第一話

3/3
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
 「アシュリー、また暴れたんだってね?政党員たちが嘆いていたよ。『アシュリー総裁はいつになったら落ち着きを見せてくれるんですか。』ってね。」  総裁に用意される執務室で、アシュリーの膝の上に 座りながら彼を見上げる少女は、パチンと紅葉のような愛らしい掌で、アシュリーの額をたたいた。十歳ほどの年齢の彼女は、赤みがかった茶髪を肩より少しだけ長く伸ばしている。くりくりとした大きな瞳をじっとアシュリーに向けながら、「アシュリーは子供なんだから。」 とぷりぷり怒っていた。アシュリーは、はたかれた額をさすりながら、恨みがましく少女を見る。若干、涙目だった。  「だって、あのハゲネズミ、全く使い物にならないんですよ?言うことは大体前回の議会と一緒ですし、私のことを馬鹿にするし……。つまらなくて、早く終わらせたかったんです。次の議題もありますし。お師匠様だって、嫌でしょう? そんな豚野郎の相手なんて。」  アシュリーからお師匠様、と呼ばれた少女は、「まあね。」 とあっけらかんとした表情で答える。にこやかに笑うその顔は、まるで花が咲いたかのようだった。ぶすっとむくれていたアシュリーの顔も思わず緩む。しかし、少女は「でもね。」 と続ける。  「だからって、ああやって雑に扱うのも失礼だと思うよ。アシュリー、君は確かにとっても優秀だね。私の弟子にしておくのが勿体ないくらいには。」 「そんなことありません! 私はお師匠様の元にいるからこそ、今の私があるんです!」  アシュリーは頬を染めながら、少女に向かって抗議をした。少しだけ視線が不自然に逸らされているそれに、照れていることが少女には分かった。  少女はアシュリーの頬に手を添えて、頭を優しくなでた。  「次は気を付けてね。」  金色の髪の毛に指をくるりと絡めながら、少女は言う。アシュリーは素直に頷いた。  「あれは……【議会論争機関(ダーク・エッグ・システム)】は、私たち魔族が竜族との話し合いをすることを可能にする唯一の方法なんだ。これを取り上げられたら、また戦争だよ。」  アシュリーが敬愛する師匠である少女―アンナ・マリクージュはにっこり笑いながら、戒めの気持ちを込めて、アシュリーの額をもう一度、パチンと軽く叩いた。            ***  アシュリー達が住む国は【皇国】と呼ばれる、皇制を取っている国である。【帝】と呼ばれる、【王国】でいう王、【帝国】でいう皇帝と同じ位に位置する存在を筆頭に、政を行い国を営んでいる。  皇国は特殊な政治運営を行っている。  それは、【議会論争機関】、通称、【ダーク・エッグ・システム】だ。  簡単に述べると、【軍部】と【政党】という二つの所属に分かれて、それぞれを支持する【臣民】のために議論を戦わせ国をよりよく運営していこうとするシステムだ。なぜ、通称がダーク・エッグなのかというと、ひとえにそれは議会を支配する主要機関が「黒い卵」の形をしているためであった。この主要機関、ダーク・エッグは議会内で【帝】に次ぐ決定権を持っている。【帝】は基本的に、議会内で何か発言をすることは滅多にないので、実質的にダーク・エッグが議会内で最高決定権を持っていることとなる。  ダーク・エッグは約五〇〇年前に、別の大陸から持ち寄られた兵器を改良した、人工知能であった。普段は議会本部である【宮】の最深部の、【国会議事堂】の最奥で眠っている。彼(あるいは彼女)に会うことができるのは、基本的に政党のトップである総裁か、軍部のトップである大将、そして【帝】だけである。  このシステムが確立したのは、つい最近のことであった。  皇国は二〇〇年前まで内戦に明け暮れていた国であった。所謂、民族紛争の一種である。もともと、皇国が存在する大陸には魔族が暮らしていたが、二〇〇年前に竜族が海を越えたさらにその先にある大陸から移り住んできたのである。魔族は竜族を受け入れることができなかった。今まで自分たちだけで暮らしていた土地に、突然余所者がやってきたのだ。もちろん、彼らは排除しようとした。しかし、竜族は戦闘民族であるため、魔族は返り討ちにあってしまった。  そこから、不幸は始まった。互いが土地の権利を主張し、血で血を洗う、殺し合いが始まったのである。  【竜族(ドラグン)】は戦闘民族とだけあって、身体能力がかなり高い。怪我をしても軽いものならほんの数秒で治ってしまうほどの回復力を有するし、体力も底抜けにある。加えて、竜族の起源ともなった【鱗変(りんぺん)】と呼ばれる、体から鱗のような鋭く硬い皮膚を繰り出し、敵を攻撃したり自身を守ったりするための器官を所有することも特徴のひとつであった。ただし、回復力が高いと言っても病気には罹り、寿命も一〇〇年ほどしかない。つまり、寿命の分を回復力に回して生命力を格段に伸ばした種であるといえよう。  対する【魔族(シュロマー)】は、怪我は長引き、病気にもかかる、戦闘には向いていない種族であった。しかし、彼らには特殊な力と不老という特徴を有していた。特殊な力とは、魔法と呼ばれるもので、魔族ひとりひとり違う能力を司っている。また寿命が極めて長く、五〇〇年は軽く生きることができる。魔族として覚醒すると老化が止まるが、老化が止まるタイミングはそれぞれのため、様々な年代が存在する。しかし、魔族の最大の特徴は生殖能力がないことであった。彼らは、子孫を残せない。では、どうやって彼らは子孫を残すのか。それは、後に紹介することにする。  お互いを殲滅するためだけの不毛な争いを繰り広げた魔族と竜族であったが、数でいうと圧倒的に竜族の方が多い。加えて魔族は子孫が残せない。殺し合いがこのまま続けば、いずれ魔族は死滅し、竜族がこの大陸の支配権を獲得するはずだった。  しかし、ある日、竜族は気がついた。  殺しても殺しても、一向に魔族が減らないことに。  そのとき、魔族の出生の秘密が明らかにされたのだ。子供を、子孫を残せない彼らがどのようにして命を繋げていたのか。  魔族には、彼らがまだ魔族と呼ばれていなかったころから、伝えられている伝説があった。曰く、  「魔族である我々には子供は成せない。しかし、我々は肉体、とりわけ血で繋がっているわけではない。魂で繋がっているのだ。器である肉体が滅びようとも、我らの魂は滅びない。何度別の肉体で生まれようとも、我々が我々である限り、我々は我々である。性別、人種、血などは全く関係ない。我らはかつて世界を生み出した偉大なる【ソロモン王】の意志を受け継ぐものであり、魂の家族なのだから。」  その伝説が、真実かどうか定かではないが、不信に思った竜族が調査をしてみると、不思議なことに、竜族の中から魔族の素質を持つ子供が生まれていることがわかったのだ。彼らは数年間、七歳になるまで竜族の中で暮らした後、ある日忽然と姿を消す。彼らは自らを魔族であると理解した瞬間から、誰に言われることもなく、自らの意志で魔族のもとへと向かうのだ。  竜族は戦慄した。  それもそうである。殺したいほど憎んでいた敵は、実は自らが生み出していたのだから。  竜族は疑心暗鬼に陥る。  生まれてくる子供は、すべて魔族に見える。  妊婦の腹に温かく育まれている胎児が、すべて魔族に見える。  彼らは疲れていた。長引く戦争、得体のしれない敵、死んでいく仲間たち。何も考えられなかった。考えられなくなってしまったために、状況はさらに悲惨に、そしておぞましい出来事を引き起こしていくこととなる。  生まれた赤ん坊を、片端から殺し始めたのだ。  町では、母親が子供を抱きかかえ逃げまとう。動かなくなった子供を前にして、気が狂ったかのように泣き叫ぶ女なんてざらにいた。酷いときには、原型もわからないほどぐちゃぐちゃにされた遺体を前に、声も出せずに呆然としている女もいた。地獄だった。  この残虐で野蛮な出来事によって、魔族の人口は一気に減少した。しかし、それ以上に打撃を食らったのは、竜族のほうであった。当たり前である。何せ、魔族が生まれてくる確率など大して高くはなく、竜族はただえさえ戦争によって減少していく人口に、さらに大打撃を加えたようなものであるのだ。  竜族の人口は、大きく右下に傾いた。魔族もまた、竜族ほどではないにしろ、ゆるやかに減少している。このままでは、大陸は死滅してしまう。それほどまでの、大危機であった。  そこで、竜族と魔族は戦争を止めることにした。もともと領土争いで始まったこの戦争であるが、どちらかのものにするのではなく、共有することにしたのだ。遅すぎる和解であった。  他者を受け入れられなかったことで、幾多の死ななくてもよかった人々が死んでしまった戦争だった。  竜族、魔族は力を合わせて新たに建国し、一人の王―のちに【帝】と名を改める―を立てた。彼、あるいは彼女は、当時の竜族の族長と、魔族の族長の親類からそれぞれ選び出し、結婚した上で生まれた子供であった。互いに、もう二度と争わずに平和に暮らすための、『象徴』であった。  しかし、戦争をやめるにしても、一朝一夕でやめられるものではない。各地で勃発していた戦乱を収めるのに十年。さらに、話し合いをして国の仕組みを決めるのに数十年。その他、経済の立て直し、他国との外交など、国を復興していくのに数十年。あれやこれやと奔走いているうちに、あっという間に一〇〇年ほど経ってしまっていた。  議会論争機関は、この戦争の後に考案され、運営させていくこととなった「対話」の一つだ。彼らに足りなかったのは、話し合うことだった。竜族も魔族も、相手をよく知らず、相手が何を考えているのかがわからないことが怖かった。  知らないことは幸せなことでもあるけれど、同時に悲劇を起こすこともあり得るのだ。  同じ国に属する臣民になったのだから、もう無駄に血を流すような争いごとをしたくないというのが両方の意見である。しかし、一朝一夕で消えるような憎しみでもないことは確かだ。このまま、何の対策もせずに議会など開いたら、紛糾するどころか殺し合いが再び始まるかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。  そこで考案されたのが、議会論争機関、通称ダーク・エッグ・システムであったのだ。  議会では、非魔法・非暴力主義を信条に運営しているため、不測の事態以外では【魔法】、【武力】ともども禁止されている。しかし、竜族、魔族が素直に話し合いをできるとはどうにも思えなかった。そこで、話し合いを可能にし、より良い議会を運営していくために、魔法と武力にとてもよく似た、映像装置を取り付けたのである。  議会論争機関は、代表の発言を糧に、映像によって相手を論破し、政策を進めていくものであった。  簡単に説明すると、まず代表者が発言台に座り(あるいは立ち)、政策案を発表する。大方の説明が終わったら、今度は相手側の代表者(または議員)が質疑し、応答する。議会には、九〇%を竜族で占める軍部か、同じく九〇%を魔族で占める政党の、二大派閥しか存在しない。従って、自然と政策には偏りが出てしまう(ちなみに、政策案は党内であらかじめ十分審議され、議会より上に位置する【枢密院】を通り、さらに議会の母体である【黒い卵(ダーク・エッグ)】の許可をもらって初めて議会で発表できるが、それでも偏りは少なからず存在してしまう)。ただし、最終決定権は臣民にあるので、政策が通るか通らないかは臣民投票によって決定する。なお。臣民は自らがより納得できた政策に投票して良いので、いくら相手を論破しても政策が通らないことはあるし、論破できなかったとしても政策が通ることもある。要は、いかにして臣民の心を掴むかが勝負だった。            ***  「まあ実際、戦場が議会という名前に変わっただけだとは思いますが。」  アシュリーは机の上に広げられた新聞にざっと目を通しながら、ぼそりと呟く。それを聞いたアンナはアシュリーの椅子の肘掛けに腰を掛けながら、むうと頬を膨らませた。  「アシュリー!」  すみません、と謝りながらも、アシュリーは新聞から目を離さなかった。珍しいな、とアンナは思い、アシュリーの横から覗き込む。途端、ぐっと顔をしかめた。  「ああ、また元総裁が殺されたんだね……。」  新聞には、でかでかと主張するかのごとく大きな文字で『元総裁連続殺人事件』と書かれていた。アンナは痛ましげな表情をする。  「知り合いがこんな形で亡くなっていくのは、正直、辛いなあ……。アシュリー、君も総裁なんだから気を付けてよ。」  アシュリーは丁寧に新聞を折りたたみながら、「わかっていますよ、お師匠様。」 と頷く。軽いそれに、本当に分かっているのか、とアンナがさらに言いつのろうとしたその時、アシュリーの執務室の扉が開いた。  「師匠、次の議会の資料を集め終わりました。」  涼やかな声とともに執務室に入ってきたのは、黒い髪を肩あたりまで揃えて伸ばした少女だった。  真っ白、というよりは青白いと言った方が納得できる肌の色は、どこか不健康にも見える。加えて彼女は細く小柄で、肉付きが悪かった。アシュリーは男としては力のない部類に入るが、そんなアシュリーでさえ、少女のことは簡単に手折ってしまえると思えるぐらい、彼女は頼りない体格をしていた。しかし、見た目通り、本当に不健康というわけではなく、実を言うと体調管理もしっかりとしており、意外にも大きな病気をしたことは一度もない。加えて、彼女は意外にもかなりの大食漢であり、決して不健康な生活を送っているわけではないのだ。アシュリーとアンナは、彼女が食べた食料はどこの栄養源になっているのか、いまだわからずじまいである。  アシュリーを師匠と呼んだ少女は、小ぶりなその顔になんの表情も浮かべずに、手に持った資料の束をアシュリーに手渡した。資料の出来を軽く確認した後、顔を上げたアシュリーは少しだけ目を細めて、少女に声をかけた。  「ご苦労様、サラ。」  黒髪の少女―サラは無表情のまま、ぺこりとお辞儀をする。礼をする過程でアンナの存在に気付いたのか、アンナにも小さくお辞儀をした。  アシュリーはサラからもらった資料を机の中にしまいながら、ふと、思い出したかのように呟く。  「そうだ、サラ。次回の議会だが、お前にも観覧許可が下りたんだ。」 「私にですか?」  サラはこてりと首を傾げた。アシュリーが頷くと、アンナが珍しいものを見たかのような目でアシュリーを見やる。  「へえ、珍しいね。アシュリーがサラの観覧許可をもらいに行くなんて。」  アシュリーは途端に渋い顔をした。そして、いらいらと指で机をたたき始める。  「ヨナイはやっぱり代わりだったんです。次回の議会からは本当の―ヤマガタ前大将の後釜が軍部大将を務めるそうです。」  今まで臨時に大将以下の者が議会に出ていたが、軍部もとうとう腹を決めて、大将を選出したらしい。そのため、アシュリーの後釜になるであろう、弟子のサラに新しく決まった大将を見せておかなければならなくなったのだ。アシュリーとしては、かわいい弟子にもう少しいろいろなことを教えてから議会に出したかったのだが、そうも言ってられなくなってしまった。アシュリーはぎりぎりと歯噛みする。  「師匠、次の軍部大将はどなたなんですか?」 「あっ、私、誰だか知ってるよ!」  サラが純粋に疑問に思ったのか、アシュリーにそう尋ねると、代わりにアンナが勢いよく手を挙げた。得意そうに胸を張る姿は、とても何百年を生きた魔族とは思えない。  「確か、ものすごく若い人だったよね。多分、ほとんどキャリアのない子だったはずだよ。あ、でも、軍人としての才能はすごいらしいけどね。えーと、名前は、カツラツバサくんじゃなかったかな。」 「若造を大将にしたんですか?」  アシュリーは、アンナの言葉に耳を疑った。  軍部は大将を筆頭に、中将、少将と階位が定まっているが、慣例通りならば、キャリアを積んでいない若い人材が、軍部をまとめる大将の地位に就くなどありえなかった。  「貴族のボンボンだとしても、ヘイトが集まるから、大方操り人形にでもしようと企んでいるのかな……。はあ、一体軍部はいったい何を考えているんだか……。」 「そういうアシュリーだって、私たちの中では若造じゃない。しかも、貴族出身。」  呆れたように呟くアシュリーに、からからと笑いながらなかなか鋭い突っ込みを入れるアンナ。アシュリーはぐっと詰まった。  「確かにそうですが……。」 「生きた年数なんて関係ないよ、大事なのは何を経験して、いかにそれらを活かせるかどうかなんだから。年をとっても馬鹿なことをする子はいるし、若くても立派なことをする子はいるよ。」  舐めてると痛い目あうよー、とアシュリーの額をつつくアンナと、師匠様はどちらの味方なんですか!と叫ぶアシュリーは気付かなかった。  カツラ、と聞いた瞬間、なんの表情も浮かんでいなかったサラの顔に、困惑と怯えの色が走ったことに。サラは、さあっと青くなった顔で、小さく呟く。  「……何で、あの人が?」  サラの呟きは、アシュリーとアンナの会話にかき消されて、誰にも聞かれることはなかった。  執務室に飾られていた白いユリの花弁が、音もなくゆっくりと散った。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!