声を聞かなかったら、男だと思ったに違いない。  顔は整ってはいても中性的で、ショートカットの黒髪、身長も高い。  体型もまあ、あれだ。男性的だった。  サヤが“ヒナギ”と呼んだことで、彼女が複製能力者(デュプリケーター)、綾月氷凪だと知れる。  俺の横を抜けて、隊員たちに近づいた彼女は、開いた右手を一人の顔の前に掲げた。  目を見開いたまま、男は頭から地面に崩れ落ちる。  間髪置かず、もう一人にも手の平を向け、睨む隊員を昏倒させた。 「三人とも処理(・・)した。追加がいる?」 「必要無い。全力よね?」 「三分消した」  端末で時刻を確認したサヤが、警戒を解いて伸びをする。  この戦闘で、彼女は連続二十一回の重力変動を行った。  身体に高負荷がかかったのは間違いなく、深い息を吸って吐いてと繰り返す。  能力を一度に使い過ぎた際、酸欠に似た疲労を感じるのは、俺にも経験があった。  サヤは、そしてヒナギはどれくらい能力が使えるのかを質問したところ、話は後でと二人から止められる。  まずは脱出という方針に、俺も異存は無い。  銃は捨てた方がいいとも忠告され、指紋をシャツの裾で拭いて投げ捨てた。  ヒナギは言に違わず、自分で車を運転して、この近くまでやって来たそうだ。  五分も掛からない場所に停めてあるらしく、女二人はスタスタと道を歩き出す。 「おい、こいつらは放っておいて大丈夫なのか?」 「十五分くらいは寝てる。起きても呆然とするだけ。真っ白だから」  左手に握り込んでいたメモリチップを、ヒナギは俺にも分かるように指先でつまんで見せた。  白い正方形に銀の端子が光る、一センチくらいのマイクロ有機メモリである。  こいつのブランクデータで、隊員たち記憶を塗り替えたということだ。  サヤとの会話から推測して、至近の三分間を忘れさせたのだろう。  特襲が現れる寸前、サヤは誰かと連絡を取っていたようだった。十中八九、その相手はヒナギと思われる。  ヒナギは車で俺たちを追ってきて、離れた場所で待機した。サヤの指示を受け、バス停前へ移動し、事後処理を担当する。  とすれば、サヤはこの事態を想定して、対策を事前に打っていたということだ。  この推論をそのままサヤへぶつけると、彼女は悪びれる風もなく、正解だと認めた。 「ある程度、だけどね。この端末を登録したら、篠目の手下が動くことは考えられた」 「なんだよ、既に要注意人物なのか?」 「ここしばらく、いろいろと無茶をしたから。ショウも端末の主電源を落として。追跡されてしまう」  慌てて自分の汎用端末をオフにしつつ、危険があるのを黙っていたことへ、少し文句をつけた。  テーザーなり散弾なりを食らうのが、俺だったらどうしたんだ、と。 「特襲が出張(でば)ってきたのは想定外だったけど、ショウを信用してた」 「運任せじゃねえか」 「これくらいやらないと、引き込めないと思ったから」 「……まあ、乗ったのは自分だ。お前のせいにする気はない」  彼女は人差し指を立て、子供にするように、俺へダメ出しした。 「もう私たちはチーム。お前じゃなくて、サヤね」 「いや、チームって――」 「ヒナギ、彼が梶間尚。ミートアポーターのショウ」 「ミートは余計だ」 「ショウ、彼女が話してたデュプリケーターのヒナギよ」  先頭を歩くヒナギは、首を回して俺の顔を一瞥すると、また先を急いだ。  あまり好印象は持たれていないみたいだ。根っからの人嫌いかもしれないが。 「ショウたちは初対面じゃないね。引ったくりで顔は合わせた」 「ああ、あの時の自転車ライダーか」  三人組のチームが結成できたと、サヤの機嫌は見るからに良い。  ケアセンターへ向かう朝の道中とは打って変わって、笑みすら浮かんでいた。  端末以外にも、彼女からいくつか忠告される。  IDが警察にバレたからには、アパートに戻るのは危険だろう。銀行の口座も凍結された可能性が高く、逆にアクセス出来る方が怪しい、と。  接続履歴を辿って、居場所を特定されかねないらしい。 「家と貯金を、一遍に無くしたってことか」 「寝場所は提供する。生活資金も援助するから――」 「まあ、いいんだ。部屋に物は置いてないし、貯金も大して無い。今後、何で稼ぐかが問題だな」 「そ、そうね。ショウが執着しないタイプで助かった」  坊主じゃあるまいし、俺にも物欲だって食欲だってある。  サヤが誤解しないように、協力するに当たって、二つ要求を出した。  汎用端末を使えないのは、現代社会に於いて致命傷となろう。地下鉄も乗れなければ、暇潰しの動画も探せない。  代替品を寄越せと言うと、これはあっさり承諾された。  チーム内で連絡を取り合うためにも、最初から他人に偽装した端末を渡すつもりだったとか。  もう一つ、生活費だけでは困る。  月に一回の肉、これを守ってこその俺だ。 「分かってるって。ちゃんと約束したじゃない」 「したか?」 「したよ、さっき。肉って」 「ああ……。分かりづれえ」  言い方はともかく、こちらも要求を呑んでくれるようだった。  この時も一瞬、ヒナギが振り返ったが、何に反応したのかは分からずじまいだ。  出会った際の印象からして寡黙な人間でもなさそうなのに、歩いている間は無言を通していた。  ヒナギの車は、バス停からは陰になって見えないカーブの路肩に停めてあった。  青く丸っこい、ずんぐり体型の軽自動車だ。  俺とサヤが後部席へ、ヒナギが運転席へと潜り込む。  車が発進して初めて、ヒナギは待ってましたとばかりに口を開いた。 「やっと落ち着ける。車はいい、安心する」 「乗り物フェチだったか」  バックミラーに視線を送った彼女は、サヤへ話し掛ける。 「彼とチームを組むなら、条件がある」 「肉の増量かな?」  こいつも肉で釣ったのかと呆れながらも、急速に親近感が湧いた。  運転技術を持つデュプリケーターなんて優良物件、サヤは手放したりしないだろう。  報酬を増やせと言われれば、簡単に応じそうだ。  ミラーに映るヒナギと目が合い、顔を背けて外を眺めた。  俺の月一に対抗して、週一肉とか言い出すつもりか。いや、普通に金額の釣り上げだろうけど。 「私は誰とでも組むわけじゃない」 「うん」 「だから、その……。あれだ」 「んー。ああ! 私にも言ったね、最初」  ゴホンッと咳ばらいして、ヒナギは黙る。  続く言葉が無いのに痺れを切らして、察したサヤが彼女の要求を代弁した。 「ヒナギはショウと友達になりたいのよ」 「んん?」 「なってあげて」 「はあ。えっ?」  ヒナギは幼少から特能を発現した稀な例で、とある施設に隔離されたそうだ。  両親に捨てられた、と本人は表現したが、実際のところは誰も分からない。現在、親がどこで何をしているのかは、彼女自身も知らないことだ。  大人に囲まれて育ったヒナギは、社会常識と同年代の友人を得る機会を失った。  サヤの計画が法に触れると聞いても特に関心を示さず、夕食を報酬として手を貸す。  二度ほど食事を共にしたあと、友達になるのなら今後も手伝うと言い出した。  なんとも不器用な話だと思うものの、これが彼女なりの友人作成術であろう。 「問題は無いな。肉好きは仲間だ」 「ありがとう、肉は素晴らしい」 「おうよ。いい肉が食えそうだ」  肉は今夜まで待てと、サヤが二人に釘を刺す。  まだ正午を少し過ぎたくらいで、城浜へ帰っても日は高い。  拠点に戻り、今から作戦会議をするのだと、彼女は鼻息荒く宣言した。  城浜の南西、港湾に隣接する倉庫街に、ヒナギが寝泊まりする古い廃ビルが在る。  サヤも俺のマンションへ侵入する前は、ここを根城にしていた。ターゲットにも近く、何かと便利なのだとか。  車中、三人の能力について、改めてお互いに確認し合う。  俺のアポートはサヤへ説明したし、眼前で実演もした。今一度話したのは、ヒナギのためだ。  そのヒナギの複製能力は強力だが、一日に二十回くらいが限度だと言う。  コピーできるのは、三分間分の記憶。最新のものでなくとも、任意の三分を選べる。  但し、古い記憶ほど精度が落ちるらしく、例えば一年前の元旦零時から三分といった狙い方は難しい。  それがよほど強烈な思い出でもない限り、ほぼ不可能だとヒナギは言った。  これが最新の有機メモリでも同じこと。古い記録ほど、狙いを定めるのは困難となる。  しかしながら、旧式の記録媒体なら話は別で、複写も塗り替えも思うがままに近い。  ICカードや田舎のサーバーくらいなら、改竄(かいざん)はお手の物。こと記録を扱わせたら、凄腕のハッカーも()くやという力だった。 「ヒナギが助けてくれるようになって、調査が格段に楽できた」 「マンションに入り込んだのも、カードを複製したのか」 「そういうこと。特能が無くても、彼女は機械に滅法強いよ」  端末に触っていると落ち着く、とヒナギが補足する。どうも乗り物フェチではなく、メカフェチのようだ。 「そう言うおま……サヤの重力制御は優秀そうだな」 「目にした対象を、重くも軽くも出来る」 「どれくらい?」 「プラスマイナス約三キロ」 「また三かよ。呪われてんじゃねえのか」  だが、特襲を手玉に取った彼女の戦いぶりは、弱能力とは思えない目覚ましいものがあった。そのことを指摘すると、サヤはふふふと笑う。 「修業の賜物よ。どこを、どのタイミングで制御するか、それがキモ。ショウにも練習してもらわないと」 「そういうもんかねえ。でもさ、特能自体は成長しないんだよな?」 「でもない。威力は変わらないけど、発動時間は短く、使用回数は増やせる」  コンマ一秒で発動、一日に百九十六回が最高記録。無休憩の連続使用でも、三十回は行けるとか。  負けた、と思った。  こんな記録、第一線の修繕屋(ティンカー)でも出せっこない。  どれだけの修練を積んだかは知らないが、サヤの本気を窺えた気がした。
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