第5話 入部試験

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第5話 入部試験

 昼食が終わり、腕時計に視線を落とすと、午後二時を回っていた。私とルーカスは学生課で学生書を受け取ると、学校の近くにある相国寺という寺院の境内を散歩した。金閣寺と銀閣寺を塔頭に抱える相国寺は、質素でありながら、「格」を感じさせる厳かな佇まいであった。  散策を終えた私とルーカスはキスバーガーに向かい、コーヒーを飲んで時間を潰した。  その後、五時までまだ少し時間があったので、図書館に足を運んだ。私が日本の旅行雑誌に目を通していると、ルーカスが興奮した面持ちでこちらにやって来た。アメリカでは入手困難な歴史書を見つけたらしい。「すごいものを見つけた」 ルーカスの声は感動で震えている。そう言うとルーカスは机の上に五冊の本をどさりと置いた。  表紙には『マンガで勉強 日本の歴史』と大きな字で堂々と書かれていた。歴史マンガであった。ルーカスは私の向かいの席に座った。 「おー、これは分かりやすい!」 と満面の笑みでページをめくるルーカスを横目に、私はたった今図書館に入ってきたばかりの、ある女学生にすっかり心を奪われていた。一目惚れというやつだ。その女学生は本を返却すると、ルーカスの後ろを通り過ぎ、建築に関する本が置かれたセクションで本を探し始めた。鼻筋が通った凛々しい横顔、そして、長く黒い髪を耳にかける仕草に私は興奮を覚えた。しかし、彼女に目を奪われていたのは私だけではなかった。私の周辺の男子学生のほとんどが、本そっちのけで、黒髪の女学生を凝視していたのだ。幸い、ルーカスは女学生の存在には気づかず、時に頷き、時に目を見開き、そして、時になぜかガッツポーズをしながらマンガを熱心に読んでいる。ルーカスまで同じ女学生に夢中になってしまうと厄介であるため、私は心を鬼にして、彼女の存在はルーカスには黙っておくことにした。ルーカスはものすごいスピードでマンガを一冊読み終えると、腕時計に目をやった。 「四時四十分か。そろそろ松竹寺に行こうか」 そういうと、ルーカスは大量の歴史漫画を抱えて貸し出しコーナーに向かった。黒髪の女子学生のことが気になって仕方がない私は、後ろ髪を引かれる思いで図書館を後にした。  松竹寺はなかなか見つからなかった。京都には無数の寺社仏閣が存在する。清水寺、知恩院、天龍寺、金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)、三十三間堂(蓮華王院)等の数多の有名な寺院の他にも、所謂観光名所ではないお寺もたくさんある。松竹寺もその一つであり、もちろんガイドブックにも載っていなければ、近郊の住民を除けば、京都市民でも知る人はほとんどいない。  私たちが松竹寺に着いたのは午後四時五十八分であった。松尾女史の恐ろしさを知っている私たちは、深呼吸をしてから気を引き締めて境内に足を踏み入れた。  歴史のありそうないかめしい門をくぐった瞬間、この寺が普通の寺ではないことに私は気づいた。まず、どこにもお墓が見当たらない。通常、寺は石畳が敷かれていることが多いが、この寺の地面はすべて土であり、灯篭も置かれていない。しかし、本堂の中には複数の仏像が安置されている。ただし、どの仏像も戦士のようにその表情は恐ろしく、甲冑をまとっていた。  靴を脱いで本堂に上がると、極度の緊張のためか、ルーカスが派手に放屁をした。私は戦士のような仏像に睨まれた気がした。 「すいません、松尾さーん」 私は仏像から視線を外して、恐る恐る、奥に向かって呼びかけてみた。 「ちょっと待って」 と奥から松尾女史の声が返ってきたが、なかなか松尾女史は姿を見せなかった。  二分ほど経過しただろうか、松尾女史がやって来た。私たちが見慣れた、仕事のできるオフィスレディー風のルックスとは異なり、松尾女史は長い髪の毛を無造作に後ろにまとめている。そして、松尾女史は剣道の防具を身に着け、面を左腕で抱え、右手には竹刀が握られていた。私とルーカスが松尾女史の姿に言葉を失っていると、松尾女史の後ろから同じく防具を身に着けた四人の男子部員が姿を現し、仏像に向かって一礼をした。その様子を見て満足そうにうなずくと、松尾女史は、 「それでは、入部テストを始めましょう」 と宣言した。  私とルーカスは松尾女史と四人の防具をまとった部員がやって来た奥の部屋に案内された。六帖ほどのごく普通の和室だ。そこには、ご丁寧に防具と竹刀が二セット置かれていた。松尾女史は、防具を着用するように私たちに告げると、四人の防具姿の男を引き連れて部屋を出た。  何も用意していなかった私とルーカスは、カジュアルなシャツとジーンズの上から防具を無理やり着用した。部屋に立てかけられていた全身が映る大きな鏡で自分の姿を確認すると、実に滑稽な男たちがそこに立っていた。  私は紺色のポロシャツとジーンズの上から、ルーカスに至っては赤いカレッジティーシャツとハーフパンツの上から、防具をまとっていた。案の定、私たちが部屋の外に出ると、四人の剣士から失笑が漏れた。しかし、その失笑は松尾女史の一睨みで止まった。松尾女史は着替えた部屋とは反対の方向に向かって歩き出した。その後を四人が歩き、さらにその後ろに私とルーカスが続いた。突き当りにある障子の引き戸を開けると、そこには三十帖はあろうかという床張りの広大なスペースが広がっていた。  一目瞭然、このだだっ広い部屋は道場であった。  松尾女史、そして、四人の剣士は道場の入口の前で一礼し、道場に入っていく。私とルーカスも彼らにならって一礼してから道場に足を踏み入れた。  松尾女史は道場の中央に立つと、四人に向かって、 「この二人と立ち合いを希望する者は?」 と言った。すると私たちと丁度背丈がほぼ同じの二人が、一歩前に出た。 「宜しい」 松尾女史が頷くと、他の二人は道場の壁際まで下がっていった。 「それでは木田君はルーカス君に、浦賀君は武田君に立ち合い稽古をつけて下さい」 松尾女史の言葉に、二人は道場内に響き渡る声で「おお!」と答えた。まず、浦賀と呼ばれた私と同じぐらいの背格好の剣士が面をかぶる。その様子を見た松尾女史が、私の方を向いて、 「それでは武田君から」 と言った。  いやがうえにも緊張が高まる。私はゆっくりと深呼吸し、目を閉じた。竹刀を握り、そして、面をかぶった。松尾女史は私と浦賀氏の間に入ると、 「入部テストは三本勝負です。武田君とルーカス君は一本でも取ったら、入部を認めます。それでは、はじめ!」 とテスト開始の合図を告げた。  私と浦賀氏は礼をすると、間を取った。二人の間には二メートル程度のスペースが存在する。私は様子を見ることにした。浦賀氏がじりじりと間合いを詰めてくる。私は動かない。浦賀氏は、私が緊張していると思い、一気に勝負を決めにきた。浦賀氏の竹刀が私の小手めがけてとんでくる。そして、命中した。実に気合の入った一撃であった。 「小手あり!」 松尾女史の凛とした声が道場内に響くと、壁際に下がった3人から一斉に歓声が上がった。一方のルーカスは不気味な笑みを浮かべていた。 「お見事、浦賀君」 私は落ち着いた声ですれ違いざまに声をかけた。浦賀氏はにっこり笑うと、一礼し、二本目開始の号令を待った。  二本目も浦賀氏が取った。電光石火の面であった。再び外野から歓声が上がる。二本連続であっさりと勝負がついたため、松尾女史は少し慌てた様子で、 「武田君、次負けたら落第よ」 と言った。  松尾女史が三本目の勝負の開始を告げる。 「はじめ!」 浦賀氏は、一本目と二本目と同様に素早く踏み込んできた。浦賀氏の竹刀が私の面を襲う。浦賀氏は『勝った』と思ったはずだ。実際に浦賀氏の表情からは余裕が感じられた。しかし、竹刀は面に当たらず、逆に私の竹刀が浦賀氏の面に命中し、浦賀氏は立ち尽くしていた。  松尾女史、そして、剣道サークルの残りの三人はたった今目の前で起きた出来事に衝撃を受けていた。ルーカスを除く全員には、浦賀氏の竹刀が私の面をとらえていたように見えた。しかし、実際には私が浦賀氏の面を叩いていたのだ。唖然としている松尾女史に私は目で判定を促した。 「め、面あり!武田君の入部を許可します」 一本取られた浦賀氏は、面を外すとクビを横に振った。 「おかしい。確かに面をとらえたと思ったのに・・・」 私も面を外すと、単純なカラクリを教えてあげた。 「単純なことだよ。一本目と二本目で浦賀君の振りの早さを見させてもらい、三本目では、それより早いスピードで竹刀を打ち下ろしただけなんだ」 浦賀氏が、試合を見守っていた三名の剣士たちのもとに戻ると、 「油断しただけだ」 「二本浦賀が取ったんだから、本当ならお前の勝ちだよ」 等、慰めの声がかけられたが、浦賀は溜息を一つ吐くと、 「いや、実力が違い過ぎる。俺の完敗や」 と言った。 「ルーカス君と木田君、前へ!」 重苦しい雰囲気を変えるように、松尾女史の快活な声が道場に響いた。衝撃の逆転劇を目の当たりにした木田氏の表情は、明らかに強張っていた。  松尾女史が試合開始を告げる。 「はじめ!」 浦賀氏とは異なり、木田氏は慎重にルーカスとの間合いを取った。しかし、ルーカスは構わず間を詰めてくる。そのたびに木田氏は威圧感を覚え、徐々に後退していく。 「ウソでしょ、木田君って、有段者だよね。うちじゃダントツで強いはずなのに・・・」 見守る三人の部員から溜息がもれた。木田氏の呼吸が荒くなっていく。その時、ルーカスが一歩後退した。千載一遇のチャンスと考えた木田氏は、迷いなく竹刀をルーカスの小手に向けて振った。有段者の抜け目のない攻撃であったが、難なくルーカスにはじかれてしまった。松尾女史、そして、他の三人のメンバーは木田氏の連続攻撃を期待していたが、木田氏は再び動きをピタリと止めてしまった。  手がしびれて、攻撃したくても出来なかったのだ。そして、ルーカスが放った小手を受けると、竹刀を落とした。木田氏はルーカスの実力、そして、その馬鹿力を肌で感じ、戦意を喪失していた。木田氏はがっくりと肩を落とし、降参を告げた。 「参りました」  こうして、私とルーカスの剣道部、いや、剣道サークルへの入部が正式に決定した。
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