七月二十一日(日)

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「……イイ」  近所のショッピングモールにて、女性水着専門店唯一の男性客が、数々の商品の前で顎に手を当てて一言。 「男としても彼氏としても満点」  そんな謎の採点をする航大を、私は少し離れた場所から見ていた。 「ねえ、あの人……」  近くで商品を見ていた女の子グループの一人が、航大を見て口にした。  マズい。確実に変態扱いされてる。クレームが来る前に去った方がいいだろうか。 「航……」  しかし私の呼びかけは、彼女の呟きに遮られることになる。 「カッコいい……」  思わず「はっ?」と声が出た。慌てて口を塞ぐ。 「わかる、超イケメンだよね」  隣にいた女性が同意する。 「めっちゃ水着見てない? 可愛いー」 「あの顔なら逆に見てほしいよね」  まるでハートを飛ばすように、航大の容姿や言動を称賛している。 「近くにいる人、彼女かな?」 「羨ましいなあ、ウチらも見てもらいたーい」  私は、最近観たバラエティ番組の信憑性を疑い始めていた。  番組内の「彼氏を連れて行きたくない場所は?」という十・二十代女性に向けたアンケートで、回答が圧倒的に多かったのは「水着専門店」だった。理由としては、「見栄を張って小さめのサイズを買ってしまう」、「デザインの好みが彼氏と異なる」、「単純に試着がしにくい」などの意見があった。  それなのに。 「理想の彼氏だよね」 「イケメンだしねー」  水着選びも――仮とはいえ――異性との交際も初めての経験である私にとっては、それらに特に抵抗はなかったことなのだけれども。 「ヤバい、マジカッコいいんだけど」 「あれは変態でも推せる」  結局は顔なのか、とツッコみたくなるくらいに彼女たちの注目は続く。だんだん恥ずかしくなってきた。 「……ねえ」  先程から黒いビキニの前を動かない背中に、消え入りそうな声で呼びかけた。振り向いた航大が「決まった?」と満面の笑みで投げてくる。 「いや、えっと……、あ、他の店も見たいなあ、と思って」 「そっか。これ、結構いいと思うんだけど」  視線は再び黒ビキニの方へ向かい、私もつられてそれを追う。改めて近くで見ると、露出度の高さに思わず後ずさった。このままじゃ、あのくだらないプラン名通りのシナリオになってしまう。 「俺としては、な」 「え」  航大が手を伸ばしたのは、ネイビーを基調とした生地に花柄がプリントされたタンキニ。シックだけどとても華やかだ。 「あ、可愛い……」 「お前はこれくらいの方がいいだろ?」  これなら体型もあまり気にならないし、泳ぐのには不向きだけど洋服感覚で着られる。 「これにする? ちなみに三千二十八円。プラス税。今日までのウルトラサマーセール価格だって」  商品のタグを私に見せる。 「これはもう買えってことじゃね?」 「そう……、かな」 「よし、決まり」  すると、何故か航大は私に水着を渡すことなく移動し始めた。 「どこ行くの」  「レジ」と単語だけ呟く。 「自分で持っていくよ」  傍から見たら、なんだか持たせているみたいで落ち着かない。 「あっ……」  違う。財布を取り出す様子を見て思った。持たせている、だけじゃない。 「い、いいよ、これは! 自分で……」  デート代は全部持つ、という言葉通り払ってくれようとしている。だけど、これはデート代じゃない。 「いいんだよ、デートで使うんだから」  説得されて言葉に詰まるも、無視して私も財布を取り出そうとした。が、バッグの中を手探りしている間に、航大はさっさと会計を済ませてしまった。 「いいのに」  溜息混じりに不満を漏らしながら、店を出る。 「ちゃんと使えよなー」  商品が入った紙袋も持ってくれている。変に紳士的で調子が狂う。 「腹減ったな、なんか」 「……ありがとね、これ」 「おう……、ってあれ!」  遠くに何かを発見したようで、「なあなあ、あれ!」と私の肩を何度も叩いてくる。一気に子どもの表情に戻った。 「かっちゃんと政子じゃない?」 「えっ……? あ、ホントだ!」  かっちゃんと政子というのは、中学時代の先生のあだ名である。勝山(かつやま)先生と(みなみ)先生。南先生は、教科書に載っていた北条政子に似ている、というだけで生徒の間でそう呼ばれていた。  三年二組の担任と副担の関係だった、ということ以外は特に何の接点もないと思われていたが、私たちが卒業するタイミングで二人はなんと結婚したのだ。 「聞いた時はびっくりしたよね、意外すぎて」 「でもあれ、結婚前に二人でいるとこ見たってやつ結構いたぜ」 「え、そうなの?」 「部活終わりのやつとか、二人が自転車で帰っていくとこ見たって」 「そうだったんだ……」  二人は職場結婚ということになる。  一日のほぼ半分の時間を同じ建物で過ごす中で、なるべく毎日顔を合わせていただろうし、好きになったきっかけとか合図とか目配せとか、二人だけの秘密なんかも生まれたのだろう。距離が近い故のものなのか、ただ相性が良かったからなのか。  「いつの間にかパパとママになってるし」と航大が気づく。かっちゃんの手元にはベビーカーがあった。中を覗いては優しい笑顔を浮かべる。その様子を見た政子は、やれやれといった表情ながらも幸せそうだ。 「なんだか全然違う人たちに見える」 「結婚って、そんなに人を変えたりするんかな」 「どうだろうね」 「かっちゃん、すげえ笑ってる」  航大がそう言って失笑する。 「ほんとだ、あんまり笑わない人だったのに」 「無駄にクールだったよな」 「ふふっ、無駄って」  つられるように私も笑った。  昔のことや思い出を共有できるのって楽しい。そして、その相手がいることはすごく嬉しい。 「あー、懐いなー」  幼なじみの特権、なんて照れ臭くも思った。 「やっぱ安定だな」 「うん、思い出話はね。無限に出てくるし」 「じゃなくて」  否定し、「お前が」と私を指差す。 「私?」 「お前といると面白えな、って意味」  言葉に詰まった。何故か声も出なかった。  適当に「そう?」とか言ったり、軽くお礼とかして返せばいいのに。  何故か何にもできなかった。  ただ、嬉しくて。 「飯行こうぜ」  ろくに返事もできず頷き、気楽に鼻歌を奏でている航大の後を追った。  きっと航大は、同じように想像することもないだろう。気づくこともない。  私が一瞬、かっちゃんと政子に私たちを重ねてしまったことなど。
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