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携帯電話の着信に気付いたのは、呼び出し音ではなく振動であった。
液晶に表示されているのは『矢崎京子』。俺は携帯電話を耳に押し当てると、「もしもし!」と大声で叫んだ。
『そんな大声出さないで!何なのよ!?』
「悪いな!今さっき、大音量の悲鳴を聞いて、耳が聞こえづらいんだ!何の用だ!?」
『今すぐ、結婚式場に来て!』
「えっ……それって」
『そう言う面倒臭い事やめて!そこに夏奈子いるんでしょ!?夏奈子と一緒に来てちょうだい!彼女に頼みたい事があるの!』
「京子が夏奈子に頼みごと?」
意外であった。京子は兄を利用した夏奈子を嫌っている。その京子が夏奈子にものを頼もうというのだ。
「何だ?夏奈子じゃないとダメなのか?」
『そうよ!夏奈子じゃないとダメなの!』
電話の向こう側の声は、悔しげであった。
「分かった。夏奈子に伝えてみる」
『あなた、街の西側にチャペルのある結婚式場を知っているでしょ!?待ってるから、とりあえず、すぐに結婚式場に来て!』
京子はそう言うと、一方的に電話を切ってしまった。
夏奈子とて、犬猿の仲の京子の頼みなど聞きたくないだろう。
俺は、夏奈子が最も足を運びやすい内容に変え、伝えた。
「俺と結婚しようか」
「…………」
「俺と……」
「望月さん、京子さんの用件はもっと長かったはずです。そもそも、内容が全然違います」
どうやら、沙恵が悲鳴を上げた時、夏奈子はちゃっかり耳を塞いでいたらしい。そして、その正常な耳で、電話の声を拾っていたようだ。
「まあ、だったら話は早い。どうする?行くか?それとも、京子の頼みは嫌か?」
「行きましょう。京子さんとも仲直りしたいですし」
「よし、決定だ。沙恵はどうする?」
俺が問うと、鏡を見てシクシクと泣いていた沙恵が、顔を上げてキッと睨み付けた。
「この髪で、どこへ出られるっていうのよ!?えっ!?」
「じゃあ、仕方がないな」
「仕方ないですって!?あんたのせいでしょ!!その飄々とした態度!!許せないっ!!」
沙恵は営業成績のグラフの様になった髪をふり乱して飛び掛かった。俺は一目散に部屋を逃げ出した。
その結婚式場は街の郊外にあり、広い駐車場と立派なチャペルを備えていた。駐車場には車が沢山停まっており、式か披露宴が行われているようであった。
俺達が一番大きな建物に入ると、ロビーで京子が待っていた。京子は黒色のスマートなドレスを着ており、どうやら、招待客としてこの式場に来ているようであった。
京子は俺達に目を止めると、走って来て、「遅い!」と文句を言った。
「急に呼び出したのはそっちだ。なんだ?今日は誰かの結婚式だったのか?」
「そう、短大の先輩の式よ!でも、大変な事になってるのよ!」
「大変なこと?式の最中に新婦が昔の男と逃げたとか?」
「似てるけど違うのよ!新婦を連れて行こうとしているのは人間じゃないわ!」
夏奈子が眼光を鋭くし、切れ長の目を京子へ向けた。
「京子さん。それは赤いマニキュアの手ですか?新婦は襟首を掴まれたのですか?教えてください」
夏奈子が矢継ぎ早に質問をすると、京子は面食らった表情になったが、すぐに首を横に振った。
「夏奈子、残念だけど、これは総一郎君の件とは全く違うわ。服を掴む者はいない。新婦をさらおうとしているのは、服自体だもの」
京子は居ても立っても居られないといった様子で踵を返した。
「とにかく、一緒に来て。会場は五階よ。夏奈子に裾を踏んでもらわないと、新婦が連れていかれてしまうわ。さあ、夏奈子」
京子はエレベーターに向かって走りだし、俺と夏奈子はその後に続いた。
エレベーターのドアが開き、廊下に出ると、そこは混乱の真っ只中であった。白いネクタイに黒い礼服を着た男達が、団子状態になって一人の女性に取りついていた。
女性は頭にティアラを頂き、裾の長い、赤色のウェディングドレスを着ていた。その女性は虚ろな目でフラフラと歩いているだけなのだが、取りついている男達はその歩みを止める事が出来ないでいた。
俺と夏奈子がその光景を呆気にとられて見ていると、京子が新婦を指差した。
「あのドレス、本当は純白だったのよ。披露宴をしていたら、急に赤く染まって、新婦がフラフラと歩きだしたの。会場を出たところで、見かねた親族が取り押さえようとしたんだけど、力が強くて止められなかった。だから、今はみんなでこうしてるの。あの力、異常でしょ!?あのドレスが新婦を連れて行こうとしているのよ!ねえ、夏奈子、あのドレスの裾を踏んで!踏めるだけの長さはあるわ!新婦を止めて!」
「ずっと止めておくわけにもいかないだろ。歩かせて、行く先を突き止めるのも一つの手かもしれない」
俺の言葉に、「行き先は二階です」と答えたのは、俺のすぐそばに立つ、式場の給仕服を着た女性だった。
女は若く、動きやすそうな髪型をしており、そして、こんな場でも接客用のスマイルを崩していなかった。
「新婦の行き先は、この建物の二階。西側にある開かずの間」
「開かずの間!?」
俺の大声は、この喧騒の中では目立つことがなかった。
「はい。昔は衣装の保管室として使われていました。ですが、いつからかドアは開かなくなってしまった。開けようとすると不吉な事が起こるので、そのまま放置された部屋です」
俺が胸のネームプレートに視線を下ろすと、『石倉真紀』とあった。
怪しい女ではあったが、状況が状況なだけに、詮索している暇はなかった。
「夏奈子、あのドレスを踏むのはやはり中止だ。開かずの間、そして、引き寄せられる女、状況が沙恵の時と似ている。だとしたら、開かずの間にいるのは鬼だ。鬼が女を食らうために引き寄せているんだ。ここで、沙恵の時みたいに邪魔をすると、きっと鬼が出てくるぞ」
「望月さんは、あの女性を見殺しにすると?」
「仕方ないだろ?今あるのは浴衣だけ、物騒な冥府刀は置いてきた。下手に刺激して、鬼が部屋から出てきたらどうする?俺達に対抗手段はない。俺達も無事じゃ済まないぞ」
「お客様、対抗手段ならこちらにあります」
横から刀の柄が差し出され、それを携えていたのは、接客スマイルではなく、本当に楽しそうな笑顔の石倉真紀であった。
「ご要望の冥府刀です」
「お前、それをどこで!?」
「皆様にお配りしている本日の引き出物でございます」
「うそつけ!お前、何者だ!?」
俺が真紀に詰め寄ろうとすると、夏奈子が立ちはだかった。
「望月さん、冥府刀は今ここにあります。そして、私もここにいます。どうか、戦って、あの新婦を助けてやってください」
夏奈子はそう言うと、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
俺は、夏奈子の視線から逃れるために顔を逸らした。
しかし、逸らした先にあったのは京子の期待に満ちた瞳であった。
「あなたがその刀で助けてくれるの?あなた、意外にやるじゃない!」
「いや、まだ……」
俺は言葉を濁しながら、気まずい思いで京子から視線を逸らすと、今度は真紀と目が合った。
「お客様なら必ず鬼を倒せるはずです。どうか、カッコいいところを見せてください」
真紀は刀を俺に押し付けた。
懇願・期待・威圧の視線を三方から浴び、俺は刀を抱いたまま唇を噛みしめ、最後に唸った。
「わかったよ。やるよ。鬼が部屋から出てきたら、俺が斬る。だが、一太刀だけだ。一回振れば俺は腐泥門に沈む。夏奈子、その時はすぐに裾を踏んで、俺の沈降を止めてくれ」
「私が裾を踏んでから刀を振れば、望月さんは沈みません。沈まなければ、動けるし、何度でも刀が振れます」
「踏んでもらってから振ってたんじゃ、鬼にかわされちまう」
「この前の美奈さんのように、斬る瞬間に裾を踏めば、望月さんの動きを妨げることはありません」
「それは絶対に駄目だ。少しでも踏むタイミングが早いと、俺は足を止められちまう。鬼に刀がとどかないだけじゃなく、最悪はバランスを崩して鬼の前で転倒する」
「やらせてください。必ず成功させます。自信があります」
夏奈子の様子からして、駄目と言っても実行するだろう。
ならば、俺もそのつもりでいなければ大怪我をする事になる。
「分かった」
「はい!」
「よし、夏奈子、新婦の裾を踏んで、新婦を止めるんだ。鬼をおびきだせ。京子、男どもが邪魔だ。新婦から野郎どもを退けてくれ」
「任せなさい!」
京子は足早に男達へと近づいた。
「あなた達、離れなさい!男が寄ってたかって女一人止められないなんて、情けないわね!ほら、さっさと退きなさい!」
京子は礼服の襟を掴み、男達を次々と引き剥がしていく。そこに真紀も加わり、新婦の周りからたちまち男はいなくなった。
夏奈子はすかさず赤いウェディングドレスの裾を踏み、新婦をその場に呪縛した。
やっと歩みを止めた新婦を横目に、俺は持参した青い浴衣を身につけた。そして、鬼がこの廊下に現れるのを待った。
周囲を警戒していた俺は、ある男に目を止めた。
その男は、赤い燕尾服に赤い靴というかなり怪しい服装をしており、こちらに向かって歩いて来る。
十中八九、鬼に間違いないだろう。
俺は鞘から刀身を引き抜き、刀を構えて男の反応をうかがった。
足下に波打つ泥沼、手に抜き身の太刀、このような者を見たのなら、普通の人間は決して近づかないだろう。
廊下にいる客達は一斉に俺から離れた。しかし、赤い服の男は歩調を変えず、俺達の方へと向かってきた。
やはり、人間ではない。
「望月さん!」
夏奈子が緊迫した声を上げた。
「夏奈子、やるぞ。もう新婦はいい。俺の後ろへ!」
俺は本格的に刀を構えた。夏奈子は新婦の据から降り、俺の裾の斜め後方に待機した。
鬼は俺から十歩ほどの距離で歩みを止め、ニタリと笑った。
「冥府刀……怖いものを持ち出したね」
「お前、鬼のくせにしゃべれるのか?」
「君は鬼を何だと思っているんだい?言葉ぐらい話せるさ」
「なら、聞くが、新婦を食うつもりか?」
「もちろん」
「そうか」
俺は眼を細め、鬼との距離を測った。
(いけるか?)
刀に関してド素人の俺には、距離の詰め方、間合いなどサッパリ分からない。素人ながらに今だと判断し、俺は鬼に向かって駆け出した。
俺は刀を振りかざし、泥を跳ね上げ、鬼に迫った。そして、あと一歩で刀が届くというところで、後ろから夏奈子の悲鳴が聞こえた。
「くっ!」
俺は振り下ろしかけた刀を止め、とっさに鬼から距離をとった。そして、鬼を視界から外さぬように後ろを振り向くと、夏奈子が新婦によって羽交い締めにされていた。
「いい判断だね。振っていたら、裾踏姫の援護がない君は冥府行きだったよ」
鬼は軽く手を叩きながら言った。
「てめえ、新婦に何をした!?」
「彼女は僕の意のままさ。言っとくけど、僕を殺しても新婦の支配は解けないよ。そのドレスはもう一つの僕なんだからね。つまり、君は二つの僕を相手にしなければならない。腐泥門のハンデがある君に、そう何度も冥府刀が振れるかな?これ以上、僕の邪魔をすると容赦しない。いいね?」
鬼はそう言うと、クルリと背を向け歩きだした。
斬るには絶好のチャンスである。だが、それはできない。斬れば、夏奈子の援護がない俺は腐泥門に沈むのだ。
俺が歯噛みをしていると、俺の脇を通り抜け、新婦が鬼を追っていった。そして、新婦から解放された夏奈子が俺に駆け寄ってきた。
「望月さん、追いましょう!」
「聞いてただろ?敵は鬼と、その分身の赤いドレスだ。状況はさらに悪い」
「ですが、見捨てるわけにはいきません!」
「捨てるわけじゃない。俺達の力では拾えないだけだ」
「望月さんは平気なのですか!?あの新婦はこれから幸せになるところだったのです!こんな所で死んだら残酷過ぎます!」
「勝ち目はない」
「望月さん!遺される者の気持ちを考えてください!」
やはり、夏奈子がこだわるのはそこだった。
夏奈子もまた、残された者なのだ。
(俺が腐泥門に消えた後の事は……誰も考えてくれねえ)
俺は鬼が消えた方向へつま先を向けた。
「やるぞ。ただし、相手は冥府刀を知りぬいている。気を付ける事だ」
「はい!」
「よし、行こう」
俺は裾をひるがえし、腐泥門の泥を跳ね上げた。
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