涼を取る

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『シャンプー始めました』  生徒会室のドアに貼られた紙に私は盛大に戸惑った。  季節は夏、暑さも真っ盛り。あともう少しで夏休み。早くクーラーの効いた我が家に帰りたい。そんな日の放課後に週に一度の生徒会室への顔出しを済ませようとした私の目に飛び込んできたのはそんな意味不明な貼り紙だった。  Uターンしてここから去りたい。私は即座にそう思う。嫌な予感しかしない。  張り紙の字は会長のものだった。  会長はトラブルメーカーだ。秋には落ち葉を集めて学校の敷地内で焼き芋をしようとして叱られ、冬には学校中に雪兎を設置し暖房で溶かして床をびちょびちょにして叱られ、入学式には桜の花びらをかき集めて体育館にばら撒き叱られた。掃除はちゃんと全部やっていた。  それらの動機は会長曰く、生徒会長に入れば強権を手にできると思ったのに裏方仕事ばっかりでつまらないからとかなんとか。  そしてとうとう夏にはシャンプーを始めたらしい。  シャンプーってなんだ。学校で何を始めている。私帰っていいですか。  そう思ってから決断までの数秒の間に生徒会室のドアはバーンと開かれた。 「良く来たわね副会長!」 「ごきげんよう生徒会長!週一のおつとめご苦労様です!それでは私は予定がありますのでこれにて可及的すみやかに失礼します!」 「さあ入りなさい!」  私の渾身の挨拶など聞こえなかったように生徒会長は私の鞄をぐいぐいと引っ張って生徒会室に引っ張り込んだ。  生徒会室の中央にはプールがあった。  さすがに本格的なやつではない。幼稚園から小学生くらいの子供が家の庭で使うようなビニールプールだ。  膨らまされてスタンバイしてるが水は張っていない。 「なんですかこれ……」 「我が家のプールよ!いっくんから取り上げてきたの!」  いっくんとは会長の歳の離れた弟さんだ。 「外道だ……」 「さあさあお座りなさい!」  座りなさいと会長が示した椅子はビニールプールのすぐそばに置かれていた。  背もたれがプール側にある。 「会長……つまりこれは……」 「シャンプーをしてあげるわ!」 「けっこうです」 「遠慮しなくてよろしくてよ!」 「遠慮でなくてマジでけっこうです」 「制服が濡れるといけないからジャージに着替えなさい!」 「話聞いてください」  あとジャージが濡れるのもわりと困ります。  会長は話を聞いてくれなかった。私はジャージに着替えて椅子に座った。 「らんらんらーんらんらんらららー」  作詞作曲会長の謎の歌とともにビニールプールの中に立った会長が私の頭に何かをふりかけた。 「冷たい……?」 「父さんからかっぱらってきたクーラーボックスに入れておいたシャンプーよ」 「会長はご家族に少し気を使ったほうがよろしいかと思います」  ついででいいので私にも気を使ってください。 「冷え冷えとして気持ち良いでしょう?」 「それは否定できないのが悔しい……」  会長は上機嫌で私の洗髪を進めていく。 「なかなかお上手ですね」 「まあね」  会長はふふんと得意げに笑う。  なかなか気持ちが良くて、会長の思いつきが初めて悪くない方向に行ったかもしれない。  私はしばらくされるがままになっていた。 「洗い尽くしたわ」  どれくらいの時が経っただろうか会長がそう宣言した。 「気持ちよかった?涼は取れた?」 「はい、とても……えっとありがとうございました」 「じゃあ洗い流すわねー」  そう言って会長はよいしょと何かを重たそうに持ち上げた。  私が不審に思う間もなく私の頭に会長はバケツで水を豪快にかけた。 「ぎゃー!?」 「きゃー!?」  水しぶきが生徒会室を飛び散らかった。  私のジャージの上衣はがっつり濡れて、ビニールプールにいた制服のままだった会長は全身が水に濡れた。 「何やってるんですか!?」 「シャンプーを……洗い流そうとして……?」  当の会長が目を白黒させている。  バケツでやったら駄目だろう。せめてゆっくりかけるとかしてほしかった。 「会長もびしょびしょじゃないですか……」 「裸足になっていて助かったわ」 「そういう問題かな……こうじょうろを使うとか……」 「天才ね。副会長」 「ありがとうございます……?」  この発想が天才だったら世界は会長以外天才で溢れていると思う。 「まあこれはこれで涼は取れたわ!」 「ポジティブだなあ……」  足までびしょ濡れになって動けない会長の代わりに私は鞄を置いていたところへ向かう。  1時間目のプールの授業で使用したタオルを取り出す。  体を拭く用の大きいのと頭を拭く用の小さいのの2枚を私は普段から持ってきていた。  まだ多少湿気っているがないよりはマシだろう。 「会長大きい方使ってください。私は着替えちゃうんで頭だけ拭きます」 「ありがとう副会長!」  タオルを会長に渡そうと手を伸ばすと、会長も手を伸ばしてきた。  私たちの手が触れた。  どちらもひんやりと冷たかった。  その温度を確かめて会長が改めて言った。 「涼が取れたわね」 「ええまあはい」  会長はにっこりと微笑んだ。無邪気な笑顔だった。 「……次から気をつけてくださいね」 「次はもうないわ」  会長が寂しそうな顔になった。 「夏休みが明けたら生徒会総選挙。私たち引退ですもの」  私の胸が少しだけちくりとした。 「最後くらいは大成功で終わらせたかったんだけどそうもいかなかったわね……今まで本当にありがとう副会長」 「……どういたしまして生徒会長」  私はどう返していいか分からずただそう言った。  冷たい風が吹きつける秋が来る。  私たちの生徒会が終わる。  そして冷え冷えとした冬が来て、私たちはこの学び舎を去る。    その日を思うと私の心はひんやりとした。
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