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数分後、唯川さんはチームの元へと戻っていった。その瞬間まで、私は一言も言葉を発さなかった。
何を口にするかわからない。想像もつかない暴言を吐いてしまうかもしれない。そんな自分が、わからない自分が、怖かった。
相変わらず目を閉じたままの航大を見つめ、苦笑した。自分を巡った恋の争いがすぐ隣で起きていたことなど、知る由もないだろう。
「罪な男だね、ほんと」
その表現に笑えなかったのは、それだけ本気で好きになってしまっているということか。
自認した今、航大がとんでもなくカッコよく見えてしまう。
整った顔はもちろん、血管が浮き出ている腕とか、細いけどゴツゴツした指とか、雑な切り方の爪とか。
「……七波?」
そう、こうやって私の名前を呼ぶ声とか。
……声?
「お、七波だ」
航大の目と口が、開いた。
「ふははっ、すげえ顔」
それがお見舞いに来た人間への第一声なのか。しかも、心配している顔に向かって。
でも、もう何でもよかった。
航大の目が覚めて、私を呼んでくれて、笑ってくれる。それでもうよかった。
「何、泣いてんの?」
「泣いてないよ」
嘘だ。目元が濡れている自覚はある。
「優しいな、七波は」
……なに、それ。
「泣いてないって言ってんじゃん」
「昔から優しいもんな、七波は」
その科白と笑顔は、完全に不意打ちだ。心配をしている人間にすげえ顔とか言っておいて。だからてっきり、嘘つくの下手かと馬鹿にされると思っていたのに。しかもお前じゃなくて名前で呼んだ。名前で。七波って。
「七波?」
もう嫌。苦しい。苦しすぎる。
「おーい、どした?」
「……なんでもない」
短く答え、「熱あったんだってね」と無理矢理話題を変えた。
「あー……、聞いた?」
マズい、とでもいった表情で、私から目を逸らす。
「なんで無理したの?」
唯川さんが言うには、どうしても試合に出たかった、ということらしいけれど。
――そんな大した試合じゃねえもん。
そう言ってたくらいなのに。
「……それ聞く?」
少し照れた表情。なに、もう。どうしてこうもいちいち可愛いのか。彼は私をどうしたいのだろう。
「聞くよ、私にだって責任あるもん」
「責任?」
「倒れるまで気づかなかった……、彼女なのに」
「期間限定だけどな」
いつもとは逆で、航大がその返しをした。
不思議な感じだ。そして、切ない。胸がきりきりする。
航大の彼女になりたい。
恥ずかしい。でも、嘘じゃない。
だって、もし夏休み初日の私に会えたら、殴ってしまいたいもの。
それくらい、航大のことが好き。彼女という立場を夢見る私を誇りに思う。
「七波」
差し出される左手。
「手、握ってくんね?」
いつの間にこんなに大きくなったんだろう。昔は、航大が転んで怪我をする度、この手を引いて家まで帰ってたっけ。
「はあ……、気持ちいー」
私が両手で包み込むように触れると、「冷てー」と頬が緩んだ。
あの時には感じられなかった、胸の高鳴り。幼い頃とは何もかもが違うのだと思った。
航大も、私自身も。
「さっきさ」
航大が、天井を見つめながら呟いた。
「なんか嬉しかった」
「嬉しい? 何が?」
「目ぇ開けた時にお前がいて」
嬉しいのは私の方だと、言ってしまいそうになった。
もう後戻りなんかできない程に、目の前の期間限定彼氏を好きになってしまっている。
「そ、それは、さ」
声が震える。でも、確かめていいのなら。
「ん?」
「……なんで?」
なんで、嬉しいのか。私と同じ理由なのか。
「期間限定」に、縛られたくないからなのか。
「なんで……、なんで、かあ……」
険しい表情で目を閉じる航大を見つめ、答えを待った。
「なんでかなあ……」
心の中で、期待している自分と不安になる自分が、向かい合う。
「……なんで……くぁー……」
……は?
「え、寝た?」
さっきの険しい顔はどこに行ったのだと問いただしたい。でも、この無邪気な寝顔は、そんな私を全力で抑制してくる。
「はあ……」
溜息をついても、目を閉じても開いても、私の頭には航大しかいない。一種の催眠術か、なんてふざけたことを思うくらい。
「……好き」
好き。愛しい。可愛い。カッコいい。好き。大好き。
完全に無防備な航大の頬に、優しくキスをした。
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