七月二十八日(日)

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 数分後、唯川さんはチームの元へと戻っていった。その瞬間まで、私は一言も言葉を発さなかった。  何を口にするかわからない。想像もつかない暴言を吐いてしまうかもしれない。そんな自分が、わからない自分が、怖かった。  相変わらず目を閉じたままの航大を見つめ、苦笑した。自分を巡った恋の争いがすぐ隣で起きていたことなど、知る由もないだろう。 「罪な男だね、ほんと」  その表現に笑えなかったのは、それだけ本気で好きになってしまっているということか。  自認した今、航大がとんでもなくカッコよく見えてしまう。  整った顔はもちろん、血管が浮き出ている腕とか、細いけどゴツゴツした指とか、雑な切り方の爪とか。 「……七波?」  そう、こうやって私の名前を呼ぶ声とか。  ……声? 「お、七波だ」  航大の目と口が、開いた。 「ふははっ、すげえ顔」  それがお見舞いに来た人間への第一声なのか。しかも、心配している顔に向かって。  でも、もう何でもよかった。  航大の目が覚めて、私を呼んでくれて、笑ってくれる。それでもうよかった。 「何、泣いてんの?」 「泣いてないよ」  嘘だ。目元が濡れている自覚はある。 「優しいな、七波は」  ……なに、それ。 「泣いてないって言ってんじゃん」 「昔から優しいもんな、七波は」  その科白と笑顔は、完全に不意打ちだ。心配をしている人間にすげえ顔とか言っておいて。だからてっきり、嘘つくの下手かと馬鹿にされると思っていたのに。しかもお前じゃなくて名前で呼んだ。名前で。七波って。 「七波?」  もう嫌。苦しい。苦しすぎる。 「おーい、どした?」 「……なんでもない」  短く答え、「熱あったんだってね」と無理矢理話題を変えた。 「あー……、聞いた?」  マズい、とでもいった表情で、私から目を逸らす。 「なんで無理したの?」  唯川さんが言うには、どうしても試合に出たかった、ということらしいけれど。 ――そんな大した試合じゃねえもん。  そう言ってたくらいなのに。 「……それ聞く?」  少し照れた表情。なに、もう。どうしてこうもいちいち可愛いのか。彼は私をどうしたいのだろう。 「聞くよ、私にだって責任あるもん」 「責任?」 「倒れるまで気づかなかった……、彼女なのに」 「期間限定だけどな」  いつもとは逆で、航大がその返しをした。  不思議な感じだ。そして、切ない。胸がきりきりする。  航大の彼女になりたい。  恥ずかしい。でも、嘘じゃない。  だって、もし夏休み初日の私に会えたら、殴ってしまいたいもの。  それくらい、航大のことが好き。彼女という立場を夢見る私を誇りに思う。 「七波」  差し出される左手。 「手、握ってくんね?」  いつの間にこんなに大きくなったんだろう。昔は、航大が転んで怪我をする度、この手を引いて家まで帰ってたっけ。 「はあ……、気持ちいー」  私が両手で包み込むように触れると、「冷てー」と頬が緩んだ。  あの時には感じられなかった、胸の高鳴り。幼い頃とは何もかもが違うのだと思った。  航大も、私自身も。 「さっきさ」  航大が、天井を見つめながら呟いた。 「なんか嬉しかった」 「嬉しい? 何が?」 「目ぇ開けた時にお前がいて」  嬉しいのは私の方だと、言ってしまいそうになった。  もう後戻りなんかできない程に、目の前の期間限定彼氏を好きになってしまっている。 「そ、それは、さ」  声が震える。でも、確かめていいのなら。 「ん?」 「……なんで?」  なんで、嬉しいのか。私と同じ理由なのか。  「期間限定」に、縛られたくないからなのか。 「なんで……、なんで、かあ……」  険しい表情で目を閉じる航大を見つめ、答えを待った。 「なんでかなあ……」  心の中で、期待している自分と不安になる自分が、向かい合う。 「……なんで……くぁー……」  ……は? 「え、寝た?」  さっきの険しい顔はどこに行ったのだと問いただしたい。でも、この無邪気な寝顔は、そんな私を全力で抑制してくる。 「はあ……」  溜息をついても、目を閉じても開いても、私の頭には航大しかいない。一種の催眠術か、なんてふざけたことを思うくらい。 「……好き」  好き。愛しい。可愛い。カッコいい。好き。大好き。  完全に無防備な航大の頬に、優しくキスをした。
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