さとがえり

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 神崎の伝承だ。地域学習の授業の中でも一番最初に習う話。地域に伝わるたぶん一番古い昔話。  小さい頃この話の不思議さが好きだった。地元の伝統工芸やら歴史を学ぶ地域学習の冊子の中では異彩を放っていて、それでいながら一番大切にされた話。 「神様は静かに龍の瞳から刀を引き抜くと山を登りました。山の頂に近い場所に泉がありました。泉のそばにいた一匹の狐が神様を見上げます。神様は泉の中に歩を進めました。夕日が神様の背に射しました。 「もし我が思いを理解することがあるのならば、先の世まで、人々を見守りなさい。  そして、人々が忘れることのなきように。  ここは呪われた龍の眠る地、神の裂ける地。  いずれまた、選択の時は訪れよう。その時まで『憐れ』な全てに恵みがありますよう」  狐は頭を垂れました。  神様が掲げた刀を目印にしたかのようにそこへ雷が落ちました。  神様の体は二つに裂けその血が川をつたいこの地を覆うほどに広がりました。  やがて、それは龍も家々も埋めつくし、土地は姿を変えていました。人々の多くは山を越えて土地を離れました。  しかし、翌年、僅かに残され、或いは譲り受けた作物を植えると、その作物には不作がなく、残った人々は少しずつ暮らしを取り戻していきました。  いつしか、この土地は神の裂けた地。神裂、転じて神崎と記されるようになりました。そして、神崎には今も龍が眠っていると言われています」  ぱたん、と本を閉じる音がした。僕は声のしていた方へ少しだけ開いた目を向ける。みーちゃんはもう、そこには居なかった。  僕は思い出す。よくあの話を窓際で音読していた。宿題でも読んでと頼まれるでもなく。ただ、それに意味があった。意味があると思っていた。  神崎に本当に神様や龍が居たのか、それは分からない。  僕は静かに目を閉じた。
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