ソーマとアンネ

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ソーマとアンネ

 爽やかな風が、草原を吹き抜ける。さわさわと、風に揺られた長い草が音を奏でる。  ピョコ。  そんな音はしていないのに、そんな擬音をつけたくなる光景。揺れる草の間から、アコナイト・ヴァイオレットの髪と、白い猫の耳が飛び出した。 「あったー‼︎」  草原に響いた大きな声。草原から、小さな小さな拳が突き出した。 「見つかった⁉︎」  白い猫の耳がピクピクと動く。  さわさわと、草原を二つのなにかが移動している。草原の中で、草が生えていない場所。そこに二つのなにかが姿を見せた。 「あったぞー‼︎」  身の丈4フィールと2バンチ(1バンチ=5センチ/1フィール=6バンチ=30センチ)ぐらいしかない身長で、高々と手を掲げたのは、コビット族の少年だった。掲げられた右手には、キラキラと輝く輝石が握られている。  少年の名前は、ソーマ・ヤン・デン・アイデム。薄いエメラルドグリーンの瞳に、ダークブラウンの髪。コビット族特有の丸い顔と丸い耳を持つ。 「よかった。これでお店も再開できますね!」 「うん!」  嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる猫の耳を持つ少女。彼女の名前は、アンネ・マファール・スワン。身の丈はソーマよりわずかに低い。白い肌にアコナイト・ヴァイオレットの髪。髪は肩まで伸び、丁寧に整えられている。丸い眼の瞳はクリーム・イエロー。丸い顔はコビット族に似ているが、本来丸い耳がある場所より少し上に、猫の耳が生えている。なかなかお目にかかれない、コビット族と獣人(ライカン)族のハーフだった。 「やった、やったー!!」  ソーマは輝石をポシェットにしまうと、アンネと手を繋いでその場でくるくる回りながら飛び跳ねた。ああ、なんたるマイナスイオン…。   「よし! アンネちゃん。お店に戻るよ」 「はい。行きましょう」  ソーマとアンネが振り返ったその時…。 「グルルルルッ!!」  唸り声をあげながら、涎を垂らして忍び寄る、黒い影。鋭い牙と爪を持つ、魔狼・ワーグだった。 「は、はわわっ! ソーマさん!! こんなところにワ、ワーグがっ!!」 「えっ⁉ ワーグって夜行性じゃなかったっけ? ネロさんに騙されたぁーっ‼」 「ソ、ソーマさん! 逃げたらだめですよ。追いかけてきますし、多分私たちの足じゃ逃げ切れません」 「そ、そうだね。脚短いしね」  覚悟を決めたように、ソーマとアンネが身構える。二人は黒猫の魔法ギルド・ポンボルーナルーン略してポンボン支店の魔法使いだ。魔法を使える。しかし、魔法は呪文の詠唱の前後に隙を作る。上手く使わなければ相手に絶好機を与えてしまうことになるのだ。 「よし! 僕が呪文を唱えるから…」 ソーマが懐から魔法の杖(マジック・バトン)を取り出す。  そこまで言って、ソーマとアンネは眼を合わせた。アンネの眼が物語っている。 『ソーマさん! 私を囮に使うんですか⁉』    取り出した魔法の杖(マジック・バトン)を懐にしまったソーマは、腰に帯びているショートソードを鞘から引き抜いた。ショートソードといっても、コビットのソーマには充分、ブロードソード並の規格である。  ワーグは集団生活をする習性がある。一匹だけではない。三匹、六匹と、いや、十匹。ぞろぞろと集まってきた。 「うぅー。増えてきた。僕が引きつけるから、アンネちゃんは、呪文を唱えて。僕を巻き込まないやつでね!!」 「はい!」  魔法の使用が初心者には難しい理由。それは呪文の前後に隙を作るだけでなく、魔法の種類を把握し、味方に被害がでない効果範囲の魔法を選択。そしてしっかりと放出を制御しなければならない。実は、アンネは魔法の制御が苦手だった。  魔法といって一般的なのは、自然魔法である。他にも種類はあるが、自然魔法こそが人の生活に寄り添う魔法といっていいだろう。  自然魔法を行使するにおいて大切なのは、大気中のマナの組成率。マナとは、この世界の神羅万象を構成するにおいて大切な元素だ。自然魔法を行使する場合、まずは周辺のマナの組成がどうなっているのかを把握する。大気中、周辺のマナの含有量、マナの構成が安定しているかを測る。次に地、水、火、風の四大元素のうち、どの元素が強いのか測る。簡単に例えれば、荒野では地の元素が多い。河川や水辺では水の元素が多い。乾燥していたりすれば火の元素が多い。天候が曇りの場合や強風の場合は風の元素が多い。四大元素とマナ。どちらも魔法の行使には欠かせない。    次に使用者は呪文の詠唱を始める。自分の魔力を体内の魔力回路から解放し、大気中の組成を変化させて自然魔法を行使する。消費された大気中のマナは、時間の経過と共に元に戻る。だが同じ場所で長時間、連続的に魔法を行使した場合、マナの組成が安定しなくなる。この時に呪文を唱えると、その自然魔法は暴発となる。そして消費され過ぎたマナは、魔素という闇の元素に変質してしまい、暗黒魔法しか行使できなくなる。それだけではない。魔素が強いと周囲にも悪影響を及ぼす。人体に有害な作用を及ぼし、体調の異変も表れる。他にもいろいろあるが、最も顕著なのは魔物に及ぼす影響だ。魔物が狂暴化したり、変異したりする可能性がある。魔素の濃度が強ければ、その効果も大きくなる。  この場合だと、風のマナが強い。風の魔法が有効だった。ソーマは風の魔法が得意だが、アンネはそれほど習熟している訳ではなかった。それでも頑張る。それがアンネのスタイルだった。 「炎よ。舞い上がれ。強き鏃となりて飛び、我が敵を撃て‼︎」 「えっ⁉︎」  何を思ったか、アンネは火の呪文を唱えはじめた。アンネの魔力回路から解放された魔力が、周囲のマナと火の元素を変質させる。 アンネは、魔法の杖(マジック・バトン)を前方に翳して、最後の呪文を唱えた。 「火炎翔撃(ブラン・シーゼン)」  数本の火のマジックミサイルが形を成し、ワーグの群れに襲いかかる。火の矢は尾を引きながら、ワーグに向かって降り注いでいく。ワーグの悲鳴が草原に響く。しかし…‼︎  やっぱりというべきか、火の魔法によって草原の長草が燃え上がった。辺り一面、草だらけである。延焼を阻むものなどひとつとしてない。 「キャー! 燃え移ってしまいました! ソーマさん、逃げてくださーい!」 「に、逃げるって、言っても…」  ソーマの眼前には、火のマジックミサイルから逃れたワーグが三匹いた。睨み合って動けない。 「はわわっ…! ソ、ソーマさん! だ、大丈夫でしょうか⁉︎ あぁ、わ、私のせいで…! どうすればいいですか⁉︎」  アンネがその場で行ったり来たり、おろおろしはじめる。アンネはパニックに陥りやすいのだった。混乱にかける魔法を使えば、一発命中するだろう! 「アンネちゃん、落ち着いて! 大丈夫だから‼︎」  意識をワーグから外せないソーマは、必死にアンネに呼びかけた。ソーマの声を聞いて、少し落ち着きを取り戻したのか、アンネはその場でじっとしていた。顔は今にも泣き出しそうだが…。  近接戦闘を得手とする戦士と、パーティーを組んでいない場合、魔法使いには自身で剣を振るうことも求められる。しかし剣で敵を討つ力まではない。魔法で決着をつけるしかなかった。 「ふー…」 小さく、ソーマが息を吐く。 「死ねないよ。あの人に、恩を返すまで」  ソーマの眼が鋭くなる。その時、三匹のワーグの背後に火の手が迫った。ワーグが背後に気を取られる。それをソーマは見逃さなかった。  懐から再び、魔法の杖(マジック・バトン)を取り出す。眼を閉じる。心気を統一し、呪文を唱える。 「吹き抜ける風。気流に乗りて、今こそ集まりたまえ。渦を巻け。嵐となりて、我が前にその力を示せ」  ソーマがかっと眼を開いた。 「派手にいくよ! 嵐烈波(ヴィンド・ホーゼン)」  ソーマの周囲で渦巻いていた風は、やがて激流となって形をなす。形を成した風は竜巻となって、ワーグを巻き込もうと突き進む。 大魔法・火炎嵐波(フォイオ・オルカーン) 「えっ⁉︎ あ、あぁ、ヤバい‼︎」  先の火の魔法の効果がまだ残っている間に、風の魔法を行使した。特定の魔法の効果を同時に詠唱し、効果を発揮させると、それは大魔法となって、さらに強力な魔法へと変貌する。  火の粉を竜巻が巻き上げる、炎の嵐。凄まじい勢いで火は舞い上がり、辺りの草原に火の粉は落ちて、さらに火が燃え拡がる。 「わー! わー! いっぱい燃え移った‼︎ どーしよーっ‼︎」 「キャー! キャー! ソーマさーん‼︎ どうしますかー⁉︎」  小さな二人が、草原を右往左往。さらにはぐるぐると駆け回る。あまりの強力な魔法の威力に、ワーグはとうに逃げ去っている。 「ヤバい! これ、町の人に怒られるかなぁー⁉︎」 「わかんないですけど…。ちょ、ちょっと燃えすぎですー‼︎」 「わー、これ! マジでヤバいっすー‼︎ て、てて店長ーっ‼︎」  ささっと水魔法で消火すればいいようなものだが、辺りは水のマナが弱かった。まだまだ魔法使いとしては未熟。そんな二人にはどうしようもない事態であった。  その時。風の魔法を行使した影響で、鈍色の雲が流れてきた。どんよりと空を覆った。厚い雲が垂れ込め、次第にポツポツと、地上に雨が落ちていく。 「あ、雨! 雨だ‼︎」 ソーマが天を指差す。 「ホントですー‼︎ まさに恵みの雨ですよ‼︎」 「やったー、やったー‼︎」  また二人が手を取り合い。ぴょんぴょんと跳ねた。自分たちの浅はかさが招いた事態だというのに、なんとほのぼのとした光景であろうか…。  雨はすぐに上がった。まるで燃え拡がった炎を消すために降ってきたような雨だった。 「あ、ソーマさん。見てください!」    今度はアンネが天を指差す。ソーマがそちらに眼をやると、自然と笑みがこぼれた。  雲の隙間からわずかに差し込む光。その光と共に、虹が架かっていた。 「虹、かぁ。久しぶりに見た!」 「私もです。綺麗ですよね…」  並んで立って、二人はずっと天に掛かった七色の橋を眺めていた。  頑張った二人への、天からのご褒美。  な訳はない。当初の目的をすっかり忘れているのだから。 「あ、ヤバい。早くお店に戻らなくちゃ!」 「つい、虹に見惚れてしまいました! 急ぎましょう」 「うん」  トコトコと二人が駆け出す。急いでいるのだろうが、その短い脚では速いようには感じない。それでも二人とも、一生懸命に駆けていた。  グランエアール大陸中央部アスタード地方。この地方の片田舎に、ポンボルーナルーンという町があった。  雄大な自然に囲まれた町であり、周辺の村々からすれば中心地とされていた。  文明の進歩が行き届いていない地域で、魔法を発展させる。大陸中央部ストレイユブールのウィーンストンに本拠を持つ、黒猫魔法ギルドは、試験的な意味合いも含めてこの片田舎に魔法ギルドを開いた。  しかしながら、田舎の人々には魔法はピンとくるものでない。店は毎日閑古鳥が鳴いていた。  やる気のない店主に、魔法実験に勤しむ副店主。化粧と水晶玉に夢中な女魔法使い。魔法使いなのに日々身体を鍛え、武術の腕を磨く肉体派。それらの仲間に振り回される真面目な優等生。  そしてここで草原を駆ける、ソーマとアンネ。  黒猫魔法ギルドポンボルーナルーン略してポンボン支店は、今日も元気に開店休業中であった。  
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