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はじまり ミケとの出会い
玄関のインターホンを押したが反応はなかった。
もうすぐ帰るとメッセージを送って既読もついていたのにまったくと心の中で愚痴るが、すぐ仕方ないと切り替えた。今の姉の心は誰も推し測れない。
再度インターホンに手を伸ばしたとき、足元に何かがぶつかった。ぶつかっただけでなくグイグイと押しつけてくる。外玄関の電灯もまだ付かないからそれが何かすぐには分からなかった。暗闇の中目を凝らせば、それは随分と痩せている猫だった。
ジッと猫を見下ろす。向こうも俺を見つめる。目が合った。
体をすり付け、前足でチョイチョイ俺の足を引っ掻いて一生懸命愛想を振りまく猫。庭に隠れていたのだろうか。築20年弱の庭付き一戸建ては草木がいいように茂って、隠れる場所はいっぱいある。
普段なら何も思わずに無関心でやり過ごすのだが、今日は手を伸ばしてしまった。
頭を撫で喉をくすぐる。ニャアと鳴く小さな生命を尊いと感じてしまうは、通夜帰りだからだろう。死んでしまった命と対峙したあとに触れる命は温かかった。
「オマエ腹減ってるのか」
意味が分かっているのかいないのか、猫はニャンと返事する。明らかな野良猫、どんな病気を持っているか分からないなんてド正論を無視するつもりはないが、煮干しの一本くらいサービスしたっていいだろうさ。
慣れない礼服で自分の家の鍵を忘れたのが痛い。インターホンをもう一度鳴らす。母親くらいそろそろ反応してくれるはずだろう。そう思った矢先にガタガタッと内側から人の気配、俺の立っている外玄関にもパッと照明が付いた。急な光に猫が眩しそうな仕草をする。
ガチャガチャと鍵を回す音がして玄関が開いた。ゆっくり開いた扉の向こうは、死人のように青白い顔の姉と、その姉を奥から心配そうにのぞき込む両親の顔。家族総出でお出迎えだ。
「ただいま」
お帰りの代わりに姉は、塩の入っている壺に手を突っ込むから俺は慌てて頭を下げた。
バラバラバラバラ。姉の手から放たれ俺の頭を経た塩は、玄関のコンクリに落ちて音を鳴らす。
足元にすり寄っていた猫は思わぬ落下物に驚いたようで、ニャンと隠れるように後ろに回った。その声で姉も気がついたようだ。俺に塩壺の全てを振りかけようとしていた彼女が驚いた顔で猫を見る。
「……おいで」
おずおずと差し出された手。
俺の後ろに隠れていた猫はゆっくりと出てきて、その手をチョイチョイと引っ掻き頭を擦り付けた。
愛想を振りまく猫。
随分と人懐っこいもんだ、誰でもいいんだなコイツと眺めていたら、グッというくぐもった音が弾けた。
グッううっグズっヴッぅぅぅうえーん。
姉は猫を抱き上げる。猫はピクッと体を強ばらせたがすぐに丸くなり、その胸に収まる。低いゴロゴロという音が喉から鳴り始めた。
「野良猫でしょ、汚いわよ……」
猫に顔を埋めている姉に母親が真っ当な意見を述べるが、それ以上は何もできず、ただ泣いている姉を見守るだけだ。腕の中の猫が姉の頬を舐めた。母親がヒッと息をのんだが猫は止まらない。
猫は涙を舐めていた。慰めるように柔らかく。
姉の手から塩壷が落ちた。パリンとプラスチックが割れる音がして散らばる白。これが砂糖だったらアリが大喜びするのになとぼんやり考えていたら、久しぶりに姉の生気がこもった声を聞いた。
「この猫飼うから」
飼ってもいいかという打診ではなく、決定事項である物言いに母親は何か言いたそうに目を丸くしていたけれど、最終的にはその言葉を飲み込んだのですんなりOKの運びとなった。
今の姉に逆らえる者なんていないのだ。
家の中に入れ体を拭いてやり、コンビニに行って買った猫缶を与え、段ボールに要らない布を敷き寝床を作ってやった。猫はガリガリに痩せた明らかな野良で、白髪交じりの艶のない毛並みに牙も一本抜けていることから、かなりの年寄りと思われた。
良かったな、今の我が家以外にお前を貰ってくれる家なんてどこにもないぞと、ミケと名前をもらった元野良猫に話しかける。
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