この電話番号は、いつまでも使われております。

1/1
133人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

この電話番号は、いつまでも使われております。

 紗菜は微笑み、彼の名前を呼んだ。 「ヒュウガさん。お久しぶり、紗菜です」 『……ああ。…………久しぶり、て、ほど経ってはないけど』 「ヒナタくんとはさっき会ったばかりだね」  がたん! ――椅子がひっくり返る音。けらけら笑う紗菜に、彼は怒りはしなかった。ただズタボロの満身創痍といった声が聞こえてくる。 『ごめ、ん、俺。嘘を……つくつもりじゃ……』 「うん」 『……最初、学校の友達かと思って。だからヒュウガは、そのアダナで。別に――隠してはない、本名が恥ずかしいとかそういう――』 「うん」 『年も――』 「うん」 『なにも誤魔化すつもりはなかった』 「うん」 『――ただ――ごめん、なさい。……年上の人を、呼び捨てにしたり、偉そうな口をきいたりして』 「うん。大丈夫」  紗菜は心から、なんの忌憚もなくそう言った。 「あたし、あなたに救われたから」  最初に間違えたのは紗菜のほう。どん底にいた自分を慰めて、いろいろ教えてくれる彼のことを、年上の大人だと思い込んでいた。  彼は一度も、そんなウソはついていない。紗菜をだまし、見栄を張ったことなどなかった。  彼はただ、あるがまま――年齢や職業など関係なく、賢くて穏やかで、優しくて。  ただの、素敵な男性だった。  彼は言った。 『…………ガッカリされたくなかった。させてしまって、ごめんなさい』  ううん、と、紗菜は否定した。  詫びなどいらない。言い訳なんて必要ない。  それより聞かなくてはいけないことがある。  紗菜はルーズリーフのノートを開いた。最後の頁、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされた部分に指で触れ、文字の凹凸を探してみる。  まだ言い訳じみた弁解をしている彼の言葉をさえぎって。紗菜は、絶対確認しなくてはいけないことを質問した。 「ねえ、ヒュウガさ――ヒナタくん。あたしが間違えていたのは、あなたの年頃と名前だけ?」 『……ああ』 「あたしに話してくれたこと、あなたが好きなものは、すべて本当のことだよね」 『そうだよ』  電話の向こうで、少年はぶっきらぼうにうなずいた。紗菜もうなずいた。  ならばこれ以上、ほじくり返すべき彼の秘密などなにもない。たとえまだいくつか嘘があっても構わない。  だけどこれだけは、明らかにしておかないといけない。  紗菜は言った。 「あなたの好きなものを聞かせて。もう一度、あなたの声で。 ……あたしも言う。『あなた』に向かって、ちゃんと言うから」  紗菜は昔から、物持ちのいい方だった。流行(はやりもの)に興味がなく、一度好きになったものは、そう簡単には変わらない。  本来ほんの数年で持たなくなるような、子供向けのものだって大切に使い続けている。  泣いたり笑ったり、ときにヒビが入ったり直したりを繰り返し。  月日が経ち、進学して、成人した。もう大人の女性と呼ばれる年になった。  それでもそれは、ずっと紗菜のそばにある。  少女の世界が広がり、たくさんの名前と数字が電話帳を埋め尽くしても。  通話履歴を独占するのは、いつでもずっと同じ人。  ずっとそのまま、彼の名前が並んでいる。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!