第2話

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  「あれ?アシュリーとカツラくん、何か話しているみたいだよ。」  アンナはぴょこぴょこと跳ねながら、隣で棒のように突っ立っているサラに向かって話しかけた。  アンナたちがいる場所は【観覧席】と呼ばれる、政党員や軍部以外の者が特別に議会を直に見ることができる場所である。ここは高額の入場券を購入するか、【枢密院】から直に賜る許可証を持っていないと、基本的に入ることはできない。例外は枢密院に所属している者である。しかし、アンナはその枢密院に所属しているし、サラは許可証を持っているので、多額の入場券を支払うこともなくここに入ることができたのだった。  「大丈夫でしょうか。師匠は見た目によらず、かなり喧嘩っ早い性格ですので……。」  サラは不安そうに、ガラス越しのアシュリーを見つめる。観覧席からはかなり遠くの位置ではあるが、それでもぶすっとむくれていることがわかるアシュリーに苦笑しながら、アンナは「そうだねえ。」 と随分と間延びした声を出した。  「まあ、議会が始まったらスイッチが切り替わるからさ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ただ、ちょっと最近は気を抜きすぎている感じはあるんだけどね……。」  サラはまだ少し不安そうではあったが、アンナの言うことなら、と思ったのか、素直にこくりと頷いた。可愛い弟子の、さらに弟子にあたる少女の心配そうな顔に、これではどちらが師匠なのかわからないな、とアンナは再び苦笑した。  「それにしても、随分とアシュリーの心配をしているね。」  なるべく怯えさせないように、優しくアンナが問いかけると、途端、ぴくりとサラの肩が小さく跳ねた。ちらりとサラがアンナを横目で見つめると、アンナはにこにこしながら彼女を観ていた。  サラはさっとアンナから視線をそらした。  「そうでしょうか。」  思ったよりも声が震えていて、サラは何だか情けなくなってしまった。  「別に心配することが変なわけではないんだよ?ただ、何だかいつものサラじゃないみたい……。」  サラは口を閉じたり開いたりした。心の中で、さすがは師匠の師匠だ、と舌を巻く。師であるアシュリーは、サラのことをとてもよく気遣ってくれるけれども、やはり男性だからだろうか、変なところで鈍いのだ。その点、アンナはサラと同じ女性であるためなのか、細やかなところに気付いてくれることが多い。  「ねえ、サラ。何か不安なことがあるなら」  吐き出しちゃいなよ、と、最後までアンナは言うことができなかった。  何故なら、その時、観覧席の入り口の扉が乱暴に開き、二人組の軍服を着た男女が大声を上げながら、ずかずかと入ってきたためだった。  「ああーーーっっっ!!! 閣下、もうあんなところにいやがる! 道理でいくら探しても見つからないわけだよ! なんで今日だけ準備万端なんだよ、どんだけ楽しみだったんだよ、初デートかっつーの!!!」 「うるっさいわね、静かにしなさいよ! この馬鹿! いいじゃないの、閣下が初めて時間前行動できたのよ!? これ以上文句を言ったら罰当たりよ、私たち!!!」 「あ!? 馬鹿じゃねーよこのゴリラ!!」 「ゴリラじゃねーよせめて女をつけろこの馬鹿犬が!!!」  ぎゃあぎゃあと口汚く罵り合う二人組に、観覧席にいた何人かの貴族たちはそそくさと離れていった。一方、アンナとサラは立ち去ることもせずに、ただぽかんとした表情で突然乱入してきた二人組を眺めていた。  男の方は茶色の癖がついたふわふわとした髪型で、背はサラより頭一つと半分くらい高かった。すらりとした体躯の持ち主で、黙っていれば女がふらりと寄ってきそうな、甘い顔立ちをした容姿であるが、キャンキャンと仔犬が吠えるように騒ぎ立てる様子では、百年の恋もあっという間に冷めるだろう。相方であろう女が彼のことを「馬鹿犬」と罵っていたが、なるほど、確かに犬みたいだ、とサラはひとり納得する。  一方、女の方は桃色に近い赤髪を肩のあたりでばっさりと切りそろえている。顔は整っており、意志の強そうな瞳は男女構わず相手を吸い込んでしまうかと思われるぐらい、美しく魅力的な瞳であった。彼女の強い瞳は、今は相方の男に注がれておりーーただし、決して熱っぽい色を含んだ視線ではなく、むしろ相方を殺害しそうな視線であったがーーまた、スタイルも抜群で、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。場違いにも、少し羨ましいとサラは感じてしまった。  しばらく呆然としながら二人のやり取りを眺めていたサラだったが、ふと、大師匠であるアンナにこのような光景を見せるのは忍びないと思い、二人組のもとへと歩き出した。勿論、アンナのことだけではなく、観覧席は公共の場に当たるのであるから、そのことも含めて注意する算段であった。  アンナが後ろから焦ったような声を出した。  「おい、君たち。」  サラが二人組のもとへとたどり着き、とんとん、と近くにいた青年の肩を軽く叩いた。すると、二人はぐるんと勢いよく振り返る。サラに向かって、今にも人を殺しそうな目を向けてきたものの、サラはお得意の鉄仮面を発揮して、何事もないような顔で二人を見つめ返した。すると、軍部の二人組はサラの姿を確認して、一瞬焦ったような顔を表した。  「えっ、何で、もういるんだ?」 「閣下を探し回ってた分、予定が狂っちゃったのよ! どうしよう、接触するはずじゃなかったのに。」  何やらぼそぼそと相談をしている青年と女性に、はて、と首を傾げたサラであったが、話の内容はよく聞こえなかったため、気にしないことにした。そして、当初の目的である、とりあえず言っておかねばならないことのために、もう一度口を開く。  「そこで痴話喧嘩はやめてほしい。邪魔だ。」  サラの素の口調はアシュリー譲りのためか、かなり悪い。初対面のひとに対する口のきき方には、とても向いていなかった。  一方、二人はサラの発言によりびしりと音を立てて固まった。どうも、サラの放った言葉が理解できなかったようであった。  「ちわげんか……?」  男の方が、恐る恐るサラへと問いかけた。サラは無表情のまま、しっかりと頷く。すると、次の瞬間、男はかっと目を見開き、サラへと唾を飛ばす勢いで食って掛かった。  「お前の眼は節穴か!? どこをどう見てそういう結論になるんだよ!!!」  襟をがっしりと掴み、ぐらぐらと体を揺する男に対して、サラはいかにも面倒臭そうな声色で、ぼそぼそと言った。  「痴話喧嘩であろうが無かろうが、なんでもいい。とりあえず、ここで大声を出すのは控えろ。公共の場だぞ。」  ちろ、と横目で男を睨みつけると、サラの襟首を掴んで揺さぶっていた男は、顔を真っ赤に染めた。比喩でもなんでもなく、本当にサラへ噛みつきそうな雰囲気だった。一方、女の方もいらいらとした表情であったが、不意にため息をつくと、隣にいた男の顔面へ拳を決めた。  勢いよく入ったそれに、男は顔を押さえてよろめく。あまりの衝撃によるものか、青年はぱっとサラから手を離した。ようやく解放されたサラは少しよろめいた後、痛みに呻く青年に向かって思わず声をかけた。  「おい……大丈夫か?」 「これが、大丈夫に、見えんのかよ……。お前の目玉、やっぱり、節穴だろ。」  鼻曲がったかも、と言いつつ蹲る男を尻目に、女は、サラとその後ろでひっそりと事を観察していたアンナへ、ふわりと優しく微笑んだ。  「お見苦しいところをお見せしました。」 「いや……。」  サラが若干引きつつも、なんとかそう答えると、女はにやっと猫のように目を細めた。  「こちらにいらっしゃるということは、あなた方はもしかして、ブラックモア卿の関係者……大魔女アンナ・マリアージュ卿と、サラ・ブラックモアさんでしょうか?」  アンナはともかく、一般的な政党員でしかない自身の名前を知られていることに内心動揺しつつも、それを包み隠してサラは頷く。  「そういう君たち……失礼、あなた方は軍部の方でしょう?」  そうよ、と女は頷いた。その顔は誇らしげに輝いていて、何故かサラは彼女から目を逸らしたくなった。  「私たちはあちらにいらっしゃる閣下……カツラ卿の直属の部下なの。今日は閣下の記念すべき初陣、つまり晴れ舞台だから、無理を言って席を取っていただいたのよ。」  女はそういうと、未だに蹲っている男の背中を乱暴にひっぱたき、無理やり立たせた。男はぶつくさ文句を言いつつも、女に腕を引かれるまま、のろのろと立ち上がる。拳を決められ先程まで鼻血で染まっていた顔には、何の外傷も見当たらなかった。  それを見て、やはり違う種族なんだな、とサラはぼんやり考えた。  「名前を名乗ってなかったわ。私、オークマ・アカネっていうの。こっちの馬鹿犬はエトー・サクヤ。」 「馬鹿犬呼ばわりすんなよ。」 「よろしくね、アカネにサクヤ。」  にっこりと笑って手を差し出すアンナに、アカネとサクヤはそろって恐縮したような顔をした。サラはそんな三人を静かに見つめながら、面倒なことになった、と心の中で頭を抱えた。軍部の、よりによって「あの」カツラ直属の部下と知り合いになるなんて、どんな悪夢だと泣きそうになる。とりあえず、早くここから抜け出したくて、サラはそわそわしながらアンナが挨拶を終えるのを待っていた。  しかし、運の悪いことに、サラはサクヤと目が合ってしまった。ビクッと大げさに震えた少女を視界に入れたサクヤがにやりと笑い、そのまますっと近づいた。サラの頭の中の警鐘のレベルが、レッドゾーンに突入する。  「それにしても、似てるよなあ。」  サラは眉根を寄せた。自身よりも背の高いサクヤを、じろっと睨みつける。  「何の話だ。」 「似てるって話だよ。」 「要領を得ないな。何だ、師匠に似ているって話か? 確かに私と師匠は家族だが、お前達【竜族】と違って血縁関係は無いよ。残念ながら、外見的特徴の点で師匠と似ていることは無い。」 「そんなことぐらい、知ってるよ。それが、【魔族】の特徴だから。」  サラの返答に肩をすくめるサクヤの瞳にあるモノを、サラは何となく感じ取ってしまった。同時に、何故、という気持ちが湧き上がる。  なぜこいつは、私が隠している【秘密】を知っているのだろうか、と。  「外見で似てるのは」  閣下の方だろ、特に、眼、が。  サラを見下ろしながらそう言ってのけた男に、サラはぞわりと鳥肌が立った。  (そうだ、こいつは、カツラ卿の部下だった……!)  「……何が言いたい。」  サラの、普段聞いたこともないような低い声色に、アンナが傍らで目を丸くした。しかし、サラにはそれを考慮してやる余裕が全くなかった。ただひたすら、自身の秘密を握っているらしいサクヤの顔を、睨みつけていた。  「ここで言ってもいいのか?」  サラの右手が、ぴくりと動いた。すると、彼女の体を取り巻くように、魔力を含んだ一陣の風が吹きすさぶ。すると、それにいち早く気付いたアンナが、たしなめるようにサラの名を呼んだ。  アンナの発した鋭い声にはっとなったサラは、瞬時に発動しかけていた攻撃魔法を解いた。一方、アカネはバコン! と小気味良い音を立てて、サクヤの頭を叩いている。  「いってーな!」 「相手をむやみに挑発するのはやめなさい、この単細胞、馬鹿犬。」  アカネはそのままサクヤの首に腕を回すと、ずいっと顔を近づける。  「私たちへ下った閣下のご命令は、あんたが今、しようとしていることじゃないわ。」  小さく呟かれた言葉を耳にしたサクヤは、舌打ちをすると、アカネの腕を振りほどいた。  「ごめんなさい、サラ。申し訳ありません、マリアージュ卿。気分を悪くさせてしまうような雰囲気にしてしまって。」  申し訳なさそうにこちらを見つめるアカネの顔に、殺気立っていたサラの雰囲気がわずかに和らいだ。アンナはサラの腕を掴みながら、こちらこそ、と切り返す。  「ほら、サクヤも謝りなさい。」  姉弟のようなやり取りに、微笑ましいような気持になるアンナだったが、同時に疑問が胸によぎる。  いつも冷静なサラをあんなに取り乱させるような何かを知っているサクヤは、いったい何を言おうとしたのだろうか。  「……悪ふざけがすぎた。ごめん。」  むくれながらも謝罪を述べるサクヤに気が削がれたのか、サラも小さな声で「こちらこそ、喧嘩腰になってしまい……。」 と反省していた。アンナはそれらを不思議な気持ちで見つめていた。少し前までの政党と軍部ならば、このような「ちょっとしたこと」ですぐに戦争規模の争いに発展していた。互いが非を認め、謝罪するなんていうことは、天地がひっくり返らない限り起こることなどなかったはずである。  時代は変わってきているんだなあ、と思いながら、アンナは心の奥が温かくなっていくような、奇妙な感覚を味わっていた。  「あんたは喧嘩を吹っ掛けることしか能がない馬鹿なの?」 「結果オーライだろ? これで俺たちがサラと喋っていても何ら違和感は無いんだから。」  サラとアンナが離れた席に座ったことを確認して、アカネは小声でサクヤをたしなめた。しかし、サクヤはどこ吹く風でアカネに反論をしてきたので、彼女はこれから続けようとした文句の代わりに、深いため息をついた。  「……それにしても、もっと方法があったでしょうに。」 「ああ、もう、うるさいなあ。お前は俺の母親かよ。」  面倒くさそうに顔を顰めながら、頭をがりがりと掻いていたサクヤは、ふと、動きを止めて、アンナと談笑しているサラを見た。  アンナとの会話に合わせて色の深みを変えていく紫電の瞳は、サクヤとアカネが心酔してならない直属の上司のそれと同じ色である。  「ははっ、それにしても。」  またろくでもない顔をしているな、と思いつつも、アカネもまた、サラを見る。サクヤが言いたいことはなんとなくわかっていた。  「本当に、閣下と似てるよな。サラって。」                 
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