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「うん……知ってますよ。返事を書いてるのをよく見てたんです。こんな年になってまで恥ずかしいですよっていつもいってもお構いなしで、何か一言添えるかってこちらに返してきました。手紙書くのは得意じゃないから結局まかせっきりでしたけど」
ぽつり、ぽつり、と花江の言葉や思い出は少しずつ少しずつ語られた。それは、昔の仕事場の話にはじまり、菫色のインクの話、武晴が亡くなる直前の話、武晴と花江が出会った頃の話と脈絡もなく、展開された。小夜はそれに頷いたり、相槌を打ったりを続ける。それは、小夜が花江に手を伸ばすために必要なことのように思われた。
「花江さん」
そう、小夜が切り出した時には随分な時間が過ぎていた。小夜は自分へと控えめに向けられた瞳をじっと見返す。
「もうそろそろ帰らないといけないし、少しは昔みたいに言ってやりますとね。
すぐに新しい生活になじめとは言いません。けどね、一人で生きていくなんて思う必要はないですよ。私は武晴さんに花江さんを頼まれましたからね。いくら花江さんが手紙書くのが苦手で、返事をかけなかろうと手紙を出しつづけます。たまに会いにもきます。
それに、私をここに寄越したのは充くんですよ。彼は少なくとも、誰に頼まれたでもなく、私を呼ぶことを考えました。花江さんのために。それでは不足ですか? ああ、そりゃあ武晴さんには及びませんでしょう、ですけどね、充くんは花江さんを心配してる。それは嘘じゃあないでしょう?」
小夜は立ち上がって、帽子を手に取ると廊下へ続く引き戸をあける。花江も慌てて腰をあげる。
「……いいたいことだけ言って居なくなろうとするのはあい変わらずですね」
「そうかしらね」
二人はくすくすと小さく笑う。隣の部屋から出てきた充がそんな二人を見て、一瞬困ったような表情を浮かべる。そして、取り繕うように
「ええと、小夜さん、これ。言っていたものです。インクはめずらしい色のものだから、同じのがほしくなったら栗原屋に注文して、作ってもらってください」
と小さな袋を押し付けた。それを受け取って、鞄にしまいこんだ小夜はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「充くん、話、聞いていたでしょう?」
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