黒猫魔法ギルド ポンボン支店 休業中

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「ただいまー」 扉の蝶番が、キィッと音を立てる。  お昼過ぎだというのに、室内は少し暗かった。入ってすぐには小さなカウンター。少し入るとお客を応接するためのソファーとテーブルがあり、その反対側に魔法使いたちが作業するデスクが並ぶ。一番奥の大きなデスクには、普通のものよりひと回り大きな、淡いグリーンの水晶玉が置かれている。  店内にはホウキや輝石、魔石。魔法の杖(マジック・バトン)など、魔法に関する道具が置いてある。何かの儀式に使うのか、動物の骨や、羽根が乗ったプレートがある。それが何か不気味であった。  デスクにひとり、女性の魔法使いがいた。輪郭は縦に伸びるがエラは張っていない。大きめのアーモンド型の眼。奥の瞳はアンバーの色をしている。髪色は艶やかなブラックだが、光が射すとわずかにアメジスト色が透ける。鼻は小さめで、キラキラ光る唇も小さめだった。オーキッド色の水晶玉に触れる手は細く、爪には装飾が施されていた。  彼女の名前はバネッサ・ホルン。お化粧と水晶による魔法通信に夢中な年若き魔法使い。美容担当。いつも水晶玉を眺めていて、水晶玉に触れらるとブチ切れる。貧乳をいじられてもブチ切れる。店主のリーザヴェートとお茶をするのが毎日の楽しみ。占星術やドルード魔法を得意としている。  店内を見回したクライヴが、バネッサに声をかけようとする。すると…。 「なんや! 遅かったやないか⁉︎」  突然響いた意気のいい声。しかしバネッサは水晶玉に集中していて、帰ってきたソーマやアンネ、クライヴに関心がない。バネッサ以外には店内に誰もいないようだが…。霊的な、やつ…? それにしては、ソーマたちは慌てた様子もない。  次の瞬間、入口のカウンターの上に、ヒョイっと猫が乗った。混じりけのないホワイトの毛並み。右眼はブルー。左眼はサルファー・イエロー。首輪には小さなベルが付いている。  白、である。黒猫魔法ギルドなのに。とか言ってはいけない。いや、それよりも、もっと大きな問題があったはずだ! この猫、まさか…。 「ほいで、例のやつはちゃんと見つかったんか?」  喋った。  この世界、人語を解する魔物はいる。しかし魔物にまで変異していない動物は、基本喋らない。 「はい! ここに間違いなく」  ソーマが取り出す。キラキラとした輝石。これはどうやらこのお店にとって大切なものらしい。  この猫…。会話している。ってもういいか。 「ベガ。みんなは?」 「あん? ネロは筋肉が俺に走れと言ってるとか、訳わからんこと言って出て行ったで。ミゲールは地下室。バネッサはほれ、いつもの調子や」  顔を洗いながらベガが答えた。仕草は完全に猫そのものだ。 「…ソーマ君とアンネちゃんが戻ったら、お店再開しようって言ったのに」 「バネッサ、なんか言うとるで〜」 「そんなん、あんたが勝手に言ってただけでしょ」  しかしバネッサは相変わらず水晶玉に夢中だ。一体水晶玉で何をやっているのか。少なくとも仕事をしている訳ではないとわかる。  水晶玉から意識を外したかと思えば、今度は鏡を見て自分の化粧の具合を確かめる。 「やっぱ、もう少し眼を大きくしたいよねー」  さすが美容担当。いついかなる時も、美しくあることを忘れない。 「ま、ここの連中に生真面目さを求めんのは、無理っちゅう話や。天地がひっくり返らん限りはな」  ベガがクライヴの肩をぽんぽん、と叩いた。猫に励まされる青年。なんとも珍妙な光景だ。  ソーマとアンネが顔を見合わせて頷く。二人とも小走りでバネッサの元へいった。 「バネッサさん。バネッサさんが魔法探知で捜し当ててくれた通りの場所にありました!」 「はい。もうドンピシャです。スゴいです」  身体を上下させて感動を伝える。眼をキラキラさせながら話しかける二人に対して、鏡から意識を外したバネッサは、ソーマとアンネを見つめると、一気にデレ顔になった。 「うんうん。よく見つけたね! エラいよ、二人とも」  バネッサが二人をまとめてハグする。どうやら可愛いものも好きらしい。  その時、室内の地下室から大きな物音がした。地下室は新しい魔法や錬金術の実験に使われる部屋だ。  扉を閉める音。あわただしく階段を上ってきた男。  ブラックの長い髪を後ろでまとめている。太い鼻と太い眉が眼を引くが、温厚そうな顔つきもまた印象的だった。瞳の色はブラウンで、眼は大きい。  彼の名はミゲール・サーレス・ノイシュバンタイン。黒猫魔法ギルド ポンボン支店の副店主だ。多分、頭脳派担当。 「やや、ソーマ君、アンネ君、クライヴ君に、そしてバネッサ君! みなさんお帰りでしたか‼︎」 「私は出かけてないって」 「ミゲール副店長! ただいま戻りました‼︎ ちゃんと見つけてきましたよ‼︎」 「おお! さすがです‼︎ それよりもいいですか⁉︎ みなさんに素晴らしい発表があるんです‼︎」  人の話を聞いていないのか、終始自分のペースでまくし立てる。 「一体なんですか?」   義務的な感じでクライヴが訊く。 「どうせしょーもないことやろ」   冷ややかな感じでベガが言う。 「一体なんですか⁉︎ 副店長‼︎」 「スゴく気になります‼︎」 「…ソーマ、アンネ。あんまり持ち上げちゃダメ」  期待に満ち満ちた眼で発表を待つソーマとアンネ。ほぼ無反応のバネッサ。  そんな扱いもなんのその。すでに自分の世界に入っているミゲールは、胸を張って素晴らしい発表とやらを発表する。 「ついに、完成したのですよ。ここ三ヶ月ほど取り組んでいた、新魔法が…‼︎」  ソーマとアンネを除く全員が、冷ややかな視線を向けている。 「魔法名はまた後ほどつけますが! この新魔法の効果が素晴らしい」 「ええから、はよ言えや」  すでに飽きたのか、ベガはくつろぎモードに入っている。 「なんと、この新魔法。オナラの臭いを消せるのでぇぇぇぇすっ‼︎」 「…………」  やはり、というような一同の反応。さすがのソーマとアンネも口をポカーンと開けて唖然としている。  周囲の空気などまるで読まない、強烈なトークがミゲールの特徴だ。これ以上ない恍惚の表情で宙を見上げる。 「例えば大人数で集まっている最中、急にオナラがしたくなったらどうしますか⁉︎ 大好きなあの人とお出かけしている時にしたくなってしまったら! ねえ、あなた⁉︎」 「誰に言うてんねん」 「でもそんな時でも大丈夫‼︎ この魔法があれば一発解決。万事安心‼︎」  錬金術に長けたミゲールは、魔法に関連する薬品調合にも通じた錬金術のエキスパートである。魔法実験の実績もあり、黒猫魔法ギルドでもその筋ではそれなりに名が知られているのだが、いかんせん方向性や力の入れ方がご覧の通りアレなため、本部からの評判はよろしくない。 「どうです? クライヴさん 素晴らしいではないですか。学会発表の際にも、最早オナラを気にする必要などありません」  ミゲールに話を振られたクライヴは、ばつが悪そうに頭の後ろを掻いた。 「でも…。それ、オナラをした時の音は聞こえるんですよね? オナラって、臭いよりも大衆の面前での羞恥心が問題になりますよ。音がしたら臭いを消せてもあまり意味がないんじゃ…」 「アホ。オナラで音出るなんて当たり前や。そこらはさすがに考えがあるやろ」  しん、とした室内。クライヴの言葉に、微動だにしなかったミゲールが口を開いた。 「…クライヴ君」 「はい?」 「君が人の努力を無下にする人間だとは、知りませんでしたよ」 「ないんかーい‼︎ そんなんあり得んやろ‼︎ アホやんけ‼︎」  ベガの鋭いツッコミに対して、ミゲールは打ちひしがれるように地面に手をついた。  その時、魔法ギルドの扉が開いた。ミゲール以外の全員の視線が、扉に向いた。 「おう。ソーマ、アンネ。帰ってきてたか」  パーマがかかった肩までのアッシュブラウンの髪には、シルバー調のメッシュが入っている。瞳の色はヘーゼルで、肌は褐色。分厚い唇と筋骨隆々の肉体から、エセ魔法使いと呼ばれる。己の肉体を鍛えることに余念がなく、日々鍛錬を積み、武術の修練も欠かさない。道具に魔法効果を付与するエンチャントが得意。彼の名はルパート・ディオ・ネロ。ポンボン支店の筋肉担当である。 「お帰りなさい! ネロさん! ワーグは夜行性じゃなかったですよ‼︎」  聞いていた情報と違うと、ソーマが抗議の声を上げる。するとネロは人差し指を横に振って片眼を閉じた。 「魔物は基本夜行性。ソーマ、お前さんもたまに夜ふかしくらいするだろ? 何事にも例外ありさ。きっとワーグの夜ふかしついでの夜食探しに遭遇しちまったんだろ」 「なるほど〜」 「そうなんですね。私たち、夜食でつままれるところだったんですか」  ソーマとアンネが感心したように頷くと、後ろでバネッサがため息をついた。 「あんた達、露店商にまがいものつかまされるくらい単純すぎ」 「ネロさん、どこへ行っていたんですか? ソーマ君とアンネちゃんが戻り次第、営業を再開しましょうと言っておいたはずですよ」  咎めるような口調でクライヴが話すも、ネロはクライヴを見つめると、腕の力こぶを隆起させて見せた。 「筋肉が俺に語りかけたのさ。今、走れ。すぐ走れ。さすれば更なる力を授けようと。どうだい、クライヴ。すべての男の憧れである筋肉。そのためならば何も惜しくはないだろ」 力こぶだけでなく、今度は上半身をはだけ、見事な肉体美を見せつける。 「ウゲー、気色悪」 バネッサが眼を逸らす。 「筋肉、魔法に関係ないやろ」 ベガが毛づくろいしながら言う。 「どうですか、ネロ君。オナラの臭いを消す魔法、興味ありますよね?」 「ない。1バンチもない(1バンチ=5センチ)」 ネロにすっぱり断られ、ミゲールが肩を落とす。 「ネロさん、スゴいっす。俺もムキムキになりたい!」 ソーマが眼を輝かせる。 「そうだろ。さすがソーマ。違いのわかる男だ。ただ人間とコビットでは肉のつき方がまた違う。今、研究してるから、勝手に身体を鍛えるのはやめとけよ」 「はい!」 「ソーマさんは、今のままでいいんじゃないかと…」 ポツリと言ったアンネのつぶやき。しかし男の世界に浸るソーマとネロには届かなかったようだ。  真面目担当クライヴ。美容担当バネッサ。筋肉担当ネロ。頭脳派担当ミゲール。さながらつっこみ担当の猫ベガ。ここに癒し&天然担当のソーマとアンネを加えたのが、黒猫魔法ギルド ポンボン支店の魔法使いスタッフ。ベガは魔法使いスタッフと違うけど。  …なんだこの絶妙にバランスのとれていない組織は。零細企業でもここよりはバランスがとれているはずだ。というか、それぞれ魔法とは違うジャンルで力を発揮しているし。 「やまかしいねえ。何の騒ぎだい?」  突然、二階へ続く階段から声がした。店内にある水晶玉や魔石、輝石が、何かに反応するように淡く光りだす。わずかに魔法道具も振動し、建物も小さく揺れる。  空間や物品にも影響を与える、強大な魔力。それは単なる魔法使いではなしえない芸当。圧倒的で、他を凌駕する底知れない力が、このポンボン支店を包みはじめる。 「店長!!」  ソーマが声をかけて階段へ小走りに駆け寄る。  深いヴァイオレットの瞳が、ソーマを見つめる。薄いピンクに光る唇が、わずかに笑う。眼は広く大きい。ソーマを見つめる視線は慈愛に満ちていた。それでもその眼には強い意思を感じる。何者にも屈しない意思が。  白い透き通るような肌。細くすらっと伸びた手足。鮮やかに彩られた爪を持つ右手が、そっと優しくソーマの頭に触れた。  髪はプラチナブロンド。眼の色からも察するにアルビノなのか。髪もほとんどが透き通るような色彩だった。長い髪をポニーテールにまとめている。  胸は大きく、腰はくびれ、さらにお尻の肉付きもいい。まさに抜群のプロポーションである。 「お帰り」  短い、しかし優しい声だった。まるで、母が家に帰宅した子を迎えるような声だ。 「アンネもお帰り。怪我はないかい?」 「は、はい!! ちょっと魔物に襲われましたけど、怪我はないです!」 「そうかい。無事でよかったよ」  この美しさと強大な魔力、そして強さを兼ね備えた女性こそ、黒猫魔法ギルドポンボン支店の店主を務める、リーザヴェート・フルーレル・エーゲルベルトである。  
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