第一話

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 『言葉』とは、使い方によって、人を救うことも殺すこともできる【魔法】だとアシュリーは思っている。  アシュリーがその昔、まだ幼いころに両親から聞いた『ニンゲン』という生き物は、太古から魔術やら奇術やらの異能の力に憧れていたようであったが、アシュリーに言わせると、全くもって馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。『魔法』に対して『ニンゲン』はなかなかのコンプレックスを持っていたようだが、『ニンゲン』にはすでに『言葉』という、相手に対して絶対的な支配力を持つ『魔法』を持っているではないか、というのがアシュリーの見解であった。しかし、そう声高に『ニンゲン』に言ってやりたいものの、残念ながら彼らは所謂伝説上の生き物であい、長らく生きてきたアシュリーや、彼の両親でさえ、その存在を見たことはなかった。忠告など、できるはずもなかった。  ふと、『ニンゲン』という生き物に会ってみたい、と小さくこぼしていた自身の師を、アシュリーは思い出す。  彼女は、伝説上の生き物のくせに愚かで傲慢、残虐の限りを尽くして彼らが敵と認定した存在を葬り去る悪名高い『ニンゲン』のことを、よく擁護していた。アシュリーは師匠である彼女のことは敬愛していたけれども、どうも彼女の『ニンゲン』贔屓だけは理解できなかった。アシュリーの自慢の師匠である彼女の、たった一つにして最大の欠点だと、アシュリーはひそかに思っている。  つらつらと眠気覚ましに考え事をしていたアシュリーは、ようやくすっと目を開けた。  彼の瞳に映るのは、大きく広い、円柱型の講堂だ。講堂内にあるものは基本的にすべて木で作られている。滑らかに磨き上げられたヒノキの表面が、人工灯に反射し、きらりと光る。講堂内には数百ほどの人数がざわざわとしながら、それぞれの指定された席に座っていた。  講堂内に存在する者の種類は、大きく分けて三種類ほど存在した。  一つは、軍服を着た集団。黒、というよりは紺に近い色合いの暗い色の布地に、腰にベルトを巻き付け、短めで厚手のマントを羽織っている。膝まですっぽりと覆ったごつごつとしたエナメル質のブーツに学生帽のようなものを頭に乗せているのが一般的なようで、階級が上がるごとに装飾品が増えているようであった。彼らは丁度アシュリーの座席の目の前に位置するように座っている。  次は、豪奢な衣服をまとった集団。宝石や鎖など、ごちゃごちゃと重たそうな装飾品を体中の至る所に付け、ひらひらとしたシャツやリボンで埋もれている様子は、軍服の集団を見た後だと、いやに目がちかちかする。なお、彼らもマントを羽織っていたり帽子を被っていたりするが、そちらも装飾品や布の色が派手なためか、どこか浮いた雰囲気を醸し出していた。こちらはアシュリーの後ろ側に座っていた。  最後は、裁判官のようなゆったりとしたマント付きローブを身にまとった集団だ。この集団が一番目立たない格好をしていて、油断すると背景と同化さえしてしまいそうな、希薄な雰囲気すらあった。彼らは装飾品などは一切身につけていないが、その代わり、重たそうな本や木槌のようなものを抱え持っていた。彼らはアシュリー側の集団と、軍服の集団の丁度真ん中あたりにずっしりと置かれている台座のようなところに座って、アシュリーらを無感動に観察していた。  アシュリーは周囲を見渡していた視線を、まっすぐに向けた。彼のエメラルド色の瞳が光に反射し、きらりと光った。彼の瞳が映すのは、軍服の集団の前に立っている、でっぷりとした腹を持つ、中年の男であった。  男は鼠のようにせわしなく目をきょろきょろと動かしながら、アシュリーを上から下まで観察している。男の目が最後、アシュリーの顔をとらえると、たっぷりと蓄えられた髭が口元とともに持ち上がった。多分笑っているんだろうな、と大変不快な気持ちになりながら、アシュリーはじっと男を観察していた。  男は、アシュリーの憶測通り、笑っている。その小汚い顔に浮かぶのは、間違いなく嘲りの色である。思わずため息をつきそうになるが、公衆の手前であることを思い出し、ぐっとこらえる。大方、アシュリーの見た目の若さに対する嘲りだろう。これまでにも何度もあったことであるが、やはり腹が立たなくなることはないようだった。  (生きた年数で見れば、断然私よりも、餓鬼のくせに。)  心の中で、でっぷりと腹の出た男を罵る。しかし、男がアシュリーを侮るのも、仕方のないことなのかもしれない。何せ、アシュリーと男の見た目の年齢の差は、それこそ親子ほどの開きがあるのだから。  ただし、あくまでも『見た目の』話だが。  「かの有名なブラックモア卿が、このようなお若い方であるとは。いやはや、驚きましたなあ。」  男はアシュリーを見ながら、にやにやと笑った。アシュリーは再びため息をつきたくなった。  (こいつ、いままでの【議会】を見ていないのか?私のことを馬鹿にしている時点で、嫌な予感はしたが……。となると、位は勿論【大将】以下。良くて【中将】か【少将】、もっと下の場合もあるか。)  【軍部】も随分舐めてかかってきたな、とアシュリーは呆れ半分で思った。  (確かに前回の議会では羽目を外しすぎたけど。)  軍部はアシュリーに対して並々ならぬ怒りを抱いているに違いない。それもそうだろう。軍部の大御所―ヤマガタ前軍部大将が定年退職をされてから、アシュリーの軍部潰しは激しさを増している。現に、アシュリーはもう何人も、将来有望株であった軍部の期待のホープを絶望の底へと叩き落とした。  (でも、こんな雑魚が来るぐらいなら、もう少し他の奴らで遊んでからにすればよかった。)  アシュリーはいまだににやにやと底意地の悪い笑みを浮かべている男に、唐突ににっこりと笑いかけた。  底意地の悪さなら、アシュリーだって負けてはいないのだ。  「この議会では老いも若いも関係ありませんよ、ヨナイ卿。……ああ、それとも、私の『見た目』が若輩者だから、議会でも手でも抜こうとでも?」  アシュリーが冷たく笑いかけると、男―ヨナイはびしりと固まった。図星をついた、と内心ほくそ笑みながら、アシュリーはさらに畳み掛ける。  「別にかまいませんが、あとで言い訳はしないで下さいよ。面倒臭いんで。」  ヨナイの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく様子を、目を細めてアシュリーは見つめる。ここで怒鳴りながら、アシュリーを貶すような発言でもしてくれれば、今日の議会はすぐに終わるのだけど、とアシュリーは呑気に考えていた。  しかし、相手もそこまで馬鹿ではなかったようだ。アシュリーに対して怒鳴るようなことも、貶める発言もしなかったが、馬鹿にされた怒りは収まらなかったのだろう、ぶるぶると小刻みに体が震えている。  「ブラックモア君、ヨナイ君、そろそろ議会を開始する時間です。着席するように。」  すると、タイミングを見計らったかのように、ローブの集団の中でも一際高い位置に座る女性――議長がアシュリーとヨナイに向かって温度を感じさせない平坦な声色で告げた。議長の言葉に従って、二人は無言でそれぞれの席へ座り直した。議長がそれを確認すると、持っていた木槌をかんかんと、机にむかって打ち鳴らした。すると、今までざわついていた議会の構内がしん、と静かになる。  「では、これから第三九九回皇国議会を始めます。」  高らかに言い放った議長は、彼女から見て右側にいるヨナイに顔を向ける。  「ヨナイ君、君たち軍部の提案内容を発表してください。」  ヨナイはいまだに怒りが収まっていないのか、議長に返事もせず、乱暴に彼の前に鎮座する机を叩いた。しかし、彼が机を叩いた行為は決して怒りにまかせて物に当たったわけではない。その証拠に、ヨナイが机を叩いた瞬間、ヴン、という電子音とともに一つの映像が浮かび上がった。映像の内容は、今日の議会で発表される資料であろう。わかりやすく、大きな文字で提案される議題名が映し出されていた。アシュリーとヨナイの後ろに控えている、【政党】と【軍部】の者たちにはすでに資料が配られていて、がさがさと頁をめくる音が構内に響き渡る。  「議題は、『六・六艦隊の予算』についてだ。」  ヨナイは唸るように言った。一方、アシュリーはつまらなそうに議題の文字を見やった。  「またですか?前回の議会で決着をつけたでしょう。」  「ついてないわっ!!!前回は粘りに粘り、次回に持ち越しということになっただろうが!!!」  アシュリーはああ、と頷いた。何だかそんな気もしてきた、とぼんやり思う。何せ、この『六・六艦隊案』はかれこれ五回ほど議題にのぼり、その度にアシュリー率いる政党が潰してきたのだった。実際は、潰しきれずに何度も復活している状態ではあるが、アシュリーはそれを都合よく忘れることにした。  「五回も提案され、その度に提案破棄をしていると、いつの議会で何の話をしていたか忘れてしまうんですよ。」  年ですかねえ、と首を傾げるアシュリーに、ヨナイが苦虫を噛み潰したような顔になる。  「年は儂よりも若……いや、アンタは【魔族(シュロマー)】だから、見た目の年齢は関係ないのか……って、そうではなく!ブラックモア卿!もう五回ほど申し上げておりますが、『六・六艦隊案』は対外、とりわけ隣国である【帝国】への防衛のためにも必要なことなのです!」  ヨナイがまたもや机を叩くと、ザザザ、と映像が浮かび上がる。資料映像を見た構内の政党員や軍部の者は、再びざわざわとどよめき始めた。  「我が国は、ここ二〇〇年前までは内戦によって他国に気を払う余裕はありませんでした。しかし、我々が内戦にうつつを抜かしている間に、他国は確実に力を伸ばしていった。……特に、海を越えた大陸に位置する帝国などはそれが顕著です。」  映像には、実に凄惨な光景が広がっていた。ヨナイ達軍部が脅威に感じている帝国とは別の国である、海を越えたさらにその先にある大陸に存在する【王国】。映像の内容は、王国の外で暮らしている【部族】が帝国の侵略にあい、何もかもを搾取されている光景であった。アシュリーは思わず眉を寄せる。  「王国は五〇〇年前、我が国と同じように内戦によって一度は荒廃しかけた国でありますが、みなさんがご存知の通り、いまでは先進国として活気にあふれていた国でありました。……帝国の侵略にあうまでは。」  ヨナイはさらに資料を使いながら、口頭で説明をしていく。曰く、侵略国家として台頭し始めた帝国はまず最初に、資源も人材も豊富な王国に目を付けた。しかし、王国側の激しい抵抗にあったため、王国全土を支配することは不可能であったが、王国と不可侵条約を結んでいた部族に対し、奴隷狩りを行った。当然、種族は違うとはいえ同じ大地で暮らしている部族に手を出されれば、王国だって黙ってはいられない。しかし、帝国は奴隷狩りをした後、帝国へ強制連行した部族を人質にとり、あろうことか王国を脅したのだ。  「帝国は王国を侵略し終えたも同然です。これが、我々【皇国】にも起こらないことがありましょうか。」  ヨナイは議会に設置されたカメラ一つ一つにむかって、芝居がかった身振りで訴えかける。  議会の内容は、皇国内全土に放映されている。  不正がないように、というのが第一の理由であるが、実はそれ以外にも理由は存在する。一つの議題の審議が終わった後、【臣民投票】によって議題の承認が決まるのである。ヨナイがカメラに向かって演説しているのはそのためだった。  アシュリーは再び資料をめくる。臣民の不安を煽る作戦なのだろうが、果たしてそんな浅知恵で上手くいくのだろうか、とぼんやり考える。  「我々軍部には、臣民の皆様の安全を保障する義務があります。臣民の皆様を、隣国のような危険な目に合わせてもよろしいのでしょうか。」  最後はじっとりと、あきらかにアシュリーを非難するような目で見ながら、ヨナイが告げる。すると彼の後ろから、否、という声が上がる。続けて、ぱらぱらと拍手が沸き起こり、次第に大きな音となり、やがて講堂内を覆うような拍手が沸き起こる。ヨナイはにんまりと笑うと、それらに向かって一礼をした。  「ありがとうございます。……ブラックモア卿、お分かりいただけましたかな。我々は帝国の侵略を避けるために、軍備を増強しなければならない。侵略に対抗するには、武力をもたなければならんのです!そのための、『六・六艦隊案』なのです!」  ヨナイが勝ち誇ったような顔で、にやりと笑った。盛大にアシュリーを馬鹿にした態度である。しかし、アシュリーにはもはや怒りすら湧くことはなかった。  (……なんだ、こんなものか。)  ひどくがっかりする。これならば、まだ前回までの相手のほうがよっぽど面白かったし、手ごたえもあった。  まあ、その相手はアシュリーによって駄目にされてしまったが。  「……それだけですか?ヨナイ卿。」  アシュリーが発した言葉は決して大きなものではなかったが、それでも議会をしんとさせるだけの威力はあった。  「ブラックモア君、発言するときは挙手をお願いします。」  唯一、アシュリーのひんやりとした空気をものともしていない議長が、アシュリーを注意する。アシュリーは「すみません。」 と小さく頭を下げ、ゆっくりとヨナイに向き合った。  「それだけとはどういうことだね、ブラックモア卿。」  アシュリーの纏う、触れるもの全てを切り裂くような雰囲気に圧倒されながらも、ヨナイが口を開く。軍部の者たちも、そうだそうだ、と口々にアシュリーを糾弾するかのような勢いではやし立てる。  「黙れ、口を開くな愚劣な木偶の坊ども。ろくな提案もできないくせに、文句だけは一人前だな。」  アシュリーは黙っていると、とても美しい顔をしている。  輝くような金色の髪の毛に、陶磁器のようなしみ一つない白い肌。瞳はエメラルドのように深い緑色である。一見すると、少女のような容貌でもあった。ーー余談ではあるが、アシュリーは自分の容姿が少女めいていることに多大なるコンプレックスを抱いている。  閑話休題。  しかし、残念ながら彼の性格は容姿を裏切ってねじ曲がっているので、毒舌という言葉が裸足で逃げ出すレベルの口の悪さなのである。口さえ開かなければ、をまさに地で行くタイプだった。アシュリーの師は彼を見るたびに、「本当に勿体ないよね、アシュリーって。」 と、大変残念なものを見るような瞳を向けながら、ため息交じりにそう言うのが常だった。  アシュリーの矢を穿つような鋭い発言に、ヨナイをはじめとする軍部の者たちが一斉に黙った。一方、議長は、無表情ながらもどこか呆れたように肩をすくめながら、再びアシュリーを注意する。  「ブラックモア君、言動には注意してください。特に、君は本当に口が悪いですから、気を付けないと議会から退場する羽目になりますよ。」 「わかってます、議長。な る べ く 、言動には注意します。」  議長はため息をついた。どうやら、アシュリーを注意するのは諦めたようである。  「では、ブラックモア君。発言をお願いします。」  アシュリーは頷くと、バンッ!と勢いよく机をたたいた。電子音を響かせながら、アシュリーの用意した資料が映像となって浮かび上がる。  映像には、ここ最近の皇国の農業作物生産数や重化学工業、軽工業の関するグラフや表が載っている。全て右肩下がりのそれらを見て、ヨナイは顔色を悪くした。  「この資料をご覧ください。」  ざわつく議会内にむかって、アシュリーは静かに言った。彼の視線はピタリとヨナイに向けられている。  ヨナイはごくん、と唾を飲み込んだ。  「我が国の現在の状態です。ヨナイ卿のおっしゃる通り、皇国は近隣国に比べれば歴史の浅い国ですから、侵略するにはうってつけの国でしょうね。何せ、最近まで内戦に明け暮れて、ろくに発展もしていない国でしたから。……そんな国が付け焼刃の軍事力で、時代の最先端を行っている帝国に勝てるとでも?」  ぎらり、とアシュリーの瞳が光る。来る、とヨナイは直感的に思った。  その証拠に、アシュリーの頭上で空気がうねり始めている。まるで、アシュリーの言葉に合わせて空気が動いているかのようなそれは、皇国が内戦の果てに生み出した、新しい「対話」の形でもあった。  「貧相な軍事力で勝てる相手だったら、そもそもこの計画案で揉めてることはないんだよっっっっっっ!!!」  ギュルリ。アシュリーの頭上の空気が一段とねじ曲がる。すると、空気のねじれから美しい黄金の槍が、突如顔を出した。全長三メートルほどのそれに、先ほどアシュリーが発した言葉を連ねる文字が、くるくるとまとわりついている。槍は大げさなほどぐるんぐるんとゆっくり回転していたが、だんだんスピードを増し、加速していく。ヨナイは後ずさりした。アシュリーは、じっと自らの頭の上で回転し続ける槍を見つめていた。  「三メートル級……。まあ、こんなものか。」  そうアシュリーが呟いた瞬間、槍はものすごい勢いでヨナイに向かって突進した。  ドゴオッ!  激しい音とともに、ヨナイから五〇センチメートルほど離れて落下した槍は、音もなくその姿を消した。槍は、映像によって作り出されたものだった。しかし、あまりにもリアルなそれに、慣れているはずの議会内の者たちですら声を出せなかった。  ひとりけろりとしているアシュリーは続けた。  「ヨナイ卿、まさかビビッていませんよね?私の発言はまだ終わっていませんが。」  アシュリーがからかうように告げると、それまで茫然自失としていたヨナイの顔に朱が走った。アシュリーは笑った。  「貧相な軍事力なら、予算をつぎ込んで強化していけばいい。軍部はそう思っているようですが、知っての通り、ここ最近、この国にはお金があまりない状態なんです。どこかの誰かさんたちが軍備増強とか言って無駄に金を注ぎ込んでしまったから。」  緊縮財政をとっていることは、貴方がたもご存じのはずだ、とアシュリーが言うと、渡りに船、とでもいうようにヨナイの顔が輝いた。調子を取り戻そうとするかの如く、意地悪く笑いながら、アシュリーをにらみつける。  不細工だな、とアシュリーは思った。  「そっ、そうだ!皇国内で赤字財政が続いていることぐらい、我々だって知っている!そのせいで臣民が苦しい生活を送っていることもな。だからこその、軍備増強だ!我々【竜族(ドラグン)】の戦闘能力と、魔族の魔力が合わされば、帝国だって返り討ちにできる!戦争をすれば景気も良くなって財政問題も解決できるし、まさに一石二鳥じゃないか!」  アシュリーは、笑うヨナイの顔を、吹き飛ばしてやりたくなった。理由も論理もめちゃくちゃである。ヨナイの今の発言は、軍部が臣民の生活の苦しさを承知で、さらに苦行を強いろうとしていると臣民の目の前で言ったも同然であった。理解に苦しむ、とアシュリーは内心頭を抱えた。何より、戦争以外の解決策を思いつかないところがすでに落第点だった。  ヨナイの発言から生み出された紅蓮の剣は、しかし、アシュリーから遠く離れた地点に落下し、消えた。当然だ、とアシュリーは思う。ヨナイの発言には、アシュリーに致命傷を与えるような鋭い発言は存在しなかったのだから。  相変わらず笑い続けているアシュリーを不気味に思ったのか、ヨナイはふっと黙った。それを好機、と考えてアシュリーは口を開く。  「ヨナイ卿、説明をしてほしいのですが、なぜ帝国と戦争をすることを前提として話を進めているのでしょうか。」  アシュリーの唐突な発言に、ぽかん、とヨナイが口をあけた。  「帝国の侵略を防ぐには、戦争の道しかないだろうが……。」  アシュリーは首をかしげた。さらり、と金色の髪の毛が肩から零れ落ちた。  「そうでしょうか?私は、別の道もあると思いますが。」  ざわり、と再び議会がざわめく。ヨナイは信じられないのか、「な、何を言っている!?」 と机から身を乗り出すようにしてアシュリーに食ってかかった。ヨナイの腹が机に食い込み、余った肉が机の上に乗る様は醜悪だった。  喚くヨナイは気が付かなかった。アシュリーから遠く離れた場所で、先ほどヨナイの発言によって生み出された紅蓮の剣が再び浮き上がり、その切っ先をまっすぐと、ヨナイに向けていたことに。  「帝国は確かに、王国を侵略し、実質植民地化してしまった。ですが、我々皇国にはまだ何もしていません。」  議会内の何人かがはっとした。アシュリーの頭上に、再び大きく渦を巻く音がする。  「我々から戦争を仕掛けてしまえば、言質はとった、とばかりに攻撃されてあっという間に植民地化でしょうね。皇国の軍事力を鑑みても、勝てる可能性は一桁台であれば良い方……。そんな危険を冒すより、もっと楽な方法で帝国の侵略から逃れ、なおかつ国を振興させる方法がありますよ。」  にこ、と笑ったアシュリーは次の瞬間、ヨナイに止めを刺す決定的な言葉を吐いた。  「帝国と、同盟を結べばいいんです。」  現れた黄金の巨槍は、先ほどとは比べ物にならないくらい巨大だった。切っ先をピタリとヨナイに据えて、静かに回転数を上げていく。いつの間にか、紅蓮の剣も巨槍の周りを取り囲むようにして浮かんでいた。ヨナイは恐怖のあまり、カエルが潰れたような、ひきつった声を出しながら、アシュリーへ詰問する。  「同盟を結んだとして、帝国が裏切らない保証があるのか!!?」 「保証はありませんが……。しかし、裏切らせないように交渉を進めていくのも、我々の政治力の一つでは?」  アシュリーの言葉に、ヨナイは唸り声をあげた。真っ赤な顔のまま、何も言うことが出来ない丸顔の男に向かって、淡く微笑む。  ぎゅるん、と槍が回転する。アシュリーは、ゆっくりと右手を持ち上げた。  「同盟を結べば、侵略もされませんし戦争で国が疲弊することもないです。貿易だって盛んになりますし、そうすれば自然と国の財政も潤う。臣民の生活水準も上がるでしょうね。もちろん、課題もあります。帝国が同盟を結んだとしても裏切るかもしれないし、対等な同盟相手とは見なしてくれないかもしれない。……まあ、最初の課題は解決できるにしても、二つ目はよく話し合う必要がありますが。」  ヨナイは何も言わない。議会で言葉を発しないということは、すなわち議論を放棄したことと見做される。アシュリーは嘆息した。大凡、ヨナイにはもう抵抗する気もないのだろう。だとしたら早く終わらせて、とっとと別の議題に移ろう、とアシュリーは思った。話し合うことはまだまだたくさんあるのだ。何度潰しても復活する、厄介な計画案ばかりにかまけている暇はない。  「ヨナイ君、何か反論はありますか?」  今まで静かに議論を聞いていた議長がここらでやっと口を挟んだ。ヨナイは相変わらずの顔色のまま、何も言わない。議長は「わかりました。」と頷くと、片手を持ち上げ止めを刺そうとしているアシュリーに向かって頷いた。  「ブラックモア君、どうぞ。」  アシュリーは手を振り下ろした。頭上で爛々と輝く黄金の巨槍と紅蓮の剣は、ごう、と音を響かせてヨナイに向かって突っ込んだ。それらは確かに映像であるはずなのに、妙な現実感を伴って、ヨナイを貫いた。ヨナイは槍の勢いに引きずられ、そのまま彼の後ろに控えていた軍部の者たちを巻き込んだ。  「うわあああああああ!」 「いっだ! 踏まれた!」 「ヨナイ中将! 大丈夫ですか!?」  わあわあと慌てる軍部とめちゃくちゃになってしまった議会を見渡し、議長は長くため息をついた。  「ブラックモア君。もう少し地味にお願いできませんか。」  アシュリーは肩をすくめる。その様子を後ろで見ていた政党の者たちも、アシュリーに向かって口々に文句を垂れていた。  「総裁! あんまり派手すぎますと、そのうち退場くらいますよ!?」 「あれほど地味にってお願いしたのに……!あんた何聞いてたんですか!?」 「マリアージュ卿に言いつけますよ!」 「また議会延長じゃないですか!俺、今日嫁に早く帰れるって言っちゃいましたよお!」 「うるさいな! うっかりでやってしまったんだ! 相手のドヤ顔に腹が立ったんだよ !…というより、今お師匠様に言い付けるって言った奴、出てこい! 私は幼児か!? 自分がやらかしたことぐらい、自分で解決できる!」 「あんたいつもできてないでしょうが!」 「どうせ後でばれるんですから、今のうちに怒られておいてくださいよ。」 「いやだ! お師匠様の説教は長いんだよ!」  ぎゃあぎゃあと騒ぎ始めるアシュリーと政党員たちを見た議長は、頭が痛くなる。  議会恒例の政党員対総裁の図に、議長はキャリアが長いものの、無性に転職がしたくなった。ちら、と泡をふいて気絶しているヨナイを見て、さらにその気持ちが強くなる。  「とりあえず、臣民投票を始めたいのですが……。」 ぼそり、と呟かれた議長の言葉はアシュリーたちのばか騒ぎによってかき消された。  あとどれくらいで雷を落とそうか考え始めた議長に気がつかないアシュリーたちは、本当に議長に雷を落とされるまで、政党員と総裁の知りたくもない裏事情をさらし続けるのだった。
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