第2話

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 「これから、第四〇〇回皇国通常議会を開始します。」  能面のように表情を動かさず、透き通った声でそう述べた議長は、ぐるりと議会内を見渡す。彼女の一言で、ざわついていた議会内がぴたりと静まる。議長は資料には目を通さず、すらすらと言葉を紡いだ。  「議会内容発表。提案は軍部から。軍部大将カツラ・ツバサ君、よろしくお願いします。」 「ふぁーい。」 「真面目にお願いします、カツラ君。」  がたんと音を立てながら、名を呼ばれたカツラはのっそりと気だるげな様子で立ち上がった。ざわり、と再び議会がざわついたのを確認し、アシュリーはぐっと眉根を寄せた。カツラのふざけた態度も問題だが、政党はまだしも、信じられないことに軍部までもがカツラに対し無礼な態度をとっていることに、驚きを隠せない。  (どういうことだ?軍部までもがあの馬鹿に舐めきった態度だなんて……。)  対するカツラは全く気にしていないらしく、うるさいぞ、とひそひそと陰口をたたく外野に向かって怒鳴ると、その勢いのままバン、と机を叩いた。  電子音と共に、映像資料が浮かび上がる。カツラが資料を探し出す音を聞きながら、アシュリーもまた資料を探し出すべく紙を繰り、はて、と首を傾げた。  「おい、バ……カツラ卿。」 「ちょっと待て、今『バカ』って言おうとしただろ。つーか直せてねえよ。結局バカって言ってるよ。バカツラ卿になってたよ。」 「そんなことはどうでもいい。資料がない方が問題だ。」 「どうでもよくねえよ!? 大切だろうが!! ……あ? あるわけねーだろ。今、配るところなんだから。」 「配り忘れたのか?」 「ちっげーよ!!! 今から配るの!!!」  うがー! と吠えながら、カツラはわざわざアシュリーに資料を手渡した。  そこに何となく、育ちの良さを感じてしまい、嫌な気持ちになる。  「はい、これ、アシュリーのな? 俺が直々に配ってやったんだぜ? 感謝しろよ。」 「馬鹿が移りそう。」 「てめっ、喧嘩売ってんのか? ああ?」  ぎろり、とアシュリーを睨み付けるカツラを無視し、渡された資料をぺらぺらと捲っていたアシュリーだったが、ある一点を認めた瞬間、ぎゅっと眉を顰めた。  「カツラ卿。」  しかし、カツラはいつの間に移動したのか、すでに自席へ戻っており、アシュリーを見てにやりと笑った。瞬時に悟ったアシュリーは思わず、やられた、と歯噛みをするものの、もう遅かった。新しく配られた資料が、アシュリーの手の中でぐしゃりと音を立ててしわになる。  「今回、俺……じゃなかった、えー、私が軍部を代表して許可していただきたい議題はこちらになりまーす。」  途端、政党がざわりとどよめく。軍部は苦々しげな顔半分、誇らしげな顔半分、といったところだろうか。騒然とする議会の中、カツラの声は朗朗と響き渡った。  「『八・八艦隊計画』……その予算を、許可していただきたいのです。」  ぶわり、とアシュリーから殺気が膨れ上がる。それを見たカツラは、口元を緩めた。  「糞餓鬼が……。前回の議会内容を確認していないのか?」  アシュリーはぼそりと呟いた。それもそのはず、前回までアシュリーは、軍部の『六・六艦隊計画案』を潰し続けていたのだ。軍部がそれを提案するたびに、アシュリーら政党が叩き潰す。そのことをわかっているためか、軍部は提案し続けるものの特に強硬手段は取ってこなかった。  しかし、アシュリーの目の前に立ちふさがる青年は、新任にも関わらず、今までの踏襲をいきなりぶち破ってきた。この案はどう考えても軍部の重鎮が出したものではないな、とアシュリーは考える。あの、頭がガチガチに凝り固まった置物どもに、そのような型破りな提案ができるはずもない。大方、カツラが出したのだろう。  (一見馬鹿そうに見えるが……意外とそうでもないのか?)  「アシュリーって結構第一印象に引きずられるよね。」 と呆れたように言う師が頭に思い浮かび、一瞬ぐっとなるものの、議会中であることを思い出し、何とか持ちこたえた。  カツラは相変わらずにやにやと笑いながら、すらすらと提案を述べる。  「前回同様、やはり【帝国】の侵略から我が国を防衛するためには、軍備増強が妥当だと思われます。……同盟などという現実味のない提案よりも、よほど実践的であると思いますが。」 「カツラ卿。」  アシュリーがタン、と机を軽く叩くと、映像が浮かび上がる。前回の議会の報告書である資料を指しながら、アシュリーは追撃を開始した。  「前回、ヨナイ卿も似たようなことを仰って言いましたが、他国からの侵略の心配よりも先に、まず国内の情勢に目を向けるべきでは?というより、前回はそのように決着をつけたのですが。」  アシュリーの発言を聞いた瞬間、カツラはすう、と目を細めた。獲物に狙いを定めたかのような動作に、アシュリーはぞっとする。  なんだ、こいつ。  「ブラックモア卿。前回は『六・六艦隊案』の話ですよね?今回は『八・八艦隊案』の話ですので、前回の話は関係ありませんよ。」 「なっ……!?」  ぽかんとアシュリーは口を開けた。何だその暴論は、と罵ることができないくらいに呆然としてしまう。政党の面々も皆似たような表情で、年若い【軍部大将】を見つめていた。  「……っだが、似たような話だろう!?生産性のない話より、もっと別のことに目を向けるべきでは……。」  アシュリーが噛みつくようにそう言うと、カツラはにたりと笑いながら答えた。  「いいや、全然違うね。」 「!?」  目を白黒させるアシュリーを見ながら、カツラは蟻の行列に、今にも手を突っ込もうとしている幼い自分を、見たような気がした。  「『六・六艦隊』は【臣民】に予算を賄ってもらう仕組みだったから、臣民の負担が多かったが、『八・八艦隊』は違うんだ。」  カツラの頭上で空気がねじ切れ、渦を巻き始める。アシュリーはそれを見て、はっとした。  「負担にするのではなく、むしろ利益を得てもらおうと思う。つまり、国全体を上げてこのプロジェクトに協力してもらえばいいのさ。」  ゴオオ、という空気が唸る音と共に現れたのは、紅色の大剣だった。それはぴたり、とアシュリーを睨むかのように、狙いを定めている。  「『六・六艦隊』は資金だけを集めて、後は軍部の中でもトップクラスの技術師だけを集めて、少数精鋭で造る計画だったろ?でも、それじゃあ軍備は増強出来ても、国全体で見たら何も変わんねえ。だったら、いろんな企業に協力してもらって、経済を丸ごと動かせば、軍備も増強出来て国全体も潤う、まさに一石二鳥だろ!」 「だが、それらに当てる資金自体はどこから出すんだ? お前の言い方だと、臣民に負担させる気は全くないじゃないか。」  アシュリーも負けじと、言葉を紡ぎ、無数の黄金の槍を出現させる。槍はそのままぐるりと回転した後、カツラめがけて一斉に放たれた。槍はカツラの体を滅多刺しにする。大した攻撃ではないが、先手としてはまずまずだろうと思い、さらにカツラの発言の粗を探そうとして―アシュリーは閉口した。  カツラは確かにすべての槍を受け入れた。大した攻撃ではなくとも、それなりに痛みはある。普段通りなら、痛みに耐える姿がアシュリーの目に映るはずだ。しかし、実際は何でもない顔でひょいひょいと、体に刺さった槍を引き抜くカツラの姿があるだけだ。  「効いて……ないのか?」  呆然とした表情のアシュリーに、にやりとカツラは笑った。引き抜いた槍は、空気の中に音もなく溶けていく。  「かの偉大なるアシュリー・ブラックモア卿のお力も大したことないんだなあ。何だっけ?資金繰りの話?簡単じゃねーか、そんなもの。」  カツラの頭上でゆっくりと旋回していた大剣が、ぎらりと紅く輝いた。  アシュリーは息をのむ。  「お前らがこの後提案する公共事業の計画をご破算にして、その資金をそっくりそのまま『八・八艦隊案』に組み込めばいいんだよ!!!」  カツラがアシュリーを射抜くかのごとく、鋭く指さした瞬間、大剣が轟音と共にアシュリーの薄い体へ深々と突き刺さった。防御を、と思う暇もなく自らの体が貫かれる感覚に、一瞬目の前が真っ白になる。  それでも気力だけで何とか意識を保ち、カツラをギリッと睨み付けながら、アシュリーは内心動揺していた。アシュリーを貫いた大剣は、いまだに深々と刺さったままだ。  「痛そうだなあ。早く抜かねーと、意識持ってかれんじゃねーの?」 「……うるっ……さいっっ!」  からかうような口調のカツラに、アシュリーは腹の底から絞り出した声で応える。アシュリーとしても大剣は抜いておきたいところだが、反撃の術が無い以上、体から抜くことはできない。【議会論争システム】としての決まり事なのだ。  (こいつにとって、私の「言葉」は痛くも痒くもないというところか……。)  カツラにとってアシュリーの「言葉」は文字通り、「何でもない」ため、アシュリーの攻撃が彼に届くことはない。  アシュリーはぼんやりと考える。  こうなってしまった以上、反撃まではいかないとし も、じわじわと奴を追い詰めていく戦法に変えなくてはいけないだろう。面倒臭いな、と思いつつも、アシュリーはカツラを追い詰めるために、脳みそを回転させる。  後に、カツラへの認識を改めなくてはならないことになるとも気付かずに。  目の前で辛そうに息を吸っては吐くアシュリーを見て、カツラは内心首を傾げた。  (うーん、こんなものか?何で今までの大将はこいつに勝てなかったのかねえ。)  カツラとしてはもう少し手ごたえがあった方が面白かった。しかし、と思う。  (ま、プライドの高そうなこいつの鼻っ柱をへし折れただけでもいいか。)  きっと目の前の彼は自分を倒すべく、必死で考えを巡らしているのだろう。そう考えるとぞくぞくした。彼の、アシュリーの、の魔族の絶望に歪む顔が見たかった。  (どうせ勝てねーのに。)  必死なアシュリーの顔を見ていると、微笑ましくも思う。ふと、アシュリーも軍部を叩きのめす時、このようなことを考えたのだろうか、と思った。首を振る。ありえない、そんな結論に達する。  (あいつは所詮、魔族だし。どうせ、道端の虫でも踏み潰すような感覚でやってたんだろうなあ。)  そう考えているカツラは気付かない。自分の考えもまた、ひどく歪んでいるということに。  さて、とアシュリーは考える。『八・八艦隊計画案』は『六・六艦隊計画案』とは別に考えた方が良さそうだ。  (しかも、カツラはこちらの計画案を潰してまで通したいようだし……。)  ふざけるな、アシュリーは歯軋りをする。何が軍備増強だ。それよりも、他にやらなければならないことがあるだろう、とアシュリーは叫びたくなる。  軍事力というものは、一時の平和と強大な発展を促すことができるが、その先に待っているのは暴力と衰退だ。  (そんな計画、通してやるものか!)  しかし、と一方では思う。今回はかなり具体的な提案をしてきたのも事実である。生半可な攻撃では、立ち向かうことはできないだろう。  アシュリーは痛みに震える手で、深々と突き刺さる剣へと触れた。  (まずはこれを抜くことから始めるか。)  だん、と机を叩く。三つの画面が浮かび上がったところで、アシュリーは口を開いた。  「我々がこの後提案する計画を取り潰して、『八・八艦隊』に手を回せ、と仰ったが……。」  痛みで震える手を誤魔化して、ぱちんと指を鳴らした。すると、アシュリーの背後に控える三つの画面が文字を映し出す。カツラはそれを見て、すっと目を細めた。  「私たちが提案するこの計画はかなり前、軍部からも許可をいただいて進めているものだ。それをいきなり、さも思いつきのように取り潰せ、と言われても、そう簡単にできるものではない。」  カツラは画面を食い入るように見つめている。言葉の粗を探される前に、とアシュリーはさらに畳みかけた。  「それに、先月調査した内容によると、臣民の大多数は他国との戦争に乗り気ではない。軍部が提案したその計画は、一歩間違えれば他国との戦争に」 「なあ、さっきから気になってたんだけど、いつ俺がこの計画を『提案』なんて言ったんだ?」 「……はあ?」  アシュリーの言葉をさえぎってそう云うカツラに、一瞬ぽかんとする。  「俺は『提案』じゃなくて『許可』って言ったんだけど。この意味、わかるよな?」 「……ま、さか。」  アシュリーの体に、痛みによって流れ出るもの以外の冷や汗が、さあっと流れた。  油断していたのだ。軍部の重鎮ならともかく、アシュリーの半分も生きていない子供が、【議会の切り札】を知っているわけがないと。  (今までは臨時大将だったから、教えられていなかった。あるいは、使うことを許可されていなかった。……そうだ、忘れていた。こいつは、あのヤマガタ卿の後釜として据えられていた奴だった。いや、だがそれならば軍部のこいつに対する態度が……。)  ぐるぐると、思考の海に溺れかけるアシュリーに向かって、カツラはにこりと笑う。アシュリーの目には、目の前で笑う子どもが、とんでもない化け物のように映った。  「ああ、やっぱりわかるよな。いやあ、焦ったわ。もし、万が一知らなかったりするんだったら、ズルしてるみたいで後味悪いし。お前も、だからこの権限を俺に使わなかったの?」  それとも、自分の力に対する驕りかな?  カツラは凄惨な笑みを浮かべると、ぱん、と手を叩いた。カツラの後ろでひっそりと浮かんでいた資料映像に、次々と【紋】が浮かび上がる。  黒い円の中心に、黒い卵と翼が刻印されている、巨大な紋。  「……【ダーク・エッグ】に提出したのか。」 「そゆこと。ま、これで暫くはダーク・エッグには会えないから、自力でお前たちと戦っていくことになるけどな。」  アシュリーは唇を噛んだ。絶体絶命、なんてものではなかった。  (やられた……っ!)  アシュリーに深く突き刺さる大剣が、ずっしりと重みを増した気がした。  「……確認をとる事が出来ました。【許可紋】は本物です。」  カツラが突然提出した資料に、議長席の周辺は最初は慌てていたものの、すぐさま確認を終えたようで、落ち着き払った議長の一声により、カツラが提出した【ダーク・エッグの許可紋】が記された資料の信憑性は認められた。  「カツラ君、確かに君は今回が初めての議会ということでしたが、議会の作法はきちんと学ばれてから出席して下さい。予め、許可紋の使用、認可の話は、私たちに通すように。次回はありませんよ。」 「はあい、議長。了解しました!」 「……本当に、理解してますか?」  静かに注意する議長のひんやりとした空気をものともしないカツラは、ある意味大物なのであろう。議長は、相変わらずのカツラの態度に小さく嘆息していた。  一方、アシュリーは、どんよりと翡翠色の瞳を濁らせながら、呆然と呟いていた。  「ダーク・エッグの許可紋があったなら、最初から出せよ……。僕が貫かれたことなんて、本当に時間の無駄じゃないか。」  ダーク・エッグの許可紋が印字されているという事は、すなわち政党の公共事業計画の資金はそっくりそのまま『八・八艦隊計画』に流されるということだ。つまり、今回の議会は論争ではなく政党へ最終許可をもらうためだけに開かれたものであったのだ。とんだ茶番である。  アシュリーの絶望的な呟きは、残念ながらカツラには届かない。アシュリーの後ろで控えていた政党のメンバーが、ざわめき始める。肩をがっくりと落とし、哀愁を漂わせるアシュリーを眺めながら、カツラは意地悪くにやりと笑った。  「あれー? 威勢のいいアシュリーちゃんは、どこに行っちゃったんですかねー?」  途端、嫌な笑い方をし始めた軍部に対し、後で殺す、と心に固く誓い、ぎりっと睨み付ける。先程から思っていたが、カツラは何かとアシュリーの勘に触るようなことばかり言う。ダーク・エッグ権限を知っている彼のことだから、あまり相手を煽るようなことを言えば議長からお叱りを受けることは理解しているだろう。注意勧告だけならば良いが、あまりにも目に余るようであれば議会から退場、さらには謹慎処分と言う罰もある。その危険を冒してまでも、カツラが、わざわざアシュリーを挑発する理由。それは、アシュリー個人というよりも、アシュリーを通して、『別の何か』に対してぶつけているようにも思われた。  「では、まとめに入りましょうか。ブラックモア君、何か君から意見などはありますか。」  議長の透き通るような視線を向けられたアシュリーは、はっと意識を取り戻した。慌てて彼女に向かって頷き返す。  (とりあえず、気になっていることだけでも言っておくか。)  と、言っても、『八・八艦隊計画』はほぼ通ったものだ。【帝】が異を唱えれば覆るかもしれないが、その可能性はほぼ無いに等しい。アシュリーが総裁になってから、【帝】が議会で提案された内容について口を出したことは、一度も無いためである。  アシュリーは少しだけ悩んだが、これしかない、と思い直し、カツラを見据えた。おそらく、アシュリーが今から何かしらの意見を述べても、計画が破綻することは、決してない。しかし、このことを今、言っておかなければ、アシュリーはこれから先ずっと後悔してしまいそうだった。  「カツラ卿。」 「何だよ。」  カツラが首を傾げる。  そうすれば年相応の子供らしいのに、とアシュリーはぼんやりと思った。  「【ダーク・エッグ権限】を使用したことは、すごいじゃないか。度肝を抜かれた。素直に褒めよう。しかし、一つだけ気になることがある。」 「いや、どんだけ上から目線なの。で、気になることって?」  ぶつぶつと不平を呟きながらも、一応アシュリーの話を聞く気持ちがあることに、少しほっとする。  「ああ。その計画は、本当に臣民からの指示は得られるのか?確かに、それは臣民にも協力してもらうものだから、多くの賛成を得られるだろうな。……その後の話をしなければ、だが。」  ぴくり、とカツラの片眉が跳ねあがる。  いつの間にか、再び議会内はしんとしていた。  「臣民は利益を得られる。こちらは軍備が潤う。良い話だな。だが、その軍備は結局何の為だ?本当に、帝国から国を守るためだけか?……そのまま、私利私欲に塗れ、戦争を始めないと、誓えるのか?」  カツラの瞳からは、何の感情も得られない。と、思っていたアシュリーだが、おや、と思い直す。彼の瞳は、疑われたことが心外だという怒りの気持ちと、何故お前がそのようなことを言うのだという困惑によって、ぐらぐらと揺れていた。  「カツラ君、応答をお願いします。」 「……。」  アシュリーはさらに、カツラの瞳に宿る感情を見極めようと言葉を紡ぐ準備をする。ここからはアシュリーの十八番だ。しかし、アシュリーの目論見は、カツラの次の行動によって脆くも崩れた。  「俺たち軍部は、この計画こそ今の状況を乗り越えるためのチャンスだと思ってる。臣民にも、国にも利益があると踏んだから、ダーク・エッグは許可紋を発行したんだ。」  静かに告げるカツラの頭上で、空気がうねり始める。アシュリーの体には、まだ先程の大剣が深々と突き刺さっていた。ぎり、と歯軋りをする。  カツラは、アシュリーが余計なことを口走る前に、止めを刺すつもりだ。  しかし、アシュリーにはそれを止めることはできなかった。ダーク・エッグの許可紋と臣民の絶大になるであろう支持。為す術はなかった。  「公共事業なんてもんで、臣民になけなしの金をやっても、あいつらは満足しねえよ。国だって、元に戻るもんか。」  空気が無数の渦を作り、それから紅く輝くすらりとした長剣が顔を出した。カツラは、ゆっくりと腕を持ち上げた。  「ちょっと待て! 軍備増強の真意は何だ!? それだけははっきりさせろ!」  アシュリーが焦ってそう叫んだ瞬間、軍部の連中は揃って顔を輝かせる。アシュリーは言外に言ったのだ。返答次第では、『八・八艦隊計画』を承認しても良い、と。  「おいおい、いいのかよ? あんたの言葉は即ち、政党全員の言葉になるんだぜ?」  カツラに指摘されたアシュリーは、ぐっと詰まる。ちらりと後ろを見ると、政党の重鎮どもは、皆揃って苦虫を潰したかのような顔をしているし、アシュリーの味方をしてくれる連中は、おろおろとアシュリーとカツラの顔を見比べている。  (どうせ、この計画は通ってしまう。……潰したいが、ダーク・エッグの後ろ盾がある以上、それは無理だ。だったら、より臣民への負担を減らすことが我々政党の役目ではないのか?)  じっと押し黙ってしまったアシュリーを、カツラはつまらなさそうに見ていた。  「あんた、もっと周りと話をした方がいいんじゃねえの? 勝手に決めたりしないでさ。」 「……?」  静かに見つめ合うアシュリーとカツラであったが、カンカン、と木づちを打ち鳴らした議長の次の一言によって、視線が自然と解けていった。  「……では、ブラックモア君。他には意見はありますか?」 「……ありません。」  悔しさのあまり、思わずぎろっとカツラを睨むアシュリーに呆れた面持ちとなったカツラは、肩をすくめると、次の瞬間、勢いよく腕を振り下ろし、宣告を下す。  アシュリーを殺すための、死刑宣告を。  「アシュリー、俺は絶対この計画を成功させたい。お前の敗因は、計画の甘さでも臣民の支持でもダーク・エッグでもない。……これらを理由に、俺と戦うことを諦めたお前の『心』だよ。」  空中に浮かんでいた幾百もの剣が、アシュリーめがけて突き刺さる。  なるほど、と心の中で頷き、アシュリーは不意に笑いたくなった。  (僕は、自分の『心』に負けたのか……。)  思わず、ふふふ、と声に出して笑うと、カツラが驚いたような顔になった。面白い男だな、と思う。  (まあ、この馬鹿は本当に臣民のことを考えているようだし、通しても大丈夫かな。こいつの言うとおり、ダーク・エッグは基本的に国の不利になるようなことはしないし。)  薄れゆく意識の中、ふわりとそんなことを考えた。結局、アシュリーにとって大切なところは、そこでしかないのだ。  意識を失う直前、カツラが、お前は蟻のはずなのに、と言っていたような気がしたが、よくわからなかった。
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