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1.花嫁行列
雨が上がったばかりの肌寒い朝。背の高い杉の木の森の中、静寂を乱すように鈴の音が鳴り響く。
街道から外れた森の入り口のその奥ー。長い石の階段を登る行列が見える。
先頭の指導者らしき老人が祭事用の白い着物を身に纏い、手に持った神事用の鈴を一定のリズムで鳴らす。彼は付近の村、ツキオカ村の村長であった。
その後ろには輿を担いだ男達と涙を流し合う夫婦、またその後ろには酒や農産物などの供物を運ぶ貧相な農民達が後に続く。
輿の上には白無垢を着た、か細い体の少女が座っている。白い布を被せられ顔は見えない。
「着いたぞ。準備をしなさい…。」
鈴の音が止み、村長が少女に目的地に到着したことを告げる。男達が輿を地面にそっと下ろし、同時に母親らしき女が涙で瞼を腫らしたまま、少女の白い布を取ってやる。
色白の肌としなやかで真っ直ぐな黒髪、整った顔立ちが露わになった。
視界を得た少女は自分が運ばれた場所を把握しようと辺りを見回す。見えたのはしめ縄を掛けられた巨大な杉の木と古い社のある広場だった。階段の進行方向の奥には霧の立ち込める森が広がっている。
輿から降りた少女に父親らしき男が暗い顔を向ける。
「キヨ。しっかりな…。」
父親は再び泣き崩れた母親をなだめながら少女の手を握った。
「はい。お父様…。お母様や姉様、弟らをお願います。」
キヨと呼ばれた少女は俯いたまま涙の枯れた目を薄く開け、父親の手に自分の手を重ねた。
ふと、木の葉の騒めきがぴたりと止む。日も陰り、辺りは濃い霧で包まれた。
御神木の巨大な杉の木と社のある方向から近づく音がする。
蹄の音だった。
やがて霧の中から馬に乗った高貴な雰囲気の男が姿を現わす。
脇に馬に乗った従者を連れ、白く立派な馬に乗り、白い束帯を纏い、顔は冠から垂れた追儺面(ついなめん)のような布で覆われていた。
高貴な男の姿を捉えると、村長やその場にいた全ての人間が恭しく手をついて地面に伏した。キヨもそれに倣う。
男がキヨ達の近くで馬から降りると、村長が古の言葉で挨拶した。細かい意味までは分からないが、来訪に対する礼を丁寧に告げている事と『ツクオカベカガミノミコト』という男の名前らしき単語だけは聞き取ることができた。
『ツクオカベカガミノミコト』。キヨやツキオカ村の者にとっては馴染みのある名前だった。
キヨは二人の会話をうわの空で聞きながら、伏した先に見える自分の白い手を見つめていた。嫌なことや怖いことなどの余計なことを考えないようにする為の彼女なりの工夫だった。
ふと、頬の辺りに冷たさを感じた。
そう感じた瞬間、彼女の顔は跪いた高貴な男の手によって優しく引き寄せられていた。花木や香木の香りが広がる。
男の身なりや所作から優美さを感じ、キヨの心は和らぐ。しかし、男の顔に視線を移した時、布に描かれた不気味な八つの蛇目模様が目に入った。
「さあ、こちらへ。」
高貴な男が抑揚のない口調でキヨを誘い、手を差し出す。キヨは恐る恐る差し出された手に触れる。
その手は冷たく、キヨの表情は曇った。
キヨは不安な気持ちのまま、高貴な男の手を借りて白い馬に乗る。
地面に伏せたまま涙を流す両親達の方を振り返ることなく、男が馬を進ませている森の奥をただぼんやりと見つめた。
キヨは膝の上の自分の手と、彼女の体を支える高貴な男の手を交互に見て、そっと目を閉じた。
ー杉の御神木の下。
父と母と別れ、
今日私はこの方のもとへ嫁いで行く。
村の『守り神』の花嫁、いや…、
生贄として。
花嫁ー、キヨ達の姿はやがて霧に溶け込むようにして見えなくなった。
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