第参話

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 一言で言ってしまえば、現場は凄惨なものであった。  【宮】の東を守る【虎ノ門】は、本来ならば美しい石で固められた城壁が鎮座しているのだが、それは見る影もなくなっていた。自慢の城壁は、被害者のものと思われる血液でべっとりと染められていて、むしろ元の色を探す方が難しい。きっちりと一分の隙間もなく敷き詰められた石畳も例外ではなく、赤黒いそれが、数メートルほど引きずられたかのような痕跡を残していた。  その中でも特に、被害者が倒れていたであろう場所の周辺はすさまじく、思わずカツラはぱっと手で口元を押さえた。一方、アシュリーはけろりとしていて、汚れてしまった石畳にかがんで、血痕を一心に見つめている。カツラは、そんなアシュリーにも吐き気を覚えた。  「刃物で執拗に刺されたんだろうな。出血量が尋常ではない。」  どれほどこの人物―シリウス卿は恨まれていたのだろう、とアシュリーは考え、すぐに首を振った。正しくはシリウス卿ではない。政党、そして魔族である。  「おい、ちょっと待て。この傷、刃物だけじゃここまでならないぞ。」 「何だって?」 「おら、よく見てみろ。」  アシュリーは先程から口元を押さえ、気味の悪いものを見るような眼を向けてくるカツラが指差す方向を見やった。カツラの人差し指の先には、「何か」でえぐられたかのような痕がある、石畳が敷かれていた。アシュリーは、暫くじっとそれを見つめて、「あ」と声を漏らした。  「これ……鱗変の痕跡か?」 「そうだ。その石の敷物、ちょっと光ってるだろ。」 「ああ。」 「それ、鱗変した時に出た鱗のかけらだろうな。」  青ざめた顔で、もごもごと説明するカツラの目には、「何故?」という疑問が浮かんでいた。アシュリーは、先程カツラと共に話した内容を、脳内で反芻する。 ――「何件か、逃走時には魔法使ってるらしいんだよな。で、それとは別の件で鱗変が使われた痕跡もあるらしい。」  (やはり、魔族と竜族の共犯を疑った方が早いか。でも、本当にそれだけの話なんだろうか?)  アシュリーが顔を上げると、カツラは蹲っていた。最早、顔も満足に上げられないようである。アシュリーは小さく肩をすくめた。  「一度、別の場所へ出て空気を吸い直してきてはどうだ?」 「大丈夫……だっつーの……。」  もごもごと呟きながら、視線をそらすカツラにため息をこぼしそうになるものの、寸でのところでごくんと飲み込む。そうだ、これはまだまだ若いクソガキだった。さすがにアシュリーも、実戦経験のない若い兵士(のくせに、一丁前に軍部のトップ)に、血みどろな現場ぐらいで情けない、などといった年寄りのありがたみもない説法をこんこんと聞かせるつもりは毛頭もなかった。  アシュリーはすっと立ち上がると、きょろりとあたりを見回す。カツラは相も変わらず顔色が悪かったが、それでも口元から押さえていた手をべりっと引き剥がして、アシュリーに向かって息も絶え絶えな様子で問いかけた。  「……何してんの、お前?」 「詳細を聞こうと思ったんだが、誰に聞けばいいのかわからない。」  きょろきょろとせわしなく頭を動かすアシュリーを、一切の戸惑いなくスパン!と叩いたカツラは、「憲兵を探せよ。」と震える声で提案した。頭を押さえたアシュリーは、しかし、ふるふると首を横に振った。  「現場を検証中だ。邪魔するのは忍びない。」 「ありゃ、本当だ。うーん、聞いてもよさそうな奴、本当にいねえのかな?」  カツラはあたりを見回し、アシュリーの言う通りであることを確認すると、困ったように首を傾げた。少し回復したのか、顔色は先程よりは良くなっている。アシュリーはほっと息をつき、次の瞬間に(何故僕はこいつの心配をしてるんだよ……。)と、げんなりする気持ちを味わった。  「おお。アシュリー君に……やあやあ、これは、今をときめくカツラ新大将殿ではないか!」  すると、突然、太く優しい、こちらを包み込むかのような暖かい声が後方から聞こえ、アシュリーとカツラは二人仲良く声の方へと視線を向けた。途端、アシュリーの顔がぱあと喜色に染まる。今までの無表情―あるいは、ひとを心底馬鹿にしきったかのような、皮肉がたっぷり含まれた笑顔―が嘘かのようなその表情の変化に、カツラは一瞬思考を停止した。  「ペンドラゴン卿!お久しぶりです!お元気にされていらっしゃいましたか?」  にこにこと笑う、細身の紳士的な雰囲気を持つ男―ペンドラゴンは、アシュリーのにこやかな問いかけに対して、ゆっくりと頷いた。一方、アシュリーから発せられたその名前を聞き、カツラは慌てて最敬礼をとる。ペンドラゴンは、カツラの記憶が正しければ、アシュリーが総裁になる前に総裁であった人物―つまり、前総裁であり、現在は枢密院に所属している、大魔術師であるはずだ。魔族を心底嫌っているカツラといえど、自身よりも、年齢も位も目上の人物をぞんざいに扱えるほど、彼の神経は太くはないし、落ちてはいなかった。  「お気遣いどうもありがとう。最近は体の調子も良くてね、こうして歩いても何の副作用も出ないんだ。……それにしても、アシュリー君は元気そうだなあ。いやはや、何よりだ。……こんなところでなければ、お茶にでも誘いたかったのだがね。」  痛ましげに眼を伏せたペンドラゴンに、アシュリーも沈痛な面持ちになる。  「シリウス卿は、ペンドラゴン卿のご友人とお聞きしております。……お悔やみ申し上げます。」  何となく口が挟みにくい、と思いつつもそう言ったカツラに、ペンドラゴンは一言、「ありがとう。」と微笑んだ。その痛々しい笑みを向けられたカツラは、一瞬言葉を失った。  「ところで、アシュリー君とカツラ大将殿が一緒にいるなんて、どういう風の吹きまわしだい?なにかあったのかな?」  ぎくり、とアシュリーは身を震わせ、カツラは不審な態度を見せるアシュリーを、ペンドラゴンからは見えない位置で小突いた。ペンドラゴンは、相変わらずにこにこと笑っている。  「ペンドラゴン卿?」 「いやあ、すまない。私の頃の総裁と大将なんて言ったら、顔を合わせれば殴り合い、がデフォルトだったからねえ。なんだか珍しくて。」  アシュリーとカツラは気まずそうに顔を見合わせた。ペンドラゴンは何かを勘違いしているようだが、アシュリーとカツラの関係も、似たり寄ったりだ。あえて異なる点を探すなら、物理的な殴り合いではなく、言葉による殴り合いというところか。  「時代は変わったんだなあ。そうだね、今は敵対するのではなく、お互い歩み寄ることが大切なのかもしれない。シリウスにも聞かせてやりたいよ。あいつの時代の総裁と大将の関係はひどかったんだよ。なんせ議会で話し合いをしていたのではなく、殺し合いをしてたんだからねえ。」  からからと笑いながら話すペンドラゴンに、アシュリーとカツラは揃って脱力する。しかし、ペンドラゴンが朗らかな笑みをその細面からすっと消すと、アシュリーとカツラの顔に、緊張の色がさっと走った。  「ここからは真面目な話なんだが、この事件で気をつけるべきなのは、我々老いぼれよりもアシュリー君やカツラ大将殿の方かもしれない。」 「?どういうことですか?」  眉をひそめながら問うカツラに、ペンドラゴンは声をひそめた。  「こんな事件を起こされて実際に困るのは、君たちだろう?恨み、というのはあるのだろうが、それは我々よりもむしろ君たちのような若者に向けてのものなのかもしれない。」  まあ、あくまで推測だがね。そう言って。再び朗らかに笑いかけてきたペンドラゴンは、腕に巻きついている時計をちらりと見て、目を丸くした。  「ああ、すまない。そろそろ私は次のところに行かなければ。やはり若い人と話すのは楽しいね。シリウスの現場も見れたことだし、特に思い残すことはないな。」  ペンドラゴンは少し咳をし、それから片手を上げるとそのままくるりと踵を返し、急ぎ足で現場を去った。時折、去りゆくペンドラゴンが検証をしている憲兵の方を叩いては、口早に何かを告げている。彼と話した後、明るい表情で仕事に戻る憲兵たちの様子から、彼らはペンドラゴンに励まされているのだろうな、とアシュリーは思った。 アシュリーがペンドラゴンの小さくなる後ろ姿に「お気をつけて。」と一言、声をかけると、隣でぺこりとお辞儀をしていたカツラが、ちらりとアシュリーに視線を向けた。  「優しそうなおっさんだな。」 「おっさん言うな。あの方は、慈悲深く誰に対しても分け隔てのない、素晴らしい方なんだぞ。」  むっとした表情でそう語るアシュリーに、「わかってる。」とカツラは珍しく素直に頷いた。  「ペンドラゴン卿、俺が軍部だからって馬鹿にしなかった。」 「そうだな。なかなか難しいことを、あの方は平気でやってのけるんだ。」  どこか誇らしげに答えたアシュリーは、ふとカツラを見上げると、にこりと笑った。突然向けられた、アシュリーの邪気のない笑顔に、カツラは思わずたじろぐ。  「ペンドラゴン卿とシリウス卿は、見た目の年齢が同い年なんだ。」 「へえ。それが?」 「何歳ぐらいに見えた?」 「……五〇歳、ぐらい?で、それが何なんだよ。」 「お師匠様は、お二方の先輩なんだそうだ。」 「……。」  カツラは、想像した。 確か、アシュリーのお師匠様―アンナの見た目は、十歳程の可憐な少女であったはずだ。  「……アンナ卿って、お幾つなんだよ。」 「お前、それをお師匠様に面と向かって聞くなよ?いいか、絶対にだ。フリじゃないぞ。聞いたら最後、次に目覚めるのは一週間後だからな。」 「なにそれ体験談?」  カツラはアシュリーも冗談を言うのかと、目を丸くした。そして、少しだけ親近感のような、何とも言えない感情を抱いたのだが。  カツラの問いかけに向かって、アシュリーは至極真面目な表情で頷いた。  「ああ。体験談だ。」 「マジで!?」             
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