第1話 裾踏姫

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第1話 裾踏姫

これから書く話は、俺が祖父の家へ遊びに行った時の話である。 俺は毎年夏休みになると、祖父の田舎へ泊まり掛けで遊びに来ていた。 大抵、大学生にもなると、何もない田舎などには興味を無くして足が遠のくものだが、俺は毎年楽しみにしていた。なぜなら、祖父の村の夏祭りがユニークで面白い物だったからだ。 その祭は山の麓の神社で行われ、夜になると皆が浴衣を着て集まってくる。ただし、男性が着ている浴衣は普通の物ではなく、通常より丈が長い物である。 そして、男達はその余った裾を後ろにズルズルと引きずりながら、縁日の開かれている神社を歩きまわるのだ。 その男達の目的はただ一つ、女性に自分の裾を踏ませることである これは、祭の夜、女性に着物の裾を踏まれると、必ずその女性と結ばれるという言い伝えがあるからだ。 俺はこの祭のために毎年祖父の家に来ているようなものであり、そして、その夏も俺は張り切って祭りへと出かけた。 俺は特製の浴衣を身に付け、長い裾をズルズルと引きずりながら、その田んぼ道を神社に向けて歩いていた。 俺は今年こそ誰かに裾を踏ませようと意気込み、その自信があった。自信の根拠は改良を施した浴衣だ。 今までより裾を1.5倍も長くし、さらに針金を入れたため、昨年とは比較にならないほど裾が広がるようになったのだ。 その裾の面積は一畳分はあり、これならば足元への注意を怠った女の子がついうっかり踏んでしまうこともあるはずだ。そして、俺は苦もなく彼女を手に入れるというわけである。 込み上げた笑いを口から吐き出しつつ、俺は獲物の待つ縁日へと急いだ。 縁日は神社の遥か手前の路上から始まり、山の麓へと続いていた。数え切れない程の電球が辺りを昼に変えている。 この祭は有名な祭で、隣接する市町村、さらにはもっと遠くから訪れた観光客らで賑わっていた。 その人々の中で半数ぐらいの男達が、老人・若者・妻子連れ・彼女連れ関係なく、丈の長い浴衣を着て裾を引きずっていた。 ほとんどの者は祭気分を盛り上げるために着ているのだろうが、俺と同じようにソワソワと落ち着かず、やたらと後ろを気にしている者もいた。 縁日を途中まで歩いたところで、俺は足を止めて低く唸った。参加客の浴衣は年々丈が長くなり、柄も派手になっていく傾向にあったが、今回は飛躍の度合いが大きかったのだ。 長い物は裾を数メートルも引きずっており、柄に至っては女性が思わず踏みたくなるような可愛いらしいキャラクター物などがあった。 今回はライバル達もかなり創意工夫を凝らしたようである。 敵ながらやるものだと俺が感心していると、突然後ろから「あー!」という叫び声がした。 俺が驚いて振り返ると、裾の脇に一人の見知らぬ女の子が立っていた。 長い黒髪を涼しげに結い上げ、歳は俺より少し下ぐらい、そして、朱色の浴衣を着ていた。彼女は涙の溜まった目で俺を睨み付け、地面を指差した。 彼女の指差す先を見ると、地面に広がる青い裾の上に土の汚れがあった。 それが一体どうしたというのだろうか。 俺は分からず、彼女に視線を戻した。 「分からないの!?私の草履の跡よ!」 「え?」 「踏んじゃったの!あんたが急に止まるからいけないのよ!」 「な、なんだって!?」 俺は思わず叫んだ。 周りの人々がこちらを振り返るが、俺は興奮していたので少しも気にならなかった。縁日に来てわずか5分、いきなり網に魚が掛かったのだ。それもかなりの美人なので、大魚と言って良い。 さらに、彼女の方から踏んだことを申告してきたということは、かなり脈ありとみてよいだろう。 報われた。俺はその想いで涙が出そうになった。今まで浴衣に費やした金、祭のために潰した貴重な休日、それがまさにこの瞬間に報われたのだ。 しかし、俺が有頂天でいられたのも彼女に胸ぐらを掴まれるまでであった。 「あんた、私に協力しなさい!私と一緒に小池君を探して!」 「こ、こいけ?」 「私の片想いの人よ!早く探さないと大変なことになるわ!私、御利益を実現させてしまう指輪を付けているのよ!」 彼女は指にはめられた指輪を俺に突き付けた。 「この指輪には、御利益の力を増幅させる効果があるの!例えば神社に合格祈願すれば必ず受験に受かったり、神社に無病息災を願掛けすれば絶対に病気にならなかったりするの!つまり、縁結びも同じこと!裾を踏んじゃったから、私はあんたと結ばれちゃうってことなの!」 「結構なことじゃないか」 「冗談じゃないわ!私は小池君と結ばれるために来たの!今から小池君の裾を踏み直せば、まだ間に合うわ!あんたの責任なんだから一緒に探して!」 「ちょ、ちょっと冷静になれ。その指輪に本当にそんな効果があるのか?そんな物どこで手に入れた?」 「私の家に伝わる家宝よ!効果は絶対。指輪の効果は速やかに段階的に影響を及ぼすわ。ああ、もうこんな事してる場合じゃないわ!どうなの、手伝ってくれる!?」 俺は少し考えた後、彼女に向かって頷いた。 もちろん、本気で小池とやらを探すつもりはない。むしろ、彼女が小池を見つけた時に、小池の裾を踏ませないために付いて行くのだ。 「あんた、見かけによらずいい奴ね。ありがとう」 彼女は俺の考えも知らず、素直に礼を言った。 「よーし、御利益の影響が出る前に探し出すわよ。これ以降、会話は禁止!動かすのは足と目だけ!さあ、行くわよ!」 彼女はそう言うと、草履をパタパタと鳴らして走りだした。
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