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サクヤとアカネの、何とも言えない視線を感じつつも、サラは通算八杯目となるどんぶり茶碗に山ほど盛られているふっくらとした真白い米を、よく噛みながらごくりと飲み込んだ。
「お前、その細い体のどこにそんな量の飯、入ってんの?」
「胃袋だけど。」
食堂の片隅に座った三人は、周りの政党員や軍部からひそひそと何かを言われつつも、全く意識をそちらに向けることなく昼食を共にしていた。
サラは内心、少しは周囲の目を気にしてほしいな、と思いつつも、どんぶりの中身を豪快にかきこんだ。サラは周囲がこちらを観察してくるのは、単に仲の悪い政党員と軍部の組み合わせで食事をしている珍しさからであると思っていたが、実際はそれに加えて、見た目を裏切った食いっぷりを発揮しているサラに対する興味・関心の視線もあった。
青い顔のまま茶碗の山を眺めているサクヤに向かって肩をすくめながら、そう答えるサラの手と口は、休まずに動き続けている。アカネはそのようなサラの様子を見て、「ごちそうさまでした……」と小さく呟くと、カチリと箸を盆の上に置いた。
「ずっと不思議に思ってたんだが。」
サラはふと首を傾げると、「カツラ卿のことについて。」と、もごもご口を動かしながら、ぽそりと呟いた。
「閣下?閣下がどうかなされたのか?」
「カツラ卿は、サクヤやアカネと年はほとんど変わらないだろう?そんな若さで大将の座に就くなんて、あり得ない。本来ならば、階級はもっと下のはずだ。」
目の前に腰かけるサクヤとアカネも、軍部の中での階級はサラの記憶によると、【上等兵】だ。サラより年齢が上である二人の階級がそれほどならば、カツラの階級は異例を通り越して、もはや異常であった。
「……このことは、あまり言いたくはないのだけど……。」
アカネは随分と歯切れの悪い言い方をした後、こしょこしょと囁くような声色で告げた。
「閣下は傀儡としてヨナイに用意された、お人形だってのが軍部では専らの噂なの。勿論、私たちみたいな若い世代からは支持があるのだけど、もっと上の方にいくとねえ……。」
大方予想通りの答えを得たサラは、しかし、と首を傾げた。
「だけど、ヨナイ卿は中将の階級を持ってるじゃないか。今更、傀儡政権などして何の意味があるの?」
「ヤマガタ前軍部大将が原因だ。」
苦虫を噛み潰したかのような顔で、きっぱりと言い切ったサクヤに、アカネは慌てた顔を向けた。
「馬鹿!誰が聞いてるのかわからないところで、そんなこと……!」
「ヤマガタ前大将が、ある日突然、閣下を軍部大将に御指名したんだ。阿鼻叫喚だったよ。絶対に自分が軍部大将になれる、って思ってた奴らの、あの時の顔って言ったら!」
アカネの忠告を無視したサクヤはその時のことを思い出したのか、くすくすと忍び笑いをこぼしていたが、それでもその顔色が晴れることはなかった。
「つまり、ヨナイ卿がカツラ卿を使って傀儡政権を行おうとしているのは、自身の任期内ではもう大将に就任することが難しいため、ということか。難儀だなあ。……それにしても、ヤマガタ前大将は、何を想ってそんなことをしたんだろうな。」
サクヤやアカネの話からすると、ヤマガタ前大将はカツラに対して負の感情は持っていなかったようだった。それなのに、何故わざわざカツラに対していばら道を歩ませようとするのか、サラにはとんと見当もつかなかった。
「さあね。ヤマガタ前大将って、今はもう退職してるけど、大将時代なんてほとんど何考えてるか分からないひとだったからなあ。」
サラの質問にそう答えたサクヤの隣で、アカネは神妙な顔つきで呟いた。
「でも、帝が閣下の就任に反対されなかったのが、何だか意外だったわ。」
「どういうこと?」
「サクヤの言った通り、軍部内のほとんどが、閣下が大将の地位に就く事を反対していたの。でも、ヤマガタ前大将は意志を変えるおつもりはなかったようだし、何より帝が就任に反対されなかったから、閣下は大将の座に就くことが出来たと言っても過言ではないわ。」
帝がカツラの就任に難色を示さなかった、と聞いたサラは、内心で目を丸くしたものの、それを表情に出すことはなく、じっとアカネの話を聞いていただけだった。
「ああ、でも。」
ふと、何かを思い出したかのように声を上げたサクヤに、サラとアカネの視線が集中する。
サクヤは向けられる視線の強さに居心地が悪そうにもぞもぞとしながらも、口火を切った。
「以前、ヤマガタ前大将の臨時の付き人になった時、言ってたんだ。前大将が、ブラックモア卿を見て。」
サラは、思いも寄らなかった自身の師の名前を聞いて、少しだけ心臓が跳ねるのを感じた。
「『アレとツバサは、よく似てる。』って。」
サラはもごもごと動かしていた口の中のものを全て飲み込んだ後、サクヤが放ったヤマガタ卿の言葉に言葉をなくしている様子のアカネの盆の上にまだ残っている料理をつい、と指した。
相も変わらず、誤魔化すことが下手な自身を内心で嘲笑いながら。
「アカネ。それ、残すのなら、私にくれないか?」
「は?え、何、突然の話題転換……って、まだ食べるの!?おなか壊すわよ!?」
「大丈夫。食べ足りないんだ。」
「やべえ、胃袋化け物なんだけど、こいつ。」
先程までの妙に重苦しい空気を霧散させたサクヤとアカネの、空恐ろしいものを見る視線をものともせずに、アカネの盆から余った料理を貰おうと手を伸ばしたサラであったが、不意に視線をサクヤへ―正しくは、サクヤの右手の人差指に向けると、「それ。」と言った。
「サクヤ、それ、その指。どうかしたのか?」
「指?……ああ、ちょっと切っただけっぽい。気がつかなかったなあ。いつ切ったんだろう?」
「気をつけなさいよ、鈍臭いわね。閣下は血がお嫌いなのよ。アンタの不注意で体調を崩させるんじゃないわよ。」
サラに指摘されてようやく気がついた、という様子のサクヤであったが、彼の指の傷は思ったよりも深くえぐれているようであった。一方、アカネはサクヤのどこかのんびりとした様子に、呆れたように肩をすくめただけだった。
サラは眉をしかめた。
「ちょっと?結構深く切ってないか?」
「竜族だから、こんなもん怪我のうちにも入らねえよ。まあ、放っておけばすぐに治るだろ。」
サラはアカネの顔をちらりと見やったが、アカネも特に口をはさむ様子はない。サクヤの言うとおり、竜族にとっては大した怪我ではないのだろう。
サラはしばらく考えた後、にやりと内心で笑った。
「でも、気になるからな。仕方ない、ほら、手を貸してくれ。」
「手当ては要らないぞ。」
「いいから。」
サラが強引にサクヤの手を取ると、サクヤは少しだけ頬を赤らめた。
『ふわり、ふわり、浮かんでごらん。さらり、さらり、流れてごらん。痛みよ、痛みよ、浮かんで消えろ。』
サラが呪文を唱えると、青白い光の束がサクヤの傷口を取り囲み、急速に傷を癒し始めた。目を丸くするサクヤ、興味深そうに覗き込むアカネの目の前で、えぐれるようにして裂けていた指の傷口を埋めるようにして肉が再生し、新しい皮膚がそれを覆った。
「はい、できた。」
ちょん、とみるみるうちに塞がったそこに軽く触れたサラは、サクヤの顔を上目遣いで見つめると、珍しく表情筋を動かして優しく微笑んだ。すると、サラのそれを真っ向から見ることとなったサクヤの顔が段々と赤く染まり、次第には茹でられたタコのように、真っ赤になっていく。
「……いたいのいたいの、とんでいけ、だな?」
サクヤは少し震えながら、ゆっくりと俯いた。彼は耳まで赤く染めていたものの、それを指摘する者は、この場にはいなかった。
「へえ、すごいわね。私、魔法って始めて見たわ。」
感心したように声を弾ませながら、「ねえ、サクヤ。」と話しかけたアカネは、ようやく弟子仲間の様子がおかしいことに気がついたのか、軽く彼の肩を揺すぶった。しかし、反応は返って来ない。
「ちょっと、どうしたのよ。ねえ、サラ、こいつ風邪かしら……って、サラ!?あれ、いない!?」
ぱっとサラの方へ顔を向けたアカネだったが、先程まで目の前に座っていたはずの少女の姿が忽然と消えていたことに、愕然とする。
「ど、どこに行ったのかしら?……オラ、サクヤァ!ふぬけてないで、サラを探すわよ!このままじゃ、閣下に怒られるわ!ねえ、ちょっと、聞いてる!?」
怒鳴りながら使い物にならないサクヤの襟首を引っつかみ、がくがくと揺するアカネを、食堂にいた者達は何ごとかと思いながら、遠巻きに観察していたのであった。
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