16人が本棚に入れています
本棚に追加
「分かってる、分かっているんですよ」
小夜よりもさらに小柄な体をさらにしぼませるようにして花江はそう、小さな声で話す。
「あの人はこんなこと望んでいないんです。でも、ずっと、四十年以上も一緒だったんですよ。その前は親のもとにいて、今さらどうやって一人で生きていけばいいのかなんて……」
小夜は頷きながらその話を聞いていた。言葉を紡ぐには相応の時間が必要で、今話すべきは花江の方なのだと小夜は思っていた。だから、花江が言葉につまっている間も出されたお茶を飲んだり、花江の後ろの襖を眺めたりしながらその続きを待っていた。
「料理を作るときはあの人好みの味付けをつくってしまう。ついつい一人分多く皿を用意してしまう。それに気がついてしまうと駄目なんです。ねえ、小夜さん。私、小夜さんの旦那さんが亡くなったときいろいろしました、買い物に連れ出して、温泉に誘って。でも、いざ自身がそうなるとそんなこととても、考えられなくて」
そこで、花江は大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。胸に手をあてて、少しでも落ち着こうとしているのが見てとれた。
「ごめんなさい。わざわざ来てくれたのに、久しぶりに会ったのにこんなこと」
「大丈夫よ」
小夜はそれだけ返す。花江は小夜を見て少しだけ笑って見せた。
「昔の小夜さんならもっとあれこれ言ってきたのに」
小夜は嫌なことがあると仕事場の角や階段の踊り場でしょんぼりとしていたかつての花江を思い出す。それを見つけて引っ張っていくのはいつの間にか小夜の役目になっていた。確かに、随分いろいろと言っていた気もする。それに比べれば花江はあのときの姿と変わらないように見える。
「武晴さんは……変わらなかった」
「そうね。武晴さんからの手紙、いつも花江さんを誉めてたわ。本当にいい奥さんをもらったって」
小夜が少し羨ましくなってしまうくらいに。そして、死ぬ間際までも花江のことを考えていた。
最初のコメントを投稿しよう!