第参話

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 話は少し遡り、場面が変わる。  アシュリーがどさりと倒れたことを確認したサラは、アシュリーの劣勢から色の悪かった顔を、まさに紙の如く真っ白になるほど、血の気を引かせていた。そのような少女の姿をみとめたアンナは、深く重いため息をごくりと飲み込む。  (何も、サラが見に来る日にボコボコにされなくても……。)  まあ、どうも今回はアシュリーの準備不足と慢心が原因であるのだろうから、ある意味では想像通りであったが。  アンナは隣で呆然とするサラの手を、優しく握ってやる。すると、ぴくり、とサラの柔らかい手が跳ねた。  「あの、大師匠。師匠は、その、大丈夫でしょうか。」  震えた声でアンナに尋ねるサラは、相変わらず無表情であった。しかし、声と顔色の悪さで、サラが動揺しているのは一目瞭然であった。  「うん、大丈夫。あれらは全て映像だしね。痛覚を刺激されて、びっくりして気絶ってところかな。アシュリーは痛みに弱いからねえ。」  サラを安心させるためにあえてのんびりそう言ってやると、少し落ち着いたのか、サラの顔色にいくらか血の気が戻ってきた。サラにとってアシュリーは師匠であり、【魔族】に成りたてであった彼女を最初に引き取ってくれた【親】なのだ。そのような存在に、いくら映像とはいえ剣が体にグッサリと刺さって倒れたりしたら、誰であろうと取り乱すだろう。  それにしても、とアンナは考える。あの新人―カツラツバサはいったい何者だろうか。いくら慢心したといえど、アシュリーの方がこの仕事のキャリアは上である。しかし、結果はアシュリーの大敗北。才能がある、などという安易な考えは危険だろう。アンナはぐるぐると考える。   「……ん?カツラ……?」  不意に、頭の隅に何かが引っ掛かるような、もやもやとした感触がアンナを襲った。ふっと顔を上げ、少し高い位置にあるサラの顔を見つめる。  「……どうかされましたか、大師匠?」 「んー、いや、待って、何だろう、うーん。」  サラの顔をじっと見つめながら、そのもやもやの正体を掴もうとするアンナであったが、中々それは尻尾を見せてはくれなかった。  「ねえ、サラ、君ってもしかして……。」  アンナはサラの手を放すと、背伸びをして、彼女の顔を両手で挟み込んだ。そしてそのまま、少女の不安に濡れた顔を―正確には、涼やかな紫電の色を持った瞳を―じっと見つめた。  アンナはサラに「ある疑惑」について問いかけようとしたが、しかし、その時、こちらへずんずんと床を強く踏みしめながら、勇ましく向かってくる二人組に気がついた。この二人組もまた、アンナの懸念事項の一つであったことを思い出し、唇を噛みしめる。  「おーい、サラ! どうだった? 閣下、格好良かっただろう? なあなあ、黙ってないでなんか言えって……ぐはあっ!!!」  青褪めた顔で突っ立っているサラの周りをうろちょろしていたサクヤの脇腹に、アカネが鋭い肘鉄を食らわせた。油断していたのだろう、思ったよりも深く入ったそれに、サクヤはうめき声を上げて悶絶する。なお、その間、サラはサクヤを黙殺していた。  「サラ、ごめんなさい。この馬鹿、テンションが上がっちゃって。なんせ、閣下の初陣が完全勝利で終わったものだから。」  アカネは涼しい顔のまま淡々と告げつつも、言葉の端々にさらりと毒を含ませる。アンナは思わず「へえ」 と感嘆の声をあげそうになった。アカネもサクヤを押さえつつ、根本的なところは似ているらしい。  似ている、と考えたところで、アンナはちらりとサラを見た。慕っている人物は違えども、アンナの隣に立つ少女もまた、この二人とは根本的なところでそっくりだった。そのような彼女が、己の敬愛する師を虚仮にされ、平静でいられるだろうか。  答えは勿論―否、だ。  アンナは自分よりも幾分も背の高いサクヤとアカネを見上げ、にっこりと笑った。サラが爆発してこの二人に何らかの攻撃を仕掛ける前に、先手を打つことにしたのだ。アンナはアシュリーの師だ。かわいい弟子が、自分の生きてきた年数の半分にも満たない子供に馬鹿にされて黙っていられるほど、ひととして出来ているとも、落ちぶれているともアンナは思っていなかった。  「サクヤとアカネは、本当にカツラくんが好きなんだねえ。」  アンナにそう言われた二人は、途端に照れたように頬を染めた。  子供だなあ、可愛いなあ、とアンナは目を細める。  「ええ、おれ、閣下のことは本当に尊敬してます!」 「はい、私たちは閣下がいらっしゃらなければ、今ここにはいませんから!」  鼻息も荒く語る二人に向かって、アンナはうんうんと頷いた。  「いいねえ、私、そういうの好きだよ?二人とも、一生懸命で、微笑ましいもん。……一生懸命すぎて、わかりやすいのが玉に瑕だけどね。」  首を傾げ、優しく告げてやると、サクヤとアカネの表情が途端にビシリと凍りついた。当たりだ、とアンナは笑みを深める。  「おかしいと思ったんだ。【枢密院】に属する私は別としても、軍部が政党員であるサラに喧嘩を吹っ掛けないなんて。さっきまで確信が持てなかったんだけど、サクヤがサラの方へ来た時点でわかっちゃった。ねえ、何で君たちはサラを監視してるの? ……ああ、正確には何でカツラくんが、かな。」  アンナの台詞に、サラは目の前で所在なさそうに佇む二人の軍部の若者たちを見つめ、漸く確信した。  こいつらは、自分の秘密を知っている上で近づいてきたのだと。  まあ、当然か、とサラは思い直す。カツラの直属の部下の時点で、大体の予想はついた。自分もまだまだである、とサラはため息をつきたくなった。  サクヤたちは気まずそうに視線をあちらこちらに飛ばしていたが、しばらくすると観念したのか、ぼそぼそと小さな声で話し始めた。  「……俺たちは、魔族に対して友好的なんですよ。」 「そっ、そうなんです。」  前言撤回。観念していなかったようだ。サラは内心げんなりとする。一方、アンナはそれを聞いて、ことさらにっこりと笑った。  「おかしいな、カツラ卿は軍部の中でも三本指に入るくらいの魔族嫌いって聞いてたけど? それなのに、直属の部下である君たちは友好的なんだ?」  サクヤとアカネは、とうとう沈黙した。アンナは、さらに畳みかける。  「ねえ、言っちゃった方が楽になるんじゃない?」 「なっ、何をですか?」  アカネが怯えた声を出した。  「サクヤ、アカネ。君たちは、カツラ卿に何を言われて私たちを……正確にはサラを見張っていたの?」  サラは相変わらずの無表情でアンナたちを見つめていたが、また少しずつ顔色が悪くなっていく。  「何で……あの人が。」  ぼそり、とサラが呟く。サクヤは、ぶんぶんと顔を横に振った。  「知りません!! 俺たちはただ、閣下の御好意でここに来ただけです! サラは関係ありません! 何も言われてません!」  もう言っているようなものだけど、と思いつつ、アンナは首を傾げた。  「あまり使いたくはないんだけど……。こちらとしては、カツラ君はアシュリーの政敵だからね。無駄ないざこざは起こしたくないんだよ。サクヤとアカネが話してくれないのなら、【枢密院権限】を使わなくちゃいけなくなるけど?」  ざあ、と音を立てて血の気を引かせ、青くなるアカネに、アンナは可愛らしく頷いた。  【枢密院権限】とは、【議会】、【大審院】という皇国内の三大機関のうち、枢密院に属する権限である。枢密院とは、議会内で承認された提案の中でもことさら難解な案件をさらに吟味し、【帝】に提出したり議会に差し戻しを行う機関のことで、【枢密委員】と呼ばれる皇国内の重要なポストを占める者たちで構成されている(大体は、政党の元総裁であったり、軍部の元大将であったり、あるいは皇国に貢献した者が枢密委員であることが多い)。アンナもその一人であり、それ故に枢密院権限を所有していた。  枢密院権限は、平たく言ってしまうと尋問権である。ただし、効力があるのは主に議会に所属する者たち―政党と軍部関係者―であり、一般人にはその効力を発揮しない。また、枢密委員にも効力を発揮するが、あくまでも自分より下の序列の者のみである。  「カツラ卿が黙っていませんよ?」  幾分か動揺が落ち着いたらしいサクヤが静かにそう告げると、アンナは微笑んだ。  「だろうね。でも、そちらから怪しい動きをしてきたんだから、一概に私たちだけに非があるとは思えないけど。」  さあ、どうする?  愛らしい顔に凄みをきかせ、少女が問う。  しばらくだんまりを決め込んでいたサクヤとアカネであったが、やがて息を小さく吐くと、「わかりました。」 と呟いた。  「お話します。閣下に何を言われ、どうしてここに来たのかを。」 「ああーっ! すみません、閣下! アカネが不甲斐ないばっかりに!」 「何ですって!? あんただって責任あるでしょうが!!」 「うるさい! だからお前と組むのは嫌だったんだよ、バーカ!!」  ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した二人に、アンナはパンパンと手を叩き、先を促した。  「で、カツラ君の目的はいったい何?」 「その前に、一つだけ訂正があります。アンナ卿。」 「訂正?」  アカネがそう呟くと、サクヤもこくりと頷いた。  「閣下はサラを見張っていたんじゃない。……俺たちに、護衛をしろって仰ったんです。」  それを聞いたアンナは神妙な面持ちになった。ゆっくりと、隣にいるサラを見上げる。  「サラ。君は、カツラ君と面識が……いや、何かしらの関係があるんだね?」  ここでアンナの予想が正しければ、サラはいつも通りの涼しげな表情で、「ありません。カツラ卿が、誰かと勘違いしているのではないですか。」と一刀両断するはずだった。しかし、実際のサラの様子はというと。  「……無いと言えば無いですし、あると言えばありますね。」  何とも歯切れの悪い返事だった。アンナは自身の予想が外れたことを、内心残念に思った。  (ああ、やっぱり、そういうことか。)  「護衛とは何だ?何故、私がそんなものをされなくてはいけない。」  アンナはこの時まで気がつかなかったが、よく聞いてみると、サラの声色はいつもよりずっと固かった。サクヤは意味ありげにサラの顔を見る。  まるで、それが答えだというように。  「最近、元総裁である魔族が襲撃され、殺害されている事件が相次いでいる。」 「知っている。」 「じゃあ、話が早いな。閣下は、遅かれ早かれお前の師匠―ブラックモア卿が狙われるとお考えになられている。」 「それが私を守ることと何の関係があるんだよ。守るなら、師匠ではないのか? まあ、たとえそうだとしても、カツラ卿より先に私が師匠を守るけどな。」  不快気に顔を顰めたサラを呆れたように見つめながら、サクヤは肩をすくめた。 「閣下は魔族嫌いだぞ? そんなことしないって。……お前もわかってるんだろ?閣下は心配なんだよ。唯一血を分けた妹が、魔族の、しかも殺害予定に確実に組み込まれているようなブラックモア卿の傍にいるってことが。」           
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